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処女詩集 未熟

作者: 安岡 憙弘

 処女詩集『未熟』

 安岡 憙弘よしひろ



 憂い Präludium


 人である限り

 どんなに悲しくても 

 生きなければならず

 だから人は

 憂いを別け合って 


 傷つけ合いながら

 そして

 慰め合いながら

 生きている


 誰もが 悲しい




 半分狂気


 僕は半分狂気

 世間との差があんまり大き過ぎる

 何が正しいことなのか

 僕には関係ない

 苦しまないことが

 僕にとっての真実なんだよ

 普通のひとのように見えるけど

 やっぱり半分狂気なんだ




 自己中と正直


 前から思ってたけど

 自己中と正直の差ってなんだろう


 多分〝自己中〟っていうのは

 社会に合ってないから自己中なのであって   

 〝正直〟っていうのは

 自分から見たら

 そうなのだと思う

 要するに社会的に見るか

 個人的に見るかの観点の差は

 あるけれど

 自己中と正直はほとんど一緒

 なのだろう




 日常


 自分一人の世界に

 入っているぶんには

 いいけれど

 テレビをつけても

 外に出ても

 日常が頭の中に

 入り込んでくる

 そして

 僕の問題意識を刺激し

 頭の中を複雑にする         

 いつの間にか〝あの〟日常世界へ

 僕の感情を連れ去ってしまう

 日常の事なんて

 そう考えなくても

 変わりないのに




 生きてさえゆけば



 明らかに悪とわかること

 に関しては

 行いを正直にして

 合わせている自分を

 自覚せよ

 たとえ自分の

 本心が違っても

 そうすれば

 精神分裂病を

 防げる


 どちらかというと

 個人的に所属するすることに

 関しては

 性格を

 正直にせよ


 それはプライベートの

 問題だから




 書くこと



 文章を書くと

 二つの自分に出くわす

 一つは

 理想の自分

 もう一つは

 ありのままにぱっと出てきた自分

 どっちを書くのが

 本当だろう 


 でも僕は

 後者の方を

 大切にしたいなあ




 理想=現実



 理想もそのままでは

 ただの理想に過ぎない

 でも現実よりも理想のの方が

 素ばらしいのは確かだ。


 そうだ理想を()()()()()形で

 現実に

 おきかえたら

 いいかもしれない




 アイデンティティー



 僕は自分や自分の身の回りにある

 たくさんのものを嫌う

 でもいくら嫌がっても

 それは自分の

 アイデンティティーの一部なのだ。

 自分がおかれている環境も

 個性の一つだし

 自分に対する周囲や世間の反応も

 アイデンティティと

 言えないこともない


 ただし

 まとを得てるとは

 限らない




 もっと別のところに目を向けて



 苦しみの原因を全て

 自分の思いのせいにして

 まず思いを正そうというのは

 無茶苦茶だ

 思いは思いであり

 正せるものではない


 おもいを束縛そくばくしようとするのは

 もっと苦しいことだ。




 感情に関する諸症状



 自分にとって悪いことを考える

 妄想もうそう


 こうしなければならない、という

 執着しゅうちゃく


 感情の強すぎる

 感情過多かんじょうかた


 悪の思いがふくらんで

 手がつけられなくなるのを

 極度にこわがる

 悪の芽へのおそれ

 こうやって列挙れっきょしてみると

 立派に見える




 傷ついてはいけない



 自分以外の人にとって

 ごく普通にできることが

 傷つくところまでかなければ

 自分にはできない


 がんばったら楽になれると思って

 苦しいのに、何度もくり返し

 やり過ぎてしまう


 心の傷はなかなか治らない


 心が傷つきやすい状態の時は


 その状態に素直に合わせてやるのが

 自然なことだと思う。




 距離が大切



 集団よりも個人での方が

 生きやすい人間にとって

 集団に入っていくことは

 大変リスキーなことだ。


 人の言うことが

 気になって

 嫌なことから

 距離が

 とれないのならば


 思い切って

 距離をとったら

 適切な距離に

 なるかもしれない




 認めよう



 僕が内気で受け身なのは

 僕の性格というよりむしろ

 僕の病気の

 症状

 ではないのか


 人に頼ることも

 常に念頭におきながら

 リハビリしていくしか

 ないのではないか




 文学・哲学



 自分の中に

 ルールがないのを

 不安に思って

 自分の急な

