第二章《9》 背水の終結
すっかり闇に包まれた森林へ、気配を隠すことなく透は歩みを進める。
落ち合う先は決まっており、油断をするわけではないが、相手が自分に歯向かうことはないと考えているために、透は堂々とした風体で、待ち合わせ相手の男の前で進み出た。
大木の影に、身をひそめながら立つ漆黒の鎧男が、透を見据える。
鎧に隠れている表情は伺いしれない。
この男には、今回の事件を一端を担うよう、話を持ち掛けた。当然ながら全貌を話すほど愚かなことはしない。この男の役割は、透が領地へ侵入する際に利用した女の監視。
そして、まゆりへのちょっとした嫌がらせだった。
協力者はほかにもいる。ミイラ化した、形だけの妻の傍で、透の偽物として泣き役の男もそうだ。どの協力者も、カネで雇ったに過ぎない、いつでも切り捨てることのできる相手だ。
「ほら、約束の報酬だ」
カネは前払いで渡してあるため、残りの報酬、武器を投げて寄越した。
両手剣はガシャンと音をたててスライドし、ローグの足元で止まった。
この男ローグは、第二の村で、まゆりと話していた。
まゆりがとても親密そうな、好意を寄せる笑みを浮かべていたのをよく覚えている。まゆりの片恋だとしたら、面白い。
「なぁ、ローグ。お前の噂は聞いてる。随分と強いらしいじゃねぇか。人を屠るのも、ためらわないんだって? いいなぁ、そういうの。俺、お前のこと結構好きかもしんねぇ。これからも俺と組まないか? 悪いようにはしねぇよ。マージンは、正しく分けるさ。ピンハネなんかしねぇよ」
透は、堂々とした風体で、ローグの元へ歩み寄った。
「今回は、ただの見張りだったけどよ。次は、お前の腕を見込んだ仕事だ。もったいねぇよ、お前の力をただの盗賊で終わらせるなんて」
背の高いローグを見上げて、手を差し出す。
まゆりよりも背の高い透だが、長身であるローグの前では赤子のようだ。だが、まだ成長期ゆえ、透の背はまだまだ伸びる。
そう、透の人生はこれからなのだ。
ローグは、透の差し出した手を取らない。
透は、肩をすくめて手を引いた。
「まぁ、お前が誰とも慣れあわないのは知ってるさ。他者を信じない冷やかな言動、そこが気に入ってんだ」
ローグは、初めて顔を動かした。
足元の両手剣を眺めて、それから、透へ視線を向ける。
「お前たちは、ここで何をしている。目的はなんだ」
「詮索しねぇ約束だろ?」
「知らん」
「暗黙の了解ってやつだ。だがまぁ、今後も行動を共にするんだ、多少は話しても構わねぇか」
透は、来た道を振り返った。
つられてるように、ローグもそちらを見る。薄暗い夜道が、木漏れ日のように月光を地面に映すさまは、ある意味神秘的で、不気味だった。
「俺の目的は、魔法アイテムだ。これがなきゃ、始まんねぇ。どうせ手に入れるなら、最高級のアイテムがいいだろ? だから、白銀の魔法使いが隠し持ってるっていう、『狂気血族のペンダント』を奪いにきた」
「……大がかりな盗みだな」
「俺は、頭脳戦が得意なんだよ。相手はあの白銀の魔法使いだ、正面から奪うなんて不可能なことくらいわかってるさ」
「あの娘は、どうした」
「あ? ああ、まゆりか。あいつなら、小屋の下敷きでつぶれたな」
ローグの身体が、露骨に跳ねる。
動揺している様子が見て取れて、透は、やや幻滅した。動揺は、足元を救われる。かりに動揺したとしても、相手に悟らせないべきだろうに。
透のそんな考えは、次の瞬間、吹っ飛んだ。
何が起きたのかわからずに、無意識に胸を押さえた。息苦しくて、うまく呼吸ができない。
ローグに、長剣の柄で殴られて、身体ごと大木の幹に叩きつけられたのだ。
そう気づいたが、呼吸が出来ない身では、防御は愚か言葉も紡げない。
ローグは、巨体からは想像も出来ない身軽さで、透が来た道を戻って行った。
「けほっ、はぁ、馬鹿力め」
ローグがいなくなった方角を見据え、舌打ちをする。
