取締の仮面Ⅷ『脆弱な正義』
――正義…。正義とは、何か――…。
お前の正義は何だと問われた事があった。
その時は、何一つ反応することはできなかった。
それは、自分の未熟さもあったのだろう。正義と言う言葉の本質を、俺はまだ知らなかった。
なら、今の自分であれば分かるのか? そんな事はない……かな?
そもそも、正義なんて言葉は……。正義と言う魔法の言葉を口にして、さも自分が正しいと信じて疑わない者達がこぞって自分の正義を主張しあう時に多用されるだけの言葉だ。
そこに、正義なんて不確かな物はない……。
――人の数だけ、死があり……生がある。
――人の数だけ、悪が生まれ、闇が存在する。
――人の数だけ、夢が生まれ、心が存在する。
人の数だけ正義があって、人の数だけ争いが起こる。
他人の主張を否定し、自分の主張を押し通そうとする数だけ口論が生まれる。そして、人はやがて『武器』を手に取る。
心の隙間を埋め合う様に、男女が結ばれ子供が産まれるように――…。
人と人と関係も星の数ほど存在し、その関係を巡って人は争いを生み出し、自分達を傷付け合う。
大した事でも無ければ、争い事が起こるほどの事でもなくとも、この世界に人が生き続ける限り。――争いなんて物は消えない。
今思えば、人に本当の正義とやらを尋ねている人間は、単なるバカと言える。
「そこに、正義があるのか!」
――あるわけ無いだろう。鬱陶しい……。
「アナタには、正義の何たるかを教えて差し上げましょう!」
――余計なお世話だ。アンタもそれほど大層な正義じゃないだろ?
「私は、悲しいです。先輩の正義が人々を苦しめる結果何て……」
――悲しいのは、お前だけだ。誰も傷付かない正義なんざ、存在しない。
「君の正義は、見ていて虫酸が走るよ。他人を踏みにじった先に、真の平和は存在しない!」
――知ってるか? お前の正義で、少なくとも1人以上は人生を踏みにじられている事を……。
「貴様の正義は、敵を多く作るぞ。それでも、その修羅の道を歩むと?」
――今さら引き返して何になる。進む事でしか、この罪は消えない。
……目を閉じれば、そんな戯言のような言葉が鮮明に浮かび上がる。
白色の仮面に飛び散った血液と共に、拳銃を握る拳に力を入れ……その引き金をゆっくりと引いた。……あの日の自分が目に浮かぶ。
今から2年前、当時の反仮面の中でも逸脱して強かった部隊があった。……強かったと言っても、その強かった部隊が諜報部隊で、諜報部隊所属の人間が鎮圧部隊の人間よりも強いのはどうかと思った。
諜報部隊は、暗殺、情報収集、情報操作と言った裏での仕事がメインだ。
そんな部隊の人間が、普段から厳しい訓練に勤しんでいる筈の鎮圧部隊よりも強ければ、諜報部隊以外の者達からは良くは見られない。見られる筈がない。
そんな力を持ち合わせた諜報部隊は、自分達の『正義』を掲げていた。
『――平和と人々の為に』
夢物語に出てきそうな甘ったるい言葉を胸に、世界平和とやらの為に毎日のように、平和の為に奮闘していた。
階級の差など関係なく。悪さや法律を犯す者達を摘発し、罰する。
それが、世界の平和へと繋がると信じていた。
――だが、俺達は上層部と世界に裏切られた。
俺自身の聞いた話でも手にした話でも無いが、王と呼ばれる階級の者達の中に『連邦国家』と暗躍し、私利私欲で『平民』や『農民』階級の生活を脅かそうとしていた。
幾度も行った潜入や過度な調査が原因で、諜報部隊は一夜にして消えた。
王達の命令と上からの圧力によって、本当の悪を裁けずに消えた。
野放しになった王と連邦の人間が、力を強め平民階級に今以上の徴税と農民階級には過酷な労働を義務付けた。
多くの者達が苦しみ、不満を溢すがいつしかそれは当たり前となり、不満を口にした者達は気付けば消えていた。
