第二章《2》 必然の再会
ファルリア地方には、十個の村が存在する。
そのなかにある、古城から二番目に近い村でその死体は見つかった。
泣き腫らした目をした女性がしゃがみ込み、彼女の傍には幾人かの村人が慰めている。
リゼルとともに、第二村までやってきたまゆりは、正面からミイラ化した遺体を見てしまい、顔を顰めた。
初めてミイラを見るが、骨が浮いているわけではなく、皮膚が骨にくっついている見目だ。よく、ミイラのような老人と比喩されるが、とんでもない。本物のミイラは、しわくちゃを通り越して、骨に沿って干からびた皮膚はガサガサだ。
リゼルは、大小二体のミイラの傍にしゃがむと、手を翳した。何をしているのか皆目見当もつかないが、何か大切なことをしているのだろう。
まゆりは、そっと、こちらを遠巻きに伺う村人たちを──そして、殺気のこもった目でリゼルを睨む、泣き腫らした目をした女を見た。
(なんだか、危険な匂いがする)
そう、思った瞬間。
女は、ギリギリと歯を食いばって、目に付いた手のひらサイズほどの石へ飛びついた。石を両手で持ち、リゼルへ向かって走り出す。
まゆりの隣を通り過ぎる際、まゆりは、彼女の足を引っ掛けた。
ゴシャ、と奇っ怪な弟をたてて、女が派手に転ぶ。それにしても、この地方では石を殺傷に用いるのが普通なのだろうか。
まゆりは、転んだままの女へ近づいた。幸いにも、石はあらぬ方向へ転がっていき、リゼルとその使い魔も振り返らない。気づいていないというよりも、興味がないようだ。
共として来ていたペルソンドがまゆりに対して「危険です」と制するが、構わず女の側へしゃがみこむ。
「リゼルが憎いの?」
「当たり前じゃない!!」
倒れたまま、女が吠える。地面を握り締めた彼女の爪が、土に複数の線を描く。綺麗とは言えない働き者の手だが、土まみれになると、やや哀れに思えた。
「こんな目に合ってるのも、領主様が管理できていないからよ! 私の夫と息子を守れなかったのに、のうのうと生きてるなんて可笑しいわっ!」
「領主だから、民を守って当たり前だって?」
「そうよっ! そのために、あたしたちは働いて得たお金を、品を、年貢として払ってるんだからっ!」
まゆりは、額を抑えた。
つまり、税金を収める義務は果たしているのに、安全保障の権利が得られていないと彼女は言いたいのだ。ここが日本ならば、一理あるかもしれない。現実的に保障の実現が厳しい場面であっても、憲法やら法律に当てはめて、裁判にも持ち込めるだろう。
けれど、ここは日本ではない。
「領主様は、あたしたちを守ってくれるものでしょ!? なのに――」
「それって、誰が決めたの?」
まゆりは、冷ややかだ。
家族を失った辛さは、まゆりにはわからない。突然平穏が壊れる恐ろしさならば、わからなくはないけれど。
彼女の気持ちがわかるなんて、おこがましいことは言わないし、言いたくない。
だが、たとえわかったとしても、頭の冷静な部分で、彼女の行動を否定しただろう。
「そもそも、領主って支配者でしょ? 彼はあなたたちを守る立場じゃなくて、支配する立場なの。重い税を課したり、戦に駆り出したり、衣食住も侭ならない生活を与えることだってできる。なのに、それをしないのはどうしてだと思う?」
女は、訳が分からないという顔をしている。
返事は聞かずに、まゆりは続けた。
「リゼルが収める地方は、皆、裕福だよ。安全面も申し分ない。もしここが嫌なら、ほかの地方へ移住したらいいじゃない。税率五割を超えるところだってザラだし、子どもが七歳を迎えずに餓死するところだってある。ここ以外の地方で、今みたいに安全で衣食住に困らない生活ができるなんて思わないほうがいい。……でも、リゼルを恨んでここを離れたいなら、出て行くといいよ」
まゆりは女を睨みつけて、それから、周りの村人を見た。
「領土を統治するのは、リゼルの役目。あなたたちがそれに不服で、従いたくないのなら、移住なさい。あなたたちは、リゼルを糾弾する立場でもなければ、権利もないんだから」
ひっ、と、地面に倒れたままだった女が顔をあげると同時に、体をのけぞらせた。
よく見れば、鼻から血が出ている。コケた時にぶつけたのだろう。
