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第12話 その往来は雑然と(2)

 最近の仕立屋は時間がかかるオーダーメイドだけでなく、比較的安価に量産された既製服も扱ってくれている。ハンスはとりあえず店員に頼んで、長く使えて無難そうなものを一通り揃えてもらうことにした。


 実のところ、ハンスは私生活の効率化を嫌がる方ではない。単に自分の仕事は質を追求したいだけで、それ以外の物にリソースを割くのは面倒に感じるくらいである。


 そんな彼にとって、むしろ最近の既製品の増加はありがたい流れだった。デザインのことはよく分からないが、店員のおすすめならばおかみさんの御眼鏡にもかなうことだろう。


 そんなことを考えながらズボンの裾上(すそあ)げを店員に頼むと、半刻ほど時間がかかるとのことだった。じっと待っておくのも暇なので、いったん店を出ることにする。そうして次はどうしようかと考えて、ハンスは思い出した。


 ――服の丈といえば、フィアにもちょうど良いものを買ってやった方が良さそうだ。


「なあ、その服……あんたにはちょっと小さいだろ。新しいの、買ってやろうか? その、ついでだし」


 だがけっこう勇気を出したハンスの提案に、彼女はゆっくりと(かぶり)をふった。綺麗系の顔立ちをした彼女にはあまり似合っていない大ぶりな胸のリボンへと、大事そうに手を添える。


「ううん、フィアはこれがいいの。ごめんね、せっかくハンスが言ってくれたのに」


「そうか……ならいいんだ」


 フィアのただならぬ雰囲気に、ハンスは口をつぐんだ。並んで歩き続ける二人の間に、気まずい沈黙が降りつもる。


 ……しばらくして。そんな空気を打ち破ろうとするかのように、フィアは明るく声を上げた。


「あっ、ええとね! ハンスにはいつももらってばっかだし、今日はフィアがおごる番なの! じゃじゃーん」


 そう言いながら彼女はポケットに手を入れると、数枚の銀貨や銅貨をじゃらりと両手に乗せて見せる。


「初めてのお給料、もらったやつ!」


「こらっ! こんな往来で裸銭(はだかぜに)を見せるな!」


「へ?」


 ハンスは慌てて包むように彼女の両手をつかむと、そのまま道の端へと引っ張ってゆく。そうして人通りの邪魔にならないところで立ち止まると、諭すようにして言った。


「あまり外で財布や金を取り出して見せるんじゃないぞ。悪いヤツが見てるかもしれないからな」


「わかった!」


 こくこくとうなずくフィアを見て、ハンスは内心ため息をついた。これでは市井(しせい)で育った一般的な十歳児より、はるかに無防備だ。


 ――軍の施設内は、治安だけは国内随一だったからな。外は危ないんだとちゃんと教えてやらないと。


 そんなことを考えながら辺りを見渡すと、すぐ横の壁に罪人の手配書が貼られているのが目についた。


「ほら、これを見ろ。街にはこんな悪いやつも紛れているんだぞ」


 ハンスが指さしたのは、強盗殺人で逃走中だという男の手配書である。それには凶悪な人相書きと共に、『この顔を見かけたら憲兵隊へ通報を!』とでかでかと太字で書かれていた。


 名はハンス、元職人。外見の特徴は、黒髪で痩せ型の……


 ――え、これ俺じゃね!?


「どーしたの?」


「いや、なんでもない!」


 ハンスは慌てて、通りから手配書が見えないよう背後に隠した。とっさに破り取ろうかとも思ったが、それで目を付けられる方がはるかにリスクがあるだろう。


 この辺りは職人の多い街だし、この国の人間のほとんどが茶系統の髪色で、次いで多いのが黒髪だ。あとはたまに見かける赤毛や金髪が、目を引きやすいくらいだろうか。


 また大柄な人間が多いと言っても、ハンスのような体形の人間がごく少数というわけでもない。さらにハンスという名を持つ男は、この国にはかなり多いのだ。『職人のハンス』なんて、それこそ掃いて捨てるほどいるだろう。名字を持たない庶民であるのが、むしろ幸いだったと言うべきか。


 ――にしても、人相悪いにも程があるだろ!