恵まれた環境下で、豊かな暮らしを満喫する者達と、過酷な義務に耐え続ける者達。
この浮遊都市の中で、幸せがあると思っている者達は見ないフリをしているだけだ。
豊かな生活を見てしまえば、羨んで今の生活が苦しくなる。だから、誰も階級を気にしない。
与えられた役目を黙々とこなして、都市の歯車として動き続ける。
「脆弱な正義ですか……。なら、私の正義のどこが、脆弱だと言うのですかッ!」
玲奈が鋭い剣幕で俺を睨むが、所詮はその程度だ。本当に自分の中の正義があると言うのであれば、最後まで絶望せずに居て貰いたい。
俺は、無理だった――…。
先輩達に逃がして貰い。後日、生き残った先輩達の光の消えた瞳と、その口から溢れた言葉――。
『正義って、何だろうな。真昼……。今の普通な生活を壊してまで、暴く真実ってのは本当に必要か? きっと、俺達の勝手な妄想で、俺ら以外は望んで無いかもな……』
聞きたくなかった。尊敬して、その絶対の自信と自分の正義を貫ことしていた先輩の衰弱した。覇気のない顔と言葉に……苛立った。
だが、心のどこかで思っていた。自分の正義なんて、第三者の誰かからしてみれば、ただの迷惑かもしれない。
今の贅沢さえ我慢していれば、苦しくもない普通な生活を崩して、多くの者達を巻き込んでするほどの事か?
でも、俺の答えは1つだ。先輩の背中を見て、俺の中の絶望はそこに置いてきた。
2度と絶望も挫折もしない。なぜなら、俺の目指す平和は――全てを壊す事でしか成り立たない。
階級、王、数ある浮遊都市、全てを敵に回してもこの平和は成し遂げる。
心の中で、答えを再確認して正面に見据えた玲奈に目的を告げる。
「俺達の目的は、現在の浮遊都市。すべての『王と女王』の撤廃。そして、連邦国家が定めた『階級制度』の崩壊だ。待っている未来が、混沌だろうが混乱だろうが……。俺らは、王達に見下され、支配された生活を壊す。それが、最終目的だ」
机に座って、玲奈と同じ目線に合わせて話す。
「まるで、革命ですね。この都市の経済の要と生活の要を破壊する。ですが、それでは都市に生きる人達に被害が出ます! それに、その行為に何の意味があると言うのですか」
「意味のある無しじゃない。元々、連邦国家だけで良かった。王や女王なんて必要無い。ただ、危険な仮面能力者達を抑え込む為なら、反仮面鎮圧部隊があるだろ? 仮面能力者達が活発化しないように、都市を複数個に分けて、王達が危険な仮面能力者を圧力で抑え込む。だが、そんな物は現在は機能してない」
玲奈の眼下に男が地図を広げ、自分達の居る都市もその周辺に浮かぶ小さな浮遊都市。
そして、ここと同じ規模の十二の浮遊都市で起きた犯罪と仮面能力者による乱闘などが記された地図を見て、玲奈は思わず目を背けた。
「現状は、連邦も王も機能していない。している都市はごく僅か……。残りは、連邦と王達の専属となった犯罪者共が我が物顔で暴れる環境……。これを見て、革命は必要ないと言えるか?」
「ですが、一般市民に被害が――」
玲奈の言葉を遮るように、男は机を叩き粉砕する。
赤く光る瞳を玲奈は見て、全身に悪寒を覚え思わず後ずさる。
「……俺らは、真の平和を手にする為なら、一般人が何千死のうが構わない。それで、平和でにはいるのであれば……喜んで俺らは命を差し出す。私利私欲に呑まれ、力でしか都市を操れないゴミから、都市を解放する。それが、俺らの目的だ」
「では、その後は? 解放後に、また新たな王が現れないと言う保証もありません。その後の浮遊都市を、どうやって守って行く気ですか?」
玲奈の言葉に男が黙ると、玲奈が鋭い眼光で睨む。
すると、割って入るように鬼の仮面を着けた男が『すこし、暑くなりすぎだ』と2人を落ち着かせる。
