第一章《6》 領土での事件
まゆりが向かったのは、上の階だ。つまるところの、領主であるリゼルの部屋ということになる。
最上階には部屋が一つしかなく、しかもドアが開いていたため、すぐにリゼルの部屋がわかった。一瞬迷ったが、本当に一瞬だけで、まゆりはすぐに軽いノックをする。
半開きのドアから中が見えたが、ノックは礼儀だろうと思ったのだ。
ドアの向こうには、床に転がる青年の姿が見えた。
顔を右手で押さえて、四つん這いになっている。ぽたりと顔面から血がこぼれるのが見えたが、それよりも。そんな青年を見下ろしているだろう、リゼルの背中からは怒気が感じられて、まゆりはドアの前から動くことができなかった。
ふと、リゼルが肩越しに振り返った。
柔らかい微笑を浮かべている。感じた怒気は気のせいかと思ったが、部屋に残るぴりっとした雰囲気から、おそらく間違いではないだろうと察する。
「部屋はわかったかい?」
「うん。なんだか、悲鳴が聞こえたからきちゃった」
平常心を装って、そう告げた。
忘れてはいけない。
リゼルは、帝国第二位の魔法使いであり、領主であり――権力者だ。
「そうかい、防音魔法をかけておかないとね。おいで、ここが私の書斎だよ」
手招きされて、部屋にはいる。
所せまいしと本棚が辺りを埋めており、彼が非常に勤勉であることが読み取れた。ふと、違和感を覚えたまゆりは、瞬時に違和感の理由を悟る。
ここには、書斎しかない。
最上階には、他に部屋がない。
リゼルは、どこへ寝ているのだろう。何気なく辺りの壁へ視線を向けると、リゼルが満足気に頷くのが見えた。
「すごい本だろう? これとか、結構希少なんだ。ふふふ、魔法使いにとっては宝物庫も同然の書斎だよ」
声から、彼の誇らしさが読み取れた。
本に興味を持ったからではなく、隠し部屋があるんじゃないかと辺りを見たなど言えず、まゆりは「そうなんだ」と無難な返事を返した。
リゼルが、ふと、地面に四つん這いになったままの青年を見た。
出迎えてくれた、青年だ。
「――で?」
低いリゼルの声に、まゆりの身体の奥が重くしびれる。
恐怖から、身体が硬直した。
「せっかくだ、まゆりにも聞いてもらおう。彼女もここで暮らすんだしね。さぁ、同じ報告をしてごらん?」
「――っ」
「どうしたんだい? まさか、覚えていないの? 記憶をいじってあげようか」
「も、申し訳ございません。すぐに、シューラー様へご報告させていただきます」
「うんうん、さぁ、どうぞ」
震える拳を握り締めて、青年がまゆりのほうへ顔を向ける。
出迎えのときはあまり意識しなかったが、随分とやつれた表情をしている。目の下の隈はくっきりとしているし、頬はこけていた。髪は撫でつけるように後ろへ流し、身だしなみは完璧だが、まとう雰囲気にはどうも覇気がない。
青年が口をひらいた。
「領主様がご不在のあいだ、ここひと月ほど、領内で盗賊騒ぎがございます。認識している件数は、四件。そのうち三件において死者が出ており、死者の人数は五人となります。生存者の証言によると、盗賊の人数は一人。大柄な男のようです」
「――まゆり、これを聞いてどう思う?」
まるで。
試すような口ぶりのリゼルに、まゆりは考える。
簡単に、考えを言葉にするのは簡単だ。けれど、リゼルはさっき、怒っていた。ということは、何かもっとまゆりが気づかない部分で、彼の怒りに触れることが起きているのだろう。
「……疑問点があるんだけど」
「なんだい?」
「ここは、リゼルが治める領地でしょ? 盗賊って、頻繁にでるの?」
「いいや、まったく。私は私の者を壊すやつを、許さないからね」
「……盗賊がでた時点で、おかしいと思う。それに、三件で五人の死者が出たってことと、相手が一人っていうのも違和感がある。標的が単体でないのに、盗賊は一人で襲ってるってことになるから。証言が本当だとすれば、だけど」
「うんうん、その通り。……それから?」
「……愚鈍な私にはわからない。でも、リゼルの領地で単身犯罪を犯すことの意味を考えると、何か裏があるのかもしれないって思う」
「そう思わせるのが相手の意図かもしれないけどね。まぁ、つまりはそういうことだよ、ペル」
ペル、と呼ばれた青年が、頭を床にこすりつけた。
「申し訳ございません!」
「これは、すぐさま報告してほしい案件だ。私に喧嘩をふっかけてきたということなんだからね。もちろん、君が一人で対処できるなら構わないよ。でも、何もできず手をこまねいているだけなら、何も出来ていないのと同じことだ」
リゼルの言っていることは、とてもよくわかる。
仕事をするのだから、報連相はとてつもなく重要となり、それがないと組織が崩壊しかねない。
けれど、まゆりはペルと呼ばれた青年のことを知らないし、まゆり自身が愚鈍ゆえに、いきなり高難易度の命令をこなせと言われれば、それこそ無理難題だろうと青年側の立場で考えしまう。
