第一章《4》 まゆり、乾燥無花果を差し出す
寝る前のトイレを済ませて、野営地へ戻ろうとしたとき。
すっかり眠気を払拭していたまゆりは、違和感を覚えて背後を振り返った。真っ暗な闇のなか、太い幹を自慢げに見せつける大木があるだけだ。
一瞬、誰かいるような気がしたけれど、気のせいだったか。
森のなかは、薄暗い。
早く、視界の開けた川辺に行かないと、なんとなく怖い。
(ん?)
ふと、足元に赤い実を見つけた。果実だろうか。何気なく身を屈めてじっと見るが、残念ながらそれは、へびいちごだった。毒はないが、食べれる代物ではない。
(まぁ、地面に生えてた時点で予想はしてたんだけど)
何しろ、ここは異世界。
まゆりの想像をはるかに凌駕するものが、存在する可能性だって多分にあるのだ。
身体を起こしたまゆりは、ふいに、すぐ傍の大木にナイフが刺さっていることに気づいた。さっきまでなかったはずだ。ナイフは美しく研いでありわずかな月明かりのなかでも反射して光ってみえる。
さっきからあるとすれば、気づかないはずがない。
「……?」
何気なくナイフを手に取る。触ってから、魔法の存在する世界で不用心だったかと思ったけれど、触ってしまったものは仕方がない。引き抜いて、すぐ近くで見ようとした、そのとき。
「──お前のすべてを、貰おうか」
闇夜に相応しい、地を這うような声が聞こえた。息を止めたまゆりは、止まってしまったのではないかと思えた心臓が、早鐘をうつのを複雑な感情で感じる。
(びっくりした)
こ んな夜中に背後から声をかけられるなんて。
振り返ると、漆黒の鎧に身を包んだ者がいた。腰には複数の短刀を帯びている。鎧について詳しくないまゆりだが、その漆黒の美しさに一瞬だけ目を奪われた。
だが、すぐに我に返る。
「あの、あなたは?」
「名乗る必要はない」
「聞き間違いじゃなかったら、私のすべてってことだけど。間違いならごめんなさい、えっと、ナンパじゃなくて、野盗ってことでいいのかな」
「……。……ああ」
何その間。まゆりは、ゆったりしているように見せつつ、必死に頭を回転させる。
そして、ごそごそと自分の懐を探った。
唯一持っていたのは、夕食のとき、おやつにしようと残しておいた乾燥無花果だ。
まゆりは、それを漆黒の鎧へと差し出した。
「私をあげることはできないの。私は、これから魔法使いになるんだから」
ローグには、感情というものが欠落しているらしい。
生まれた時から、気味が悪いと扱われ続けて、三歳になる前に捨てられた。
ローグを飼おうとする者もいたが、ローグの理解力のなさや言葉と行動のちぐはぐさ、圧倒的すぎる強さを持て余し、やはり捨てざるを得なかった。
単身、ローグは生きてきた。ローグに対して喧嘩を、あるいは死闘を望むものを倒し、身ぐるみを剥いで。ときに、自分から盗賊として旅人の荷物を奪うこともあった。相手が抵抗すれば殺すし、許しを請うのなら見逃してやった。
すべては、ローグが生きるためにやっていること。
そしてその生き方は、これからも変わらない。
今日も、ローグは盗賊として人を襲う。モンスターを襲ったところで素材しか手に入らないし、人を襲うのが、その日生きる糧を手に入れるのに、もっとも手っ取り早い。
力を誇示したいわけではないし、あくまで、戦利品目的だ。
だから、夜盗として夜に旅人を襲うことにしている。
ヴァルギス帝国より西へ向かう大森林、その真ん中を突っ切る一本道がある。この道を横断するのが、西方へ向かう最も近道だ。近隣には、道と並行するように町が点在しているが、様々な事情から町へ降りれない者も多い。
そんな裏事情のある行商人こそ、狙い目だった。
やつらのところには、腐るほどのカネがある。食べ物がある。かつてローグを飼おうと試みた男も、行商人だった。戦の火種を自分から植え付け、まるで慈悲深い神のような顔をして武器を売りつけるのだ。
だから、この近辺で立派な馬車をひくやつは、あくどいやつ。
ローグはそう認識している。
けれど。
(……あの馬車には、二人しか乗っていないのか)
ローグが、行商人を襲うために身を潜めていた近くに、馬車が停まったのは夕暮れどきのことだ。自分が追うのではなく、馬車のほうから停まったのだから警戒するのは当然だろう。
馬車に乗っているのはどうやら二人。
青年と少女だ。
どちらも白を基調とした衣類をまとっており、ひと目で身分ある者だとわかる。男のほうは、能面のような顔をしているので、もしかしたら魔法で作られた人形かもしれない。
少女のほうが、衣類こそ立派だが、どこにでもいそうな娘でしかなかった。
だが、ローグに迷いはない。
行商人でなくとも――ただの旅人であっても――襲うことは、間違いではないと考える。世間は弱肉強食で、生きるために他者を襲うのは、当然の権利だ。
近くにローグが身を潜めていることに気づかないまま、陽が暮れて、男が馬車に戻る。どうやら少女のほうは外で眠るらしい。
こんな場所で、護衛もなしに二人きりで旅など、常識で考えるとありえない。
となれば、何か強大な力を持っていると考えるべきだろう。
そう。
例えば――魔法使いだとか。