そもそも、リゼルは領土に戻ってからすぐに調査を始めていたし、村には警戒するように支持も出していた。リゼルはしっかりと動いている。
村人の数人が死んだところで、捨て置け、と調査もしない貴族なども、多いだろうに。
「……シューラー様」
ペルソンドの控えめな呼び声に、はっ、とまゆりは顔を上げた。どうやら、かなり怖い顔をしていたらしい。
「ご、ごめん。つい語っちゃって」
「領主様への殺人未遂として、連行致しますか」
「えっ!? や、えっと、待って。決まったわけじゃないし」
ペルソンドが当然のように女を捕まえようとするのを制したとき。
リゼルが、腰を上げた。
ミイラに翳していた手を、使い魔の少年が差し出した絹のハンカチで拭きながら、ため息交じりに告げた。
「悪魔の仕業だね」
え、とまゆりの口からまぬけな声が漏れた。
予想外の言葉すぎて、思考がついていかないのだ。
「あくま? って、あの、悪魔? 天使の反対の?」
「天使の反対かはともかく、これは悪魔の仕業だ。悪魔の気配が残ってる」
リゼルは、見えない糸をたどるかのように目を眇めて、視線を遠くへずらしていく。
「まだ近いね、領土からは出ていないらしい。次の獲物を狙ってるのかもしれない」
「その悪魔が、一連の犯人ってことだね」
「さぁ、どうだろう。何にしても、このまま見過ごすわけにはいかない。追いかけるよ」
リゼルが、視線を少年の使い魔へ向ける。
少年は頷くと、姿を馬へ変えた。陽光で煌めくほど、毛並みが艶やかな美しい漆黒馬だ。それを見ていた村人から、驚愕とも悲鳴ともつかない声があがる。
リゼルは馬にまたがって、まゆりを見下ろした。
「少しでかけてくるよ。なるべく早く帰るけど、しっかり勉強をしておくんだよ?」
「うん、わかった。いってらっしゃい」
柔和に微笑んだリゼルは、まゆりに軽く手をあげて、馬を走らせた。
姿が見えなくなって、まゆりは胸中で息を吐く。
泣き続ける女に、遠巻きにこちらを見つめる村人たち。まゆりの傍には、ペルソンドがいるが、他に共はいない。
集団で襲われたら、間違いなく逃げ切れない。
「……おい、悪魔って」
村人の一人が、こらえきれないと言ったように、口にする。
「この村に、悪魔が潜んでるっていうのか?」
「なんでそんなものがいるんだよ!」
「怖くて出歩けないじゃないか!」
「仕事はどうするんだ、材料の調達は!?」
口々に不満を言う村人を、まゆりは一瞥した。
彼らは、それでもなお、不満を言うのを辞めない。徐々に、波のように彼らの不満が広がっていき、怒気に変わっていく。矛先は、領主であるリゼルだ。
集まっている人々の、それらの言動に、まゆりの苛立ちが募っていく。
何を言っているのだろう、この人たちは。
リゼルの迅速な対応を、見ていたはずなのに。
「――うるさい!!」
まゆりの一括で、その場に静寂が戻る。
村人の視線が、まゆりに向く。先ほどから、村人はまゆりのことを奇異な目で見ていた。おそらく、誰だこいつは、という意味だろう。
このままでは、まゆりの言葉は彼らに届かない。
部外者が何か言ったところで、当事者には伝わらないことを、まゆりは身をもって経験している。
「私は、領主であるリズル・アーケロシス伯爵の弟子。今の彼の迅速な対応を見て、その不満を言っているのなら、彼に何を望むの? 安全とか平和とか、ぼんやりしたものはいらない。領主自ら現場に赴き、原因を探り、自ら対処に動いた。これ以上にやるべきことがあるの? 具体的な策があるのなら、言いなさい」
村人たちは、ぐっと言葉をつまらせる。
さらに何か言い募るかと思ったが、村人たちは黙ったまま何も言わなかった。言えないのかもしれない、さすがに彼らとて、身分差を理解しているのだろう。
まゆりは、今なおしくしくと泣く、被害者遺族の女性の傍へしゃがんだ。
「調べさせてくれてありがとう。遺体はもう、弔ってもらっていいよ。あなたが調べさせてくれたから、犯人の痕跡がつかめた」
ここへくる途中、死者は発見するなり、すぐに弔う風習があるとペルソンドから聞いていた。
調べるなど、遺体を放置するなど、それ自体が死者への冒涜であると。
リゼルの命令で、遺体を確認するまで、弔いを待ってもらっていたのだ。それが、彼女の怒りを冗長させる一端を担っていたのだろう。