 ルールづくりに

 文学や哲学を使い

 悟りをひらいたつもりに

 なっていたけれど

 自分の中は

 誤った悟りで

 いっぱいで

 人格が無茶苦茶になる

 危険をおかしていたことに

 気づかなかった


 特に哲学は

 何年も経って

 ああそうだったのかと

 理解するもので

 あるということが

 後になってわかった




 心配の構造



 問題にぶつかり


 意味を知ろうとするが


 世の中甘くなく


 色んなことがでてきて


 どうしてなのかと


 心配している間に


 時が流れ


 いつも


 後手後手ごてごてになるのが


 心配の構造の


 自然なかたちでは


 ないのだろうか


 決して


 変ではない




 とまどい



 それは感想なのか


 それとも意見なのか


 どっちかはっきりしなければ


 こちらも答えようがない


 もし僕が間違ってるとか


 反論があるのならば


 わかるように


 反証はんしょうをして欲しい


 批判ていうのは


 善の心に基づいて


 行うもので悪口は


 ただの


 あげ足とり


 そこをちゃんとしないと


 言葉の


 キャッチボールが


 できない




 経験主義の盲点


 一人の人間が

 一生のうちに経験できることなど

 たかが知れている

 人間の心の

 弱点は

 自分の経験を

 越えないこと

 他人の経験について

 全く無知であること

 だから自分を

 全能と思うこと




 歴史



 漱石は言う

 たまたま歴史が続き

 発展してしてきたと

 そう考えると

 歴史は

 非常に危ういものの上に

 立っている


 世の中には

 数えきれない、民族がいる

 どうして自分たちの

 歴史だけを

 正統化せいとうかすることが

 できようか




 幸福論

 昔、

 いつでも生死と

 隣り合わせだった時代

 生きていることは

 奇蹟に近かった

 わずかな貯蓄と

 その日食うに足るだけの稼ぎ

 もちろん遊ぶ余裕あまりなく

 働くことが

 唯一の人間的営み

 だったのだろう

 漠然ばくぜんと想像する

 そんな生活が

 果たして本当に

 不幸だったのか

 豊かであれば

 労働への意欲もまた

 当然のごと

 起ってこないたとえ食べることに

 追われていても

 働くこと自体に

 幸せがあったのではないか

 文明によって

 僕達は満足の味を覚えた

 けれども

 幸せとは

 決して満足ではない

 逆に飢えている感覚が

 幸せなこともある

 お金があるために

 どんどん自然の

 太古たいこのありようから離れ

 自分を病気にするくらいなら

 いっそ

 文明など、ない方がいいと

 思いさえする。

 満たされていては

 る事の出来ない

 貧しいから

 幸せに

 本当の幸せがあるのだとしたら


 貧しいのが人間の

 真剣に思う




 人間の定義



 人間は文化の動物

 人間は文化以外のことを

 物理的に考えることができない

 言葉も

 文化の一つだから





 品性



 品性のある人は

 誰に対しても優しい雰囲気ふんいきを持ち

 でも強いものに媚びず

 寛容で

 全世界に通用する

 美がある

 自分を尊ぶということは

 自分の文化を失わないこと

 でもあるから

 強くなるために

 自分の文化をを捨て

 強い人の文化を受け入れては

 自分が自分であるということを

 捨てたのも同じことだ。

 たとえ弱くとも

 ほこりを持って生きる人は

 精神の産んだ

 最も尊いものをもっている



 芸術に対する態度



 目に見える

 才能は

 何もないけれど

 僕には

 夢想する能力が


 誰よりもある

 目に見えるものを

 残す人には

 雲もまたある

 大切なのは

 才能あること

 ではなく

 鑑賞かんしょうすることです


 そして

 強く強く

 夢想すれば

 立派な

 芸術家です




 真理


 いったい人間の限られた知識で

 何の真理が

 わかるというのか




 不公平


 世の中は

 責任を負う能力のある人が

 他人の責任まで

 背負わなければならないように

 できている




 真実一路



 人はみな

 優しさを持って

 いるけれどその優しさが

 一人よがりになって

 しまいやすいから

 修行をして

 優しさを純粋じゅんすいなものに

 していくんだなあ

 問題はそのことを

 すぐ忘れてしまうしていこう

 ことなんだ


 *真実一路の旅なれど

 真実、鈴ふり、思い出す


 あせらず

 ゆっくり修行しゅぎょうしていこう!!