そんな希少種がそうそう存在しないことは知っているけれど、どうも行動に踏み出せない。迷っているうちに、眠ったと思っていた少女が突然起き上がった。そのまま森のほうへ入っていく。
(なんだ? 俺に気づいたか)
訝りながらも、辺りを警戒しつつ、少女を追う。
見失ったかと思ったが、すぐに少女を見つけた。どうやら厠へ行ってきただけらしく、衣類を整えながら戻ってきたのだ。
ローグはするりと身を潜め、少女を動きを観察する。ふいに、少女がこちらを振り返った。まるで、何かに気が付いたかのように唐突な動きだった。
今、青年と少女は離れた場所にいる。
もし強大な力を持っている者たちならば、離して襲ったほうがよい。
ローグは、常備しているナイフを握り締めて、狙いをすまし、少女の頭へめがけて投げた。
ナイフは少女の頭に突き刺さり、真っ赤な血肉をまき散らす――などということはなく。
すん、と軽やかな動きで身をかがめた少女を通過したナイフが、木の幹へささった。
(避けた……のか)
先ほど、少女が振り返ったのは、やはりローグの存在に気づいたからだったのだ。
だが、それならばそれでよい。
これまで力でねじ伏せてきたように、一塁の希望を問いかけ、手を取れば飲みがしてやる。拒絶すれば、命ごと屠るだけだ。
「お前のすべてを貰おうか」
そうして、ローグは少女の前に姿を現した。
少女といくつか言葉を交わしたのち。
「私をあげることはできないの。私は、これから魔法使いになるんだから」
そんな言葉を告げて、少女はローグに木の実を差し出した。
鎧の下の片眉をあげる。
ローグは、頭がさほど良くはない。
戦いに関してはそれなりに知識があるが、人や社会というなかでのルールや常識を、学ぶ機会がなかった。学ぼうとも思わない。
だが、そんなローグであっても。
少女が差し出した木の実が、乾燥無花果であると気づいた瞬間。
それの意味するところが、理解できた。
「お前は、俺をからかっているのか」
「からかってないって。今はこれしかないの。あなたに、あげられるものが」
「……正気か」
「もちろん」
ローグは、じっと少女のなかの乾燥無花果を見つめる。
乾燥無花果とともに告げられた、これから魔法使いになるという言葉。あれは、少女の未来をローグに伝えたということだろう。
ローグは、長い沈黙の末に踵を返した。
「……わかった」
ぱっ、と少女が笑みを浮かべる。
「だが!」
その喜びに釘をさすように、ローグはひと際声を荒げた。
「今は、受け取らん。いずれ、俺から奪いにいく」
「そんなに欲しいのっ!?」
「――っ、今回だけは見逃してやるということだ!」
まるで、負け犬の捨て台詞のようだ。
こんな言葉は、これまでずっと、ローグが吐かせる側だったというのに。じりじりと後ろに下がると、そのままローグは少女の前から姿を消した。
この世に生をうけて、三十年ほど経つが。
こんなにも手に汗握ったのは、生涯でも数えるほどしかない。
なんだか、もやもやとした気持ちがする。
悔しさか、歯がゆさか、怒りか、わからない。
そもそも、自分に感情などあったのかと、驚いた。
「ごちそーさま。いやぁ、まゆりは料理も出来るんだねぇ」
「それ、四日目だから。四回目じゃなくて、四日目。毎日言い過ぎ」
「そう? 歳をとると、物忘れがひどくてねぇ」
朝食のサラダやパン、チーズを食べ終えたリゼルは、うーんと大きく伸びをした。
「速度加速魔法を使ってるとはいっても、まだ数日かかるからね。体調には気を付けるんだよ」
「わかった。あ、そうだ。デザート代わりに、これ食べる?」
リゼルが用意した食料にあった、乾燥無花果。
袋に入れて置いたそれを一つ掴んで差し出すと、リゼルがこぼれんばかりに目を見張った。
「デザート代わりに? んん? それ、一応食材なんだけど。単体で食べるのかい? 私が?」
「あ、お偉い貴族様には、難しいか」
「何気に馬鹿にしてないかな、それ。……まぁ、でも、さすがに受け取れないねぇ。それの意味は、理解しているのかい?」
意味? と首をかしげる。
どうやら乾燥無花果を差し出す行為には、意味があるらしい。
そういえば、昨夜出会った盗賊らしき漆黒の鎧も、この無花果を見て驚いた素振りを見せた気がする。
「これは、お前のすべてを自分のモノにする、っていう、求愛だよ」
「……え」
「まぁ、実際にやるやつなんて、早々いないけどね。一夫多妻制が取り入れられていたころ、妾を増やすための手段だったそうだ。乾燥無花果をおくって、それを相手が食べたら告白成功ってね」
「それって、この世界だと常識なの?」
「世界規模でいうとわからないなぁ。でも、少なくともヴァルギス帝国で暮らす人々にとっては、空気を吸って生きるくらいには当然の知識かな」
よくわからない常識が出てきたことに、まゆりは眉をひそめて手の中の無花果を見た。
どうやら、それのおかげで昨夜は助かったらしい。無知ゆえの幸運といえるか。いや、そもそも、これこそケンタウロスが与えてくれた幸運なのかもしれない。
しばらく昨夜のことを考えていた、まゆりだったが。
(うん、忘れよう)
考えると疲れることは、考えない。
それが、この世界で生きていく秘訣だからだ。