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天異術師まゆりの物語  作者: 如月あこ
14/21

第二章《5》 白と黒

 その日は、天候に恵まれていた。

 まゆりは、覚えたての字の読み書きを駆使して、過去に流行ったという恋愛小説を読んでいたが、あまりにも天気がよいので、ペルソンドの元へ向かった。

 彼は今頃、庭で仕事をしているだろう。


 やはりというか、庭で木の手入れをしているペルソンドを見つけて、まゆりは足を止めた。

 ローグを村に引き入れたのは、ペルソンドだろうという確信を得てから、なんとなく、顔を合わせずらい。どうやって引き入れたのかまでは、わからない。だが、ペルソンドはローグを紹介するとき、リゼルの名前を使ったのだ。

 まゆりは、リゼルの弟子としてここにいる。

 そして、師が、ローグへ転居を許可した形跡や記録はない。


 まゆりは、目を伏せる。

 敵や味方、白や黒、有ると無い、ゼロとイチ、そういった二択で、物事を選択したくはない。

 まゆりの師はリゼルであり、それは後ろ盾と同義だ。今の、何もないまゆりにとって、リゼル以上に失って困るものなどない。

 でも。

 顔をあげると、ふと、ペルソンドがこちらを振り返った。

 驚いた顔で、額をぬぐっていた手を止める。


 まゆりは、無理やり笑みを浮かべて、いつものように傍へ歩み寄った。


「シューラー様、いかがされましたか?」

「いい天気だなぁって思って。少し、出かけない?」

「第一の村、ですか」

「うん。忙しい?」

「構いませんが」


 ペルソンドは、口ごもるように言葉を途切れさせたが、すぐに頭をさげた。


「失礼いたしました。すぐに、準備に取り掛かります」

「ありがとう。馬でいこう、馬小屋で待ってるから」

「かしこまりました」


 まゆりは、ペルソンドの後姿を見送ってから、馬小屋へ向かった。

 気のせいかもしれないが、ペルソンドのほうも、まゆりを避けているような違和感がある。といっても、まだローグの件があってから三日しか過ぎていないし、まゆりの思い込みかもしれない。


 だが、ほんの三日で、以前よりもペルソンドの目の下の隈が濃くなったのは、間違いない。やつれたような表情は、日に日に強くなっている。


 馬小屋までくると、馬の世話をしていた使用人が顔をあげた。

 古城で住み込みで働いている女性使用人三人のなかの、一人、リンだ。

 リンはまゆりを見て驚いた顔をしたが、すぐに姿勢を低くして頭を垂れた。


「リンさん、馬を貸してもらえる? 村へ行くの」

「すぐに準備いたします。……あの、シューラー様おひとりですか?」

「ペルさんと!」

「ああ。……では、頑丈な馬を準備いたします」


 リンは頷くと、すぐに馬を選び、鞍や手綱の準備をはじめた。

 まゆりは馬に乗れないので、馬小屋へ来た時点でリンが不審がるのも当然だ。そっと馬小屋を覗き込めば、家畜独特の匂いや馬蹄のあとが見られて、なんとなく感慨深いものになる。

 乗馬体験、という活動を、仕事で行ったことがあった。

 あの頃は、毎日がつらかった。

 上司との関係に、接客内でのトラブル、モンスターと呼ばれる保護者の方々との関わりなど。

 てきぱきと馬を準備するリンへ、まゆりは呟くように言う。


「仕事、しんどくない?」


 弾かれるように振り返ったリンは、まゆりの姿を見ると、目を瞬いて苦笑した。


「しんどくはございません」

「そうなの?」

「私たちは、領主様にとっていくらでも替えが利く存在です。機嫌さえ損ねなければ、雑用さえこなしていれば、よい給金がいただけますので」

「……ここでの住み込みでしょう? それに、リゼルの独断で連れてこられたって聞いた」

「独断。そうともいいますが、私はこうして家畜の世話ができるので、とても有意義な日々を過ごしておりますよ」


 微笑むリンの表情は柔和だった。

 嘘を言っているようには見えないけれど、人の本心は言葉でいくらでも誤魔化せる。


(私、スレてるなぁ)


 自分の考えが嫌になってくる。

 ここへ来てから、随分と打算的になったうえに、卑屈さや狡猾さが現れてきたような気がした。


(それも、いいかもしれない)