話では、他者に心を開かない男であり、条件の良しあしで仕事を選ぶと聞いていたが。どうせ手を組んだとしても、駒の一つとして使い捨てるだけだ。
手に入らなかった使い捨て駒を、深追いする必要もない。
透は、にやりと笑みを浮かべて、立ち上がる。
「目的は達成した。さて、戻るか……師匠のもとへ」
*
月明かりに照らされた白銀の人物は、とても美しかった。
性別はわからないが、整った見目は人形のようで、どこかで見た覚えがあるが、今のローグに考える余裕はない。
白銀のマントのその人物の腕は、まゆりを瓦礫の中から抱き上げるところだった。
つぶれた小屋の中から助け出されたまゆりは、夜目でもわかるほどに負傷している。白い頬を流れる血は、ざっくりと避けた頬から滝のように流れていた。
自分はいつだって、考えが足りない。
カネで雇うというやつが現れたから、雇われた。まゆりのもとへ行きたくて殺しから足を洗ったローグにとって、殺しではない条件下での雇用は歓迎できるものだったのだ。
けれど、結果はどうだろう。
自分は本当に愚かで、何が愚かなにかさえもわからない愚か者で、存在自体が、不要なのかもしれなかった。ただ生きていくだけの日々さえ、彼女の傷つけてしまうのだろう。
白銀のマントの者は、まゆりを抱き上げると、踵を返す。
遠くなる背中を、ローグは何もできず、ただ眺めていた。
「ん、なんだい? え、さすがに無理があるよ。折れてるかもしれない、うん、たぶん折れてるよ、これ」
白銀のマントの――声音からして男だろう、が、言う。
まゆりの細い手が、彼の衣類を強く握り締めているのが見えた。
ふと、男がローグを振り返った。
身体ごと振り向いたために、まゆりの顔がよく見える。まゆりは、力ない笑顔を浮かべて、ローグを見ていた。
「無事でよかった」
その言葉は、まゆりからローグへ向けられたものだ。
「いなくなったから、心配してたんだ」
「まゆりの知り合いかい?」
「うん。私が領地へ呼んだの。勝手なことをしてごめんなさい。……数少ない友達だから、一緒にいても、いいよね?」
「ねだり方がうまいなぁ、まゆりは」
白銀の男は、苦笑を浮かべる。
整いすぎた顔は、苦笑一つでも絵になるが、ローグの視線は食い入るようにまゆりに向いていた。彼女の言葉すべてが、ローグの身体にしみわたる。
熱を持って全身を覆い、衝動のまま叫びそうになるのを歯をかみしめて堪えた。
白銀の男は肩をすくめると、ローグへ言う。
「さぁ、帰ろう。きみもおいで、まゆりの友人ならば、我が家で暮らすことを許可しよう。もちろん、働いてもらうけどね」
ほっとした表情のまゆりは、ローグを見て益々笑みを深める。
白銀の男の衣類を硬く掴んでいた拳が解かれて、ローグに差し出された。
「いこ、ローグ」
こうして、手を差し伸べてくれる相手が現れることを、ローグが望んでいた。
時分は愚鈍で底辺の人間だから、相手を選ぶことさえおこがましと思っている。だが、透に手を差し伸べられたときは、微塵も心が揺らがなかった。手を取るなどという考えは、頭をかすめることさえなかった。
なのに、今自分に差し伸ばされた手は、大きくローグの心を揺さぶる。
(なんて、尊い)
まゆりの手はとても綺麗だ。
あの手に触れたい。でも、触れれば、穢してしまいそうだ。
もし、初めて会った日。
相手がまゆりではなく、透だったならば、ローグは確実に興味をもたなかったことだけは言い切れる。透が乾燥無花果を差し出したところで、微塵も心が揺さぶられないだろう。
「ろーぐ?」
まゆりに呼ばれて、ぐっと拳を握り締める。
意を決して、ゆっくりと歩み寄り、まゆりの指先に触れた。
甘いしびれが全身に広がる。
まゆりは魔法使いだと言っていたが、そういう魔法なのかもしれない。
もしこの感覚が魔法なのだとしたら、劇薬でも構わない。
もっと、このしびれを欲する自分がいた。