(石で領主を殴ろうとするくらいだもんね。説明不足だったのかも)
まゆりは立ち上がり、周りを見る。
村人たちが、困惑した目でまゆりを見ていた。
まゆりは、何も言わずにその場から立ち去る。彼らに届く言葉を、今のまゆりは知らない。環境や性格、そして彼らが学んできたことは、まゆりの立場とは大きく異なるのだ。
だから、先ほどは立場上リゼルを擁護するようなことを言ったが、まゆりが彼らの立場であったなら、同じように考えていたかもしれない。
領主は、民を守るもの。
それは、理想だ。
今の、この世界では、その理想が実現されている地方は極端に少ないのではないだろうか。そしておそらく、その少数に、ここ、リゼルの治めるファルリア地方も入っている。
難しいことを考えていると、なんだか頭が疲れてきた。
ぶんぶんと頭を振って、強引に思考を追いやる。
古城までは徒歩で戻るが、実はわりと遠い。歩いているうちに、このもやもやとした思考は消えてくれるだろうか。
ここへは、リゼルが魔法で作り出した馬に乗ってきたのだが、到着するなり馬は消えてしまったのだ。ちなみに、馬に乗れないまゆりは、ペルソンドと二人乗りでやってきた。ゆえに当然ながら、ペルソンドも徒歩帰りだ。
「ペルさん、歩いてどれくらいかかる?」
「一時間、といったところでしょうか。どこかで馬を調達致しますか」
「ううーん、嫌がられそうだから、やめとく」
ペルソンドが、苦笑する。
最近、彼の表情が柔らかくなったように思うのは、接する機会が増えて、彼の表情が少しずつ読み取れるようになったからだろう。以前に比べて、話す機会も増えた。字の読み書きについては、リゼルの使い魔からも教わっている旨を告げてある。
それでもなお、復習になればと、ペルソンドはまゆりの字の教師を続けてくれているのだ。わかりにくい部分など、使い魔には質問しにくい部分は、ペルソンドから教わっている。
「ゆっくりと歩いて帰ろっか」
「はい」
第二の村を出ようかというとき、ふいに、遠巻きにまゆりを見ている男に気づいた。
最初は、見間違いかと思った。
だが、振り向くと、その男は間違いなく――いや、おそらく、間違いなく、あのときの夜盗だった。漆黒の鎧をまとっており、顔もすっぽり隠しているので正直本人かどうかを確かめることはできないが、体躯といい、立ち姿といい、あの男だろう。
(どうして、ここに? この村の人間だったの?)
まゆりの視線を追いかけたペルソンドが、眉をひそめる。
「あれは――」
「知っているの?」
「ええ。最近、領主様の許可を得て、村へ越してきたものです。随分とたいそうな鎧でしたので、覚えております」
「……確かに、たいそうな鎧だねぇ」
まゆりは、それならばと、漆黒の鎧男のほうへ歩みを進めた。シューラー様! と慌てたように追いかけてくるペルソンドの言葉は、聞こえないふりをする。いい加減、彼の中でまゆりは「我儘娘」のレッテルをはられそうだ。
漆黒の鎧男は、わりと早い段階でまゆりに気づいたようだ。
若干身構えているが、その場から立ち去ることはない。
「こんにちは」
傍まで行き、声をかけた。
(この綺麗な鎧、やっぱりあのときの人だ)
「お久しぶり、私のことを覚えてる?」
「……ああ」
以前の記憶のまま、低い声が返事を返す。
ぱぁ、とまゆりは微笑んだ。知り合いのいない土地ゆえ、旅路に一瞬だけ会った相手だろうと、しかも盗賊だろうと、知り合いに会うと嬉しい。
「この村へ越してきたの?」
「そうだ」
「……へぇ」
そういえば、この男は盗賊だ。しかも、手慣れている様子だったと記憶している。
この村は、前科もちでも受け入れるということだろうか。リゼルの移住許可基準とやらを、聞いてみたい。まゆりはいまいちリゼルのことがわからないままなので、今後、良好な師弟関係を気づいていくには――お互いに利益のある関係を築いていくには――もう少し、彼を知る必要があるだろう。
無駄に殺戮をするような魔法使いではないと思うが、命を大事にしているふうにも思えない。
「お前……なぜ、ここに」
(あ)
少し思考の海に沈んでいるうちに、酷く目の前の漆黒の鎧男が狼狽していることに気づいた。
「私も、ここへ越してきたの」
「なんだと? ま、待てなかったのか。追ってくるなどっ」
(あ。あああああっ!)
