第二章《4》 歯車は、動き出す
まゆりは、今日の分の読み書き勉強を終えると、ちらりと読み書きの師匠であるペルソンド──ではなく、リゼルの使い魔であるバルテンを見た。
褐色肌をした背の高い青年で、がっちりとまではいかないが、恰幅のよい体躯は、ボクシング選手のようだ。
表情は、機械のように無表情。長めの髪を、トカゲの尻尾のように後ろでくくっている。
まゆりは、渡された資料や教科書を片付けながら、もう一度バルテンをみる。
彼は、言葉が極端に少ない。使い魔ではあるが、普段は馬として生活してるためだろうか。
そう、リゼルとまゆりが乗る馬車を、王都から領地まで引いてきたのは、彼なのだ。リゼルには絶対服従だが、簡単な命令しかきけず、考えて行動することが難しいという。
だが、字の読み書きは出来るし、戦闘に置いては近接で役にたつのだとリゼルが言っていた。
馬が人の形をして、二足歩行で、言葉をしゃべっている。
そんな奇怪な現実に対して、驚くことほど無意味なことはないと、まゆりも経験から学んでいた。
ここで起きることは、そういうもんなんだぁ、と受け流すに越したことはない。
「ねぇ、バン先生」
「……なんでしょう」
バルテンは、微かに眉をひそめて返事を返す。
バルテンは、まゆりが「先生」と呼称をつけることを嫌っているようだ。それを知っていて、今回、あえてそう呼んだ。
まゆりには、ある目論見があるのだ。
まゆりは、無邪気さを装って、ぐっと顔を近づけた。
えへへ、と笑ってみせる。
「そろそろ、私もリゼルの役にたてるかな?」
「わかりかねます」
「リゼルは、今どこ? 執務室?」
「……視察に出かけられたと聞いています」
まゆりは、そっかぁ、と唇を尖らせる。
バルテンにお礼を言って、今日の読み書きの授業を終えた。自分の部屋に戻ると、教科書諸々を机におく。
深く息を吐き出して、うーん、と伸びをしながら、口の端を歪める。
バルテンに、いきなりリゼルの所在を聞くのは不自然だ。自然でかつ、理由を問いただされない状況、つまりは早くまゆりの前からバルテンが立ち去りたくなるような場面をつくればいい。
まゆりは、自分の画策をすぐに頭から消し去った。
このくらいのことで、自分を褒めるのは愚かだ。
そもそも、今のまゆりはただの愚者でしかない。
自分が考えた作戦がうまくいっていることに喜んだが、結局は、言動で他者を出し抜いているに過ぎない状況なのだ。それを愚者ではなく、なんといえよう。
(今は、やるしかないんだから)
自分自身に言い聞かせて、思考の海に沈む。
今、リゼルは不在だという。
何人かの使い魔を従者として連れていっただろうから、古城に残っているのは──。
まゆりは、あれやこれやと考えたのち、行動を開始した。
早く動かなければ、リゼルが戻ってきてしまうかもしれない。
まゆりは最上階まで行くと、リゼルの部屋のドアをノックした。
返事はないが、誰もいないとは言いきれない。使い魔が、仕事をこなしている可能性だってあるのだ。
もう一度ノックする。
やはり返事がない。
「リゼル、いるー?」
明るく声をかけるが、それに対する返事もなかった。
まゆりは、「開けるよー」と一言断りを入れてから、ドアノブをひねった。
ドアが開き、見慣れつつあるリゼルの部屋が視界に広がる。さっと視線をすべらせて、使い魔がいないことを確認した。
そこからの、まゆりの動きは早かった。
すべての棚をあけて、書類の配置を確認する。
必要な月日の資料を取り出して、目的の箇所をそれぞれ確認していく。どれもこれも、まゆりの想像通りの事柄が記載されており、唇をかむ。
まゆりが確認したのは、ミイラ化した被害者たちの状況及び――最近、村へ転居してきた者たちについて、だ。
転居してきたものは三人。
少ないように思えるが、ここ三か月ほどの間に三人も転居してきているのは、多いほうだ。昨年まで遡っても、転居してきたものは、この三人以外にいないのだから。
そして、当然ながらこの三人のなかにローグはいなかった。
つい昨日、リゼルが訪ねてきたときに聞いたことが、引っかかっていた。彼は前科者を認めないし、転居には制限を厳しく設けている様子だった。