鬼の仮面能力者が言うには、今すぐ王達を全員失脚させる必要はなく。
確実に裏を取って、どこの誰がこの現状を作り出しているかを見付ける。
それが、現在の自分達のすべき事だと告げる。
目的は述べた通りだが、それはあくまで『目標』であって、自分達の『目的』は、格差のない社会であった。
階級による職業の固定化を廃止し、自由な世界と暴力に怯えない社会を望んでいる。
それを聞いて、玲奈は考える時間を欲しいと告げ、この場から去っていく。
地下に来た時同様に、玲奈は虎の仮面能力者の後ろを付いていく。
粉砕されたテーブルを見ながら俯く真昼に、賢治が思わずその胸ぐらを掴み上げる。そのまま真昼の頬を殴り飛ばし、壁に真昼を叩き付ける。
「……頭は冷えたか? これは、この都市や他の都市を今よりももっと平和にする為の戦力を集める為の会議だった筈だ。なにムキになってンだよ。――この作戦は、2年前の復讐じゃねーんだよッ!」
賢治が仮面を乱暴に外し、舌打ちと共に扉を蹴り開け消えていく。
仲間達も部屋に真昼を残して、出ていきベッドの上で仮面を外した真昼が、本来の仮面を着ける。
その形は動物の『鳶』を表しており、頬に広がった紋様は青紫色に色付いていた。
『姉弟仲良く、動物系のしかも鳥系統か? なぁ、もしかして……空とか飛べるか?』
『隊長……。鳥だからと言って、空を飛べるとは限りません。もし、そうだとしたら、魚の仮面の隊長が泳げない筈ありませんよ』
女性と隊長が笑って、俺と姉の仮面能力を笑ってくれた。
姉のような便利な能力ではなく。使い方も知らずほとんど使えず、仮面装着時の恩恵である。身体能力だけで、動いている自分とは雲泥の差が、隊長や先輩達とあった。
そんな、昔の事を思い起こしながら、真昼は日が傾き始めた都市を見下ろす。
25区内で最も高い高さを誇る廃れた電波塔の先端から、次々と光を灯す都市を見下ろす。
風が真昼を揺らし、電波塔へと1人の人影が登って来ることに気付いた真昼は仮面を外し、先端部から降りる。
真昼の前に現れたのは、心配そうな表情をした七条 空であった。
虎の仮面を外し、真昼の前に立って言葉を詰まらせていた。
「なぁ……。覚えてるか? 隊長が俺に質問した内容……」
「えぇ、覚えてます。隊長は、真昼さんの正義に関して、何度も尋ねてましたね」
真昼が手すりの上で膝を抱える。それは、昔から馴染みの深い七条が知る真昼の癖の1つである。
きっと、真昼も玲奈が尋ねた。我々の『目的』と過去に尋ねられた『正義』に付いての質問が混在している。
故に、真昼も何が正しいのか分からなくなっていた。玲奈の『正義』の脆弱さを口にして居るにも関わらず、どこが脆弱なのか言葉に出来ない。
「そもそも、私達の正義は脆弱以上に破綻してます。まず、目的とその先の未来が平和じゃないですもん。玲奈さんの言った通り……。先の事なんか、全く気にしてませんでしたね」
「確かにな…。革命で、王達を退かせて階級のない格差のない社会を作ろうと声にして、夢を掲げても、実際は混乱と破滅を後押ししているだけかもな……」
真昼が手すりの上に立ち上がり、顔の前で手を仰ぎ、青紫色の炎が顔を覆うと、鳶の仮面が真昼の顔を覆っていた。
――正義の答えは分からない。だが、今のこの世界に平和も正義も無いってのは確かだ。
なら、壊して作り直すのが、俺らの役目だ。壊して、壊して、新たな風をこの都市にもたらす者に、未来を託せば良いだけだ。
この都市をより良くする方法なんて、俺1人が頭を抱えても出ては来ない。
なら、別の頭の良い奴に都市の未来を任せて、この腐った浮遊都市の闇を俺らで払い落とせば良い。
この星空の様に、誰か1人ぐらいは優しい正義を持った奴は居るだろう。……後輩ちゃんの様な『脆弱な正義』を持った奴が――…。