無花果だ。
乾燥無花果の件だ。
あれが、尾を引いているんだ。
何やら誤解されている様子ゆえに、なんとか誤解を解こうを口をひらく。
だが、それを、漆黒の鎧男が手で制した。
若干挙動不審になるまゆりとは対照的に、男は意外なほどに落ち着いている。
「俺は、ローグ。今は、名前しか言えない」
「……あー、うん。あの、えっと。あのね」
「言うな。……あまり、慣れないんだ。言わせないでくれ」
ぽりぽりと鎧の上から頬を姿は、どこをどう見ても、照れている。
(全然落ち着いてなかった――っ!)
むしろ、男の――ローグの言葉は、後半小さくなっていったがゆえに、聞き取りづらいほどだ。どうやら相手は緊張もしているらしい。
奇妙な沈黙が下りて、なんだか、誤解だと言い出せない雰囲気になってしまった。
別の意味で焦り始めたまゆりは、なんと言うべきか逡巡したのち、まったく関係のないことを口にする。
「い、今は、なんの仕事をしてるの?」
「………………言えん」
(地雷だった!?)
もしかして、まだ盗賊をしているのだろうか。決まった定職のない人に、仕事何してるの? という質問は地雷だ。確実に地雷だ。いや、盗賊をしているままならば、この村へは入れないだろう。とならば、求職中ということか。
変な汗が流れ始めて、まゆりは軽く手をあげた。
「じゃ、じゃあまたね。いこ、ペルさん」
そそくさとその場を退散したまゆりは、自分が「幸運」だと思っていた事柄が相手にとっては運命を左右する一大事であったのかもしれない、と背筋に冷たいものを感じた。
遠くなるまゆりの姿を見据えていた少女――透は、口の端を吊り上げた。
僅かに空いた口の隙間から、犬歯が見える。
「まゆりじゃねぇか。あいつ、生きてたのか」
これは、本当に偶然なのか。
それとも――必然か。
透は、まゆりの姿が見えなくなると、彼女が視界から消えるまで見つめていた漆黒の鎧男へ視線を移した。
二人が何を話していたのか、透の位置からではわからない。だが、まゆりのほうは随分と慌てていたようだ。気が利かない神経の図太いやつだが、八方美人でもあるゆえ、どうせ相手を気遣って何かつまらないことでも言っていたのだろう。
(だが、まぁ……ふん)
漆黒の鎧男に関して、透は見覚えがあった。
いわゆる職業斡旋所の一郭にある討伐ギルドにて、賞金をかけられている「窃盗犯」だ。めっぽう腕がたつらしく、しかも狡猾だと記載があった。報奨金は高くないが、報奨金は基本的に相手の残忍さに比例している。
狡猾ということは、利益目的での窃盗なのだろう。
(はははっ、面白いじゃねぇかよ)
透の、命と人生をかけた博打の真っ最中に、まゆりがおり、そしてまゆりと知り合いらしき懸賞金首がいる。
決まりだ、これは偶然などではない。必然であり、運命なのだ。
にたぁ、と笑った透は、頭の中であらゆる計算をしつつ、これがよいという結論を導き出す。そして、この計画にこの男も加わってもらうことにしようと、漆黒の鎧男に向かって一歩踏み出した。




