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お兄ちゃんの場合

 お兄ちゃんが、泣いていた。

 布団を頭から被って、声を押し殺して。

 無理やり布団をひっぺがそうとした私がまるで悪いような状況に思えなくもないが、断じてそうではない。

 たしかに学校に遅刻しそうなギリギリの時間だからと、ちょっと乱暴にお尻を蹴飛ばしてたたき起こそうとしたのは事実ではあるが、でも、そんなことくらいで?

 学校に行かなきゃいけないのはお兄ちゃんだってわかっているはずだ。

 だというのに、こうやって逃げの一手を見せているのは、何かがおかしい。

 だから、まずは聞き出そう。

 そうして、私にできることであれば手を差し伸べよう。

 それが、家族として当たり前のことだから。

 決して、お尻をちょっと強めに蹴飛ばしたことの罪悪感からくる行動なんかじゃないんだから。


***


 それは、水曜の朝のことだった。

「お兄ちゃんがね、起きてくれないのよ」

 ママが困った顔をして、食卓に先に着いていた私に言った。

 そも、水曜というのは本当にダルい。

 休み明けの月曜から続く三日目。次の休みまではまだ二日もある、ちょうど中間。

 朝、起きたくないまだ布団にもぐって寝ていたいというお兄ちゃんも気持ちもわからなくはない。だから、

「もにゃもにゃ―――、そりぇうぇやこみゃっちゃにぇえ」

 そりゃ困ったねぇ、と答えたのだけれども、口に食パンを詰め込んだままじゃ伝わらないか。

 お行儀悪いわよと顔をしかめるママを手で制して、

「それじゃ、私が起こしてくるね?」

 まったく、あの馬鹿兄は。どうせ昨日夜更かしでもしたんでしょ、まったく。


***


 そうしてやってきた兄の部屋ではあったのだけれども、最早私には後悔の思いが強い。

 来なければ良かった、気にせず先に出発していれば、今日一日を心穏やかに過ごせただろうに、とも思う。

 だが、私は知ってしまった。

 何がお兄ちゃんを泣かせているのか。何があったのか、何か私に出来ることはないのか。

 心を決めた私は、兄に優しく話しかける。

「で、お兄ちゃん? 何があったの? 話してくれなきゃわかんないよ?」

 優しく語りかけるも、反応はない。だから、

「はよ話せ、言わなきゃわからん!」

 布団の上からバシバシとお兄ちゃんを叩きつつ、私は優しく、やさぁしく話す。

「あー、もう、うだうだぐじぐじしない! まず最初の一つ目! 学校どうするの!? 行くの!? 行かないの!?」

「……行きたくない」

 微かな声。でも、私の耳にはハッキリと聞こえた。だから、

「ママ! お兄ちゃん学校お休み!」

 わかったわ~、と部屋の外からママの声。

 話の早いママで本当に助かる。

「ほら、学校はお休みになったよ、お兄ちゃん。……それで?」

 何があったのか、大事なのはそこだ。だから、

「学校行きたくない理由、話して貰える?」

「…………」

 返事はない。

「学校は休みだよ? ……あー、もしかして学校、行きたい? ママーぁ!?」

「いや、学校は行きたくない。……言うよ、言う」

 その言葉を信じて、私は黙る。

「……昨日、笑われたんだ。クラスの女の子と仲良くしてるのを、友達に」

 ふむふむ。……んんん?

「え、お兄ちゃんに彼女が出来たって話されてんの私?」

「いや違うし! 仲良くっていうか、普通に話してただけだし!」

 食い気味に、かつ布団から顔を出してお兄ちゃんが答える。

 目は充血して赤く、瞼が腫れ気味の酷い顔。でも、顔を出してくれた。良かった。

 こうなれば、あとは早い。

 ……そのハズだ。


***


 あとは早い、などとカッコつけてみたものの、私に残された時間はあんまりない。

「そっかわかった。女の子と話するだけで笑われるとか、何それめんどくさ」

 簡潔にまとめて、でも、

「お兄ちゃんは悪くないよ。そいつらがガキなんじゃんね。ほら、ママにはお休み許可もらったし。二度寝するなり朝ごはん食べるなり好きにすればいいよ。……私はそろそろ出発の時間だし」

 行ってくるねお兄ちゃん、と挨拶をして、私はお兄ちゃんの部屋を出る。

 

「めんどくさいと思う気持ちもわかるけどね、中学生で思春期ってそういうものよ。男の子も難しい年頃なの」

 話を聞いたママは、わかったような、わからないような、難しいことを言う。

「うーん……?」

「お兄ちゃんね、心がちょっと疲れちゃったのよ。だから、今日学校をお休みするっていうのは良いことよ。リセットする時間が必要なのよ」

 私としては、お兄ちゃんを笑った奴らにパンチの一発でも入れたい気がしなくもないのだが、私が中学校に乗り込むというのもちょっと無理がある。

 その代わりに、

「あ、そうだ。ママ、お夕飯は私も手伝うよ。お兄ちゃんに、お肉食べさせよ?」

「わかったわ。何を作るつもり?」

 やっぱりママは話が早い。

 私の信条。疲れた時はお肉をたっぷり食べる。それに限る。

「シンプルに、豚肉を焼いてたくさん焼く、で良いかなぁ」

「わかったわ、安いお肉をたくさん買ってくるわね」

 ありがとう、ママ! 大好き!


***


 夕方、帰宅。

 ママの話によれば、お兄ちゃんは至って普通な様子だったという。

 学校お休みだったからね。昼間は割と元気だったろうなというのは容易に想像がつく。

 でも、夜になって寝る前とか、考え込んで一人で泣いてしまうかもしれない。

 そういうのはダメだ。だから、お肉でおなかいっぱいにさせて、さっさと眠ってしまえば良い、という作戦だ。

 ママが買ってきてくれたお肉は、しゃぶしゃぶ用の薄切りの豚肉。およそ一キログラム。

「メガ盛りのこれが一番安くてお得だったの」

 主婦がそういう判断したのなら仕方ない。……焼くのは半分くらいにしとこうかな。


 薄くスライスされたお肉を一枚一枚剥がして、熱したフライパンに並べていく。

 ちょっと面倒ではあるけれども、このひと手間が大事。

 じゅーじゅーとお肉の焼ける音がする。薄いお肉だから、そんなに時間はかからない。

 ひっくり返して火が通ったのを確認したらお皿にあげて、空いたスペースにまたお肉を……と繰り返す。

 ひたすら、無心で。


「ちょっと焼きすぎじゃない?」

 大量の豚肉を前に、お兄ちゃんが苦笑いしている。

「いいから。食べて。とにかく、どうぞ」

 ちょっとは申し訳ないと思っているのだ。私もいっぱい食べるから、許して。


 食後、おなかいっぱいだと笑うお兄ちゃんに、同じくおなかいっぱいだと笑う私。

 それで良いのだ、それで。

 きっとお兄ちゃんは、明日も元気に笑っていて、元気に学校に行ってくれるだろうから。

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