 *山本雄三『真実一路』副題

 白秋「巡礼」より




 諦念



 自分を大きいと

 考える人は

 苦しむ

 謙虚けんきょの心とは

 自分のちいささを

 認めること

 うまく生きている人は

 諦念ていねんの哲学を

 考えなくても

 身に付けている

 人間に不可欠な要素は

 少なくとも社会を

 自分の居場所とすることであって

 それがなければ

 社会に適応できない

 社会には

 娑婆苦しゃばくがある代わりに

 人情の悪い面ではなく

 善い面に

 触れることで

 僕にも生きていくことができる


 人がみんな持ってる哲学が

 僕にはなかったから

 僕には生きていきにくかった

 その哲学を手に入れるために

 僕は日々(ひび)実践じっせんする


 自分を小さくし

 強がる部分がなく

 大人しく生きていく部分を

 すくなくとも人間はある程度持っていないと

 人間の世界から出て行く他ない


 理屈が何であれ

 この世に生まれてきたのが

 自分の分であると心得て

 ()()()()()ことで

 強くなれるのならば

 諦念はただ周りにしたがって

 生きていこうという

 主体的な意思の固まり

 でなくして

 なんであろう



 何故人は熱くなるのか



 人は自分のためにと思うと

 何でも熱くなる




 僕が美を感じるもの



 視覚

 母性

 肌

 くせ

 物質感

 バランス感覚

 ぬくもり

 色気

 自然さ

 透明感

 優しさ


 とすると

 美のモデルは児期に感じた母親

 なのか



 生きることの意味 ~raison d'etre~


 もともと人間に善悪などなくあるのは本能だけ

 眠いから食べたいから食べ

 生きたいから生き

 外に出たいから

 働きたいから働く

 生きることの意味を求めて僕がき着いたのは

 結局

 生まれてきて物心ものごころついた頃には

 生きてきたから生きてるだけ

 死ぬ必要性を感じないから

 生きてるだけ

 という

 事実であった。



 自分であるということ


 自分であるということは

 自分でなければ

 死んだ方がましということ



 大なる自分


 自分には大なる自分というものがあって

 小なる自分がいくら変わっても

 大なる自分を肯定こうていできなければ

 自分を見失ってしまう

 小なる自分自分にいくら手を加えても

 それは飾りでしかなく

 かえって大なる自分を曇らせ

 初め持っていた輝きが

 一体何であったのか

 ややこしくしてしまう




 男気



 男も女性のように

 経済に明るく

 なりふり構わず

 家庭のことをおもったら

 人間の営みの

 本道をおこなっているように思う

 家族を守り育てていくという

 基本に忠実な

 硬派で男気のある人には

 脱帽だつぼうする




 僕の性格


 容易にくことを知らない





 明暗



 およそ

 太陽の下に

 産まれたものには全て

 明と暗があるから

 悪の中にも

 探せば必ず

 善がある




 誰が何と言おうと


 できるかどうかは別として

 社会に貢献しようという心

 さえあれば

 ましいことは

 何もない




 二つの力



 僕は求心力(きゅうしんりょく

 とともに

 反発力を出している




 言い訳は悪い言葉ではない



 できるできないは

 問題ではない

 問題はその理由を

 説明しようとしないこと

 説明すれば全てOKなのに

 それでもしようと

 しないこと

 言い訳をするのをためらうのは

 おかしい

 しっかりとした考えを

 持って

 言い訳を

 じゃんじゃん

 しよう




 表現とは陰陽



 人が恐ろしいのは

 ひとには

 いんの部分と

 ようの部分があるから

 だから人を表現しようと

 思ったら

 厳しいかもしれないけど

 陰陽の両方描えがいてこそ

 初めて

 その人のありのままの姿を

 描くことが

 できる




 世の中



 世の中は

 力で押すのでは

 ないから

 誰にでも

 平等に

 チャンスがある




 理解



 周りの理解を得て

 手遅れになる前に

 手を打たなければ

 ならない

 こともある




 大人しく



 異性よりも

 大人しく

 まずは

 友達探しから

 した方がいい

 それほど

 友達は得るのが

 難しい




 牧歌的 pastoralism



 人間は牧歌的ぼっかてきでないと

 余裕よゆう

 なくなる

 僕は

 牧歌的でないものは

 信じない




 運命


 人間世界から

 のろわれた

 人間であり

 人間離れした

 生活を

 望んでしまうのが

 僕の人生の

 全て

 であり

 運命なのだろうか


 残酷だよ!