かつて、職場の末端として働いていたときの経験からだ。
それくらいできるでしょ、とか。
当たり前じゃないの、とか。
そういった言われ方をすると、胸が痛む。
聞いていない、と。教えてくれなかった、と。様々な腹立たしさが生まれる。
「ねぇ、リゼル。この人は、ここで働いている人?」
「ん? そうだよ。ああ、紹介してなかったね。えっと、ペル……なんとかだよ。私の身の回りの世話と、補佐をさせてるんだ」
「そう」
補佐なのに、名前さえ憶えていないのか。
つまり、リゼルにとって、彼はその程度――いや、王へさえ、馬鹿王と言っていたことから察するに、彼の中には基準があるのだ。
ペルは、リゼルの優先順位からかなり低い位置にいるのだろう。
ふと、ペルがまだ這いつくばったまま震えていることに気づいた。余程リゼルが怖いのだろう。なぜここで働いているのか疑問に思ったが、それぞれ事情があるのだろうと流すことにする。
「……ねぇ、ペルさん。その死者って、どんなふうに殺されたの?」
まゆりの質問に、リゼルが眉をひそめてペルを見た。
リゼルほど力がある者ならいざしらず、まゆりのように何もない娘からすると、相手がナイフで襲い掛かってくるのか、腕力でくるのか、そういった内容も気になってくるところだ。
「どうなんだい、ペル」
リゼルが、眉をひそめた。返事ないペルに、違和感を覚えたためだろう。
やがて、ますます震える声で、解読さえ億劫なほど哀れに震える声で、ペルが答えた。
「……死者は、みな、ミイラのように干からびて発見されております」
ふと。
部屋の空気が、変わった。
次の瞬間、ペルの身体は跳ね上がり、重厚な本棚に激突する。反動で、本が落ちて床に散らばった。
「――なぜそれを言わない!!」
謝罪する力もなく、ペルは呻くだけだ。やっと絞り出した謝罪の言葉なのかもしれない。
「リゼル、どういうこと?」
「その盗賊は、魔法使いだ。しかも、おそらくだが、特異種の可能性がある」
「特異種?」
リゼルは、盛大にため息をついて前髪を書き上げると、やたら細工の凝った椅子へ腰を下ろした。
「魔法使いは希少だけど、そのなかでも希少な種類があってね。何度も言うけれど、魔法は万能じゃない。魔法使いにはそれぞれ、得意分野があるんだ。……まぁ、今は特異種についてだね。もし、生者が一瞬にしてミイラにされたのだとすれば、私が知る限りで思い浮かぶ魔法は二つ」
リゼルは、空中に指を突き出すと、文字を書くようにふった。
異国語だろう言葉が、リゼルの指の動きとともに、空中に現れる。
「一つは、天異術。これは、もはやおきて破りの存在だ。人の命を操る魔法で、過去に置いてもたった一人しか存在してない魔法使いで、人の生死に直接介入することが出来る」
「……人の命に」
「そう。魔法使いは万能じゃない。人の生死に関わる魔法は、使えないんだ。私も例外じゃない。――でも、例外がいる。さっきも言ったけど、魔法使いには得意分野があるんだ。そのなかで、生き物への干渉を得意とする魔法使いであれば、命命術を使える」
「めいめいじゅつ?」
「例えば、怪我を治したりね」
え、とまゆりは自分の手を見た。
怪我を治す、という行為は、これまでにも繰り返し行ってきたことだ。孤児院で、子どもたちが熱を出したり怪我をしたりするたびに。
まゆりの様子に、リゼルが息をつめたのがわかった。
「覚えがあるのかい?」
「うん。孤児院にいたころ、何度か怪我を治したことがあって――」
椅子が倒れた。
勢いよく、リゼルが立ち上がったのだ。
「まゆり」
「な、なに」
「二度と、使ってはならない」
「……治癒を?」
「そうだ。魔法は万能じゃないんだよ。天異術とは違い、命命術はいずれ術者に返ってくる魔法だ」
「私が、大怪我したり、死んだりするってこと?」
「どのような形で返ってくるかはわからない。かつて、命命術は万能とされ、命命術師が力を誇った時代があった。相手の命を救うことも、奪うこともできるのが命命術だ。当時は誰も、その魔法に副作用や反動があるなど知らなかったんだ、愚かなことだよ。そして、その事実に気づいたときには遅かった。……命命術は、命を扱う。その危険性を考えていなかった。……結果、魔法の反動で、死よりも惨い目に合った魔法使いが大勢いた」
死よりも、という言葉の意味が、まゆりには理解しかねた。拷問とか、そういった種類のことだろうか。
まゆりは、自分の両手を見た。
「でも私、それしか出来ないの」
「ああ、今は問題ないよ。魔法使いはね、師をとるまでは自分に魔法使いの素質があることさえ気づかないものなんだ。私が手取り足取り教えてあげるから。きみはいわば、真っ白な状態だ」
リゼルはそう告げると、ふぅ、と息をつく。
「だが、もし私の領土で命命術を使っている者がいるとすれば、すぐに対処しなければならないね」
いつもの軽い口調とはほど遠い、ぴりっと緊張感が含まれた声音に。
まゆりは、ぶるっと身震いした。