だが、ペルソンドはローグが転居してきたといった。
そこに、今回の事件のカギがあるのではないだろうか。
とはいえ、犯人は悪魔だとリゼルは言っていた。悪魔側に何かしらの魂胆はあるようで、そこまで明確には出来ないが、犯人像は悪魔で間違いないとのことだ。
(だったら、ローグは関係ないのかな)
何かを、見落としているような気がする。
ざっくりとした事件なのに、ねっとりと蜘蛛の巣にからめとられていくような不快感を覚えてしまうのは、なぜだろう。
「おや、まゆりじゃないか」
ふいに。
ドアが開くと同時に、隠れる間もなくリゼルが入ってきた。
どうやら、帰宅したらしい。
まゆりは、にっこりと微笑むと手元の資料を、リゼルに少しだけ見せた。転居者リストはとっくに元の位置に戻したので、手元にあるのは、一連の事件の資料だ。
「あ、おかえり。ごめんなさい、気になっちゃって」
「ああ、事件のことか」
リゼルは、苦笑するとまゆりのほうへ歩み寄ってきた。
どこか疲れた様子なのに、衣類に乱れの一つもない清廉さで、まゆりの抱きすくめた。
「はぁ、きみには癒されるねぇ」
「リゼル」
「んー? 恥ずかしい? 照れてる?」
「どうして、悪魔は第六の村へ行くの?」
「……ツンデレかな?」
「そういうのいいからさ」
「まゆりって、本当に読めないねぇ」
まゆりを腕から解放したリゼルは、いつも座っている執務用の椅子に座ると、長い足を組んだ。まゆりを手招きして、膝に座るように言う。
リゼルの言うことは絶対だ。
どれだけえらそうなことを言えても、それは彼が寛大ゆえに怒らないだけ。不快にさせるような命令違反を、よく思うはずがない。
まゆりは、大人しくリゼルの膝に座った。
背中を向けたら失礼になると思って正座をして向き合う形になったのだが、軽く眉をひそめたリゼルがまゆりの腰を抱いて、くるりと反対向けた。
まゆりの背中と、リゼルの胸がくっつく状態になる。
「第六の村にはね、希少な品々を貯蔵する宝物庫が隠してあるんだ。それも複数のね。どうやら悪魔は、そのなかの一つ、血肉素材が置いてある古の大聖堂が気になるようだ」
「宝物庫。……ふむ」
まゆりの脳裏で、いつだったか図書室で見た領土の地図と、第六の村の場所を照らし合わせる。古城から第二の村までの距離から計算すると、わりと遠いだろう。地図では直線で見積もってしまうので、実際に行くとなれば、予想よりも時間がかかると思われる。
「悪魔って、リゼルの領土に侵入できるものなの? こう、結界とかで通れないとかないの?」
「魔法は万能じゃないんだよ。あいにく、領土全体を覆う結界はない。魔法力の消耗もすさまじいしね。それぞれの宝物庫には、個別に結界をはってある。特殊な道具を用いるか、私自身が自ら破らない限り、結界は宝物庫を守ってくれるよ」
なるほど、とまゆりは脳裏に「第六の村には宝物庫たくさん、結界有」と知識に吸収する。
迷ったが、ローグのことはまだ報告しないでくことにした。
リゼルの膝のうえで、事件の概要を聞きながら、まゆりは思う。
ローグと会ったときの、反応といい。
おそらく――いや、ほぼ確実に。
ローグを村へ招き入れたのは、ペルソンドだろう。
ペルソンドはそれなりによい給金を貰っている。にもかかわらず、身なりはあまり新調されていなかった。仕送りする身内もいない。
では、その給金はどこへ行ったのか。
貯蓄という線もなくはないが、貯蓄しているならば、目的があるはずだ。
例えば、そう。
カネで動く何者かを雇う、とか。
とはいえ、ペルソンドの目的がわからない。ローグを雇ったとしても、まゆりはローグと一度、王都からの道中で会っている。つまり、リゼルが不在中に起こった事件に関して、ローグは関わることが出来ないということだ。
それに、悪魔の出現。
そこにも、ペルソンドは介入しているのだろうか。
まゆりは、ここへ来てからの思い出を振り返る。
思い出のほとんどは、ペルソンドとの記憶だ。
ふと、苦笑する。
本当に自分は、人付き合いが苦手だ。
(さて、なんと切り出したものかな)