 日本人


 日本人は

 いい意味でも

 悪い意味でも

 油断のできない

 という印象を前から持っていたのは

 僕だけ

 だろうか




 ああ神様


 芸術は

 生むこととばかり

 思われているが

 あるものを

 ないものとすること

 横のものをたて

 すること

 へ理屈を通すこと

 従って

 芸術によって

 運命を変えること

 も

 芸術である




 悲劇



 感情も

 なくていいから

 ただ黙々(もくもく)と

 ロボットのように

 孤独こどく

 だけを

 かてにして

 最も人間的なものを

 求める




 たった一つ



 どんなことが起こってもいつまでも消えない

 たった一つの

 ほのお

 意地いじ




 肉感



 人間にとっての

 唯一のリアリティは

 肉感

 だということを

 忘れてはいけない




 良心のうずき


 偏執的へんしつてきに興味を

 もつことを

 あくまで

 こだわって


 マテリアルな

 実に

 物質的な

 幸せを

 バカにしない


 そういう

 態度たいど

 自分の罪を

 一つ一つ

 解いていって

 やがては

 自分を

 自由にすると

 僕は祈って

 いるんだ





 原罪



 勝手な推測に他ならない

 他ならないかも

 しれないが

 複雑だから

 底が深く対立しているから

 ワクワクする

 と思ってしまう自分は


 手がつけられないほどの

 根っからの遊び人であり

 生まれつきのワルなんだろうなあ

 生まれてきたことの罪は

 死ななきゃ治らないよ




 未熟



 若い時は

 未熟なのが

 若者らしくて

 カッコいい

 自分の分でないことを

 やらされるのが

 一番

 その人のカッコよさを

 傷つけるから

 恐ろしいんだ





 別れ


 人それぞれ

 もっている人情は

 ちがうけど人情ほど悲しく

 僕らの胸に迫ってくるものはないと

 教えてくれたのは

 君だった




 常識



 他人には

 奇抜にしか

 思えないことを

 いたってまじめに

 冗談抜きで

 時には

 生死の問題

 として

 考える

 人がいる


 それは


 本人ほんにん




 詩



 神経質しんけいしつ

 僕の愛する

 ものが

 詩であるのは

 僕にとって

 とてつもなく大切なことだ

 もしそうでなければ

 僕は

 自分を好きには

 なれていなかった

 だろうから




 陰影



 表現したいという気持ちは

 山ほどあるけれど

 表現となると

 よくわからなくなる

 のは

 今でも変わらない

 そのことが

 僕の性格に




 陰影



 表現したいという気持ちは

 山ほどあるけれど

 表現となると

 よくわからなくなる

 のは

 今でも変わらない

 そのことが

 僕の性格に

 陰影いんえいを落としている




 日本語



 日常の日本語の

 悪を割り引いても

 日本語の核心かくしん

 触れさせて

 頂けるのは

 この世のものとは思えないほど

 光栄である。




 ひけめ



 自分にひけめを

 感じていては

 何も生まれない

 心の安定は

 自分に対して

 妥協することで

 バランスが

 とれる

 能力と気質の

 対話の産物でしょう?

 女神様?




 倫理病