 むしろこの実物より凶悪すぎる人相書きが、ハンスを助けてくれている……とはいえ、いかにも職人といった作業着で外出なんてしていたら、目をつけられていたかも知れない。


 ――まさかフィアじゃなくて、俺が手配されてるとはな。脱走前に俺の名を出していたということか? うちの工房以外にこの街に知り合いはいないとはいえ、当面外出は控えるのが無難か……。


 着替えをさせてくれたおかみさんと、この人混みに、ハンスは内心感謝する。そうしてフィアの方に目をやると、ふたたび硬貨をそのままポケットに突っ込もうとしている姿が見えて、彼は問いかけた。


「そういや、財布はないのか?」


「ない」


 ――まあ、あと一軒くらいなら寄っても大丈夫か。次いつ来られるか分からないしな。


「……じゃあ、買いにいくか?」


「うん!」


 うなずくフィアと連れ立って、ハンスは通りを歩き出す。だが彼女が立ち止まったのは小間物屋の屋台ではなく、生地屋の前だった。


「ここ、見てもいい?」


「ああ」


 後をついて入ると、店内はぎっしりと反物が詰め込まれた棚で埋め尽くされていた。その間を器用にすり抜けながら、フィアは目についた生地をチェックしていく。


 しばらくして落ち着いた青色に染められた生地を棚から抜き取ると、彼女は奥にいた店主へと手渡した。


「これ、いちエルください」


「はいよ」


 ハンスの知らぬ間に、彼女は一人で買い物もできるようになっていたようである。フィアは裁断されゆるく畳まれた布地を受け取ると、手持ち無沙汰で生地を眺めていたハンスに駆け寄った。


「お待たせー!」


「財布はいいのか?」


「うん! これで作る」


 その後、さっきの店で丈詰めの終わった服を受け取ると。ハンスはもう見たい店はないというフィアを連れて、工房への帰路についた。隣を歩く彼女は、青い布地を大事そうに抱えている。


「青、好きなのか?」


「うん! これ、おかみさんの目の色そっくりなの。今お裁縫教えてもらってるから、何か作ってプレゼントしたいなって。できたらハンスにもあげるね!」


 そう嬉しそうに言うフィアを見て、ハンスは苦笑した。


「おかみさんが大好きなんだな」


「うん!」


 そう満面の笑みで、うなずいたフィアだったのだが。一転して眉を下げると、ポツリと言った。


「お母さんって、もしいたらこんな感じだったのかなって……」


 培養液の中で育てられた彼女に、母はいない。それに()()博士は、果たして父と呼べるようなものだろうか。しゅんっとしてしまった彼女をなんとか慰めようとして、ハンスは懸命に言葉を探した。


「……ま、母親なんて、そんな良いもんじゃないぞ」


 なんとか出てきた言葉は月並みなものだったが、フィアの興味を引けたようである。


「ねぇ、ハンスのお母さんって、どんな感じ?」


「うちは子だくさんでな。暮らし向きも良くなかったし、いっつもガミガミ怒鳴ってた。十三で口減らしと支度金目当てで軍属の斡旋(あっせん)屋に売られて、それ以来顔も見てねぇよ」


「そっか……」


 フォローするつもりがさらに落ち込んでしまったフィアを見て、ハンスは慌てて言葉を続けた。


「ほら、だからな、別に血がつながってる必要なんてないんだ! フィアがおかみさん大好きなんなら、それだけでいいだろ?」


「……うん、ありがと。ハンスは、やっぱり優しいね」


「は!? どこが!?」


 言われ慣れない言葉に思いきりうろたえるハンスを見て、フィアは小さく笑った。


「ハンスは、優しいよ。みんな自分のことしか考えてなかった帝国軍(あそこ)で、ハンスだけが自分以外の誰かのことを考えるっていうことを……教えてくれたの」


「……全く心当たりがないんだが」


「ううん、ハンスは、いつも四番(フィア)のことを考えてくれてたよ。まだ小さい九番(ノイン)が廃棄処分になったとき、調子が悪いなら休めって言ってくれて……断れない四番(フィア)の代わりに、編成の調整を上にかけあってくれた。越権行為だって、怒られながら」


「あれは……ただ単に、精神状態が悪いまま出撃なんかさせたら、死ぬのが目に見えてるからだ。最後の人形(プッペ)を失えば大きな損失になるから、温存するよう上に簡単な情報を添えて報告した、それだけだ。あまり買いかぶるのはやめてくれ……」


「うん、仕事のためだっていうのは、わかってる。でも、嬉しかったの」


「……」


「ここは、みんな優しいね。ずっとここにいられたらいいのに」


 間もなく工房へと帰り着いた二人を、おかみさんは笑顔で出迎えた。そのまま彼女にぎゅっと抱きつくフィアを見て、ハンスは微苦笑を漏らす。


 だが二人の間には彼が思うよりもっと複雑な事情があるということを……その時のハンスは、すっかり忘れてしまっていたのだった。


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