 このまま、自分の利益を追求して、やりたいことだけをする人生も。目的が明確だし、自分の好きなことをするのだから、リスクだって受け入れられるだろう。

 誰かのためだとか。

 こうしなければならないからとか。

 そういった考えで日々を過ごすと、心身ともに疲労していく。

 かつてのまゆりが、そうだったように。


 ペルソンドがやってきて、馬にのって村へ向かった。

 二人乗り用のがっちりとした馬には、まゆりが先に乗り、まゆりを抱えるようにペルソンドが乗るのだが、馬上へ上がる際、ペルソンドがやや顔をしかめたのをまゆりは見逃さなかった。


 充分な栄養と運動、躾を受けた馬は、快調に村への道を進む。

 やや傾斜になった坂道を、ぐんぐんと。

 走らせはしない。

 速足で、さくさくと進ませるのだ。


 お互いに無言だったが、もうすぐ村へ着くと言う頃、まゆりから口をひらいた。


「ペルさんは、リゼルのことが……憎い?」

「いいえ」


 きっぱりとした、声音だった。

 まゆりは、はっと顔をあげる。


(……なんだ。そっか)


 目の前が、ちかちかと光ったような気さえした。

 まゆりは、恥じ入って俯くと、唇をかみしめる。


「シューラー様?」

「私、てっきりペルさんがローグを雇って、何かするんだと思ってた」


 ぴく、とペルソンドの身体が震え、手綱を持つ手が強く握られる。馬が停止して、ペルソンドの大きな心音が伝わってきた。


「……私の嘘は、やはり、見抜かれていたのですね」

「リゼルの名前を出すからだよ」

「申し訳ございません」


 まゆりは、首を振る。

 ペルソンドが嘘をついたから、だから、自分の敵だと決めつけていた。

 嘘をつくのは、後ろめたいからだとか、騙してやろうとか、そういった意図があるからだと思っていたからだ。


 でも、そうとは限らない。

 すべての嘘が、悪意あるものだと決めつけるのは、間違いだ。


 まゆりは、背中を凭れさせた。

 ペルソンドがまた、大きく震える。

 少し上を向くと、背の高いペルソンドの顔が見えた。


「ここ、二、三日でやつれたねぇ、ペルさん」

「……そう、でしょうか」

「うん。規則正しく生活できてる?」

「あまり眠れていませんが」


 ふと、ペルソンドが笑う。


「今夜は、よく眠れそうです」

「それはよかった!」

「やはり、シューラー様はとてもお優しくご聡明であられますね」

「……え?」

「もしや、あなた様も私を、その、悪鬼のように扱うのではと……少々、怯えておりました」


 家族が粛清されて、一人だけ生き残ったペルソンドは。

 村人から、迫害に近い扱いを受けてきた。

 彼の中には、恨みや悲しみが詰まっているだろう。それでも、リゼルのもとで雑務をこなし、木々に触れて剪定をし、まゆりに字の読み書きを教えてくれる。

 とても、強くて、綺麗な人だ。


「ペルさんは、真っ直ぐだね。私も、見習わないと」

「シューラー様は、とても美しいお心をお持ちです。僭越ながら……そのままで、よろしいかと」


 ぶわっ、と身体が震えた。

 無性に、穴を掘って隠れたくなる。


 ついさっきまで、ペルソンドを疑って。

 自分のやりたいことだけをして生きていこうかな、と考えていた自分を、消し去りたい。


 まだ出会って間もないまゆりのことを、ペルソンドは信じてくれている。

 心が綺麗だと、言ってくれた。

 ならば、その気持ちに、全力で答えたい――そう思ってしまうのは、単純すぎるだろうか。


「ねぇ、ペルさん。私、魔法使いになるね。すごく沢山の魔法を覚えて、それから」


 まゆりは、語る。

 理想の国を。

 皆が、小さな幸せを胸に抱ける国を。

 喧嘩もあるし、たびたび事件も起こるだろう。それでも、戦火といった大きな争いがない、衣食住に恵まれた、そんな国が欲しい。


 そんな国を手に入れるのは、夢のまた夢だ。

 ただの魔法使い見習のまゆりには、実現できるだけの力がない。皇帝であったとしても、思うように国を築けるわけではないのだから、理想の国など、出来るはずがないのだ。


 それでも。

 まゆりは、語る。


 いつか、力をつけたそのときは。

 皆が笑える、国を作るのだ――と。

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