 倫理病とは

 倫理に対して

 異常に細かくなることから

 僕の名付けた

 病名です

 倫理病は

 はたからは病気に

 見えません

 むしろ論理的に非常にしっかりした人が

 なるのです

 また

 いい人がなるのです

 ですから

 心の病む原因は

 悪い人間だからとか

 やくざな生き方をしたから

 心が病むのでは

 ないのです


 ちょっとしたことで


 すぐに倫理がうづくので

 いつもくよくよしてばかり他の人には針の一刺しが

 その人にはナイフの一撃!!

 人は皆

 多少の倫理病を持っています


 倫理病は フィクションの病名です




 吾が家


 家という形は誰のアイデンティティーの中にも

 入っている

 中高生は

 まだ気付かないけれど階級や家の歴史

 御祖先という言葉を知るのは

 ずっと後になる


 世の中は

 階級や家の歴史

 御祖先という言葉

 を知るのは

 ずっと後になる


 世の中は

 階級や家の歴史や

 御祖先が

 ほとんど全てで

 あるかのような話し方を

 大人がしているという事実は

 誰も中高生に告げない


 もし階級がどうでもいいのなら

 あなたが何をしようと

 〝自由〟なはずだ




 愛があるからみんなずるくする



 人は愛する人には

 ずるくする


 そんなこともわからない自分だった


 これまで邪険にしてきた人達の

 愛をどうかお赦し下さい

 受けとめるだけの力がなかったのをお赦し下さい


 みんな照れ屋だから

 ずるくするけど本当はみんな

 いい人達なのに

 思ったことと

 反対のことをしてしまうだけさ


 みんな 人間だから

 本音が表に出ない

 場合が多い

 そのために

 たくさんの誤解を

 生んでいた


 人のとった行動には

 いろんな意味が隠されているので

 相手の表情や

 態度を見て

 速断するのは

 危険であり

 本音を確かめるのは

 至難しなんの技だ


 照れて不愛想にしている

 可能性が高いからね


 それが世の中

 きわめて人間的


 つまり若かったんだ




 創造 Präludium


 仮にも創造(そうぞう)そうぞうを

 目指しているからには

 うまくいくなどと

 考えてはいけない


 創造は地獄だ

 地獄で創造を

 磨いていくものだ

 創造は

 血をみるものであることを

 認めて初めて

 生きることができる

 その代わり


 常に地獄で

 生きる者にとって

 ちょとしたことが

 天国になる

 創造者は

 もとから

 理解を求める

 必要はない手に入らないものを

 望んだら堕ちる

 なにも望まず

 ただ生むのみ





 あとがき



 ここに書いたことは

 普遍の真実ではなく、計算であり、浅はかなはかりごとです。

 大人になってくるとどうしても、悪い知恵がついて、

 何でも計算するようになるので、

 迷いが生じます。

 子供は計算しないから、

 無邪気でいられるのかもしれません。

 そんな僕の迷いを書き留めたのが、今回の詩集です。

 従ってまだまだ未熟ですが、

 共感してもらえる部分はあるのではないかと思います。

 もちろん、目標は成熟することにあるのですが、

 それは後の作品にて。


 2002年 五月     








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