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ストーリー短編小説集

【ハナクソの国】

作者: 84g



 マスク越しに吸うララヌムタンの空気はとても澄み切っているように感じたが、間違ってもマスクは取りたくは無かった。

 空港で土産がてらに買ったゴーグルに砂粒が張り付く。なるほど、確かに砂が多い。


 まずは、とばかりに俺はタクシーを止めた。

 内装は予想よりはキレイだが、日本の物に比べると旧式というか、ロマンティックだった

 ドアは自動で開いてアコンも入っているようだ。シートは端が切れてシートベルトはひとつ金具が見当たらなかったが。

 ドライバーの若い女性はステキな笑顔を浮かべていたし、英語も聞き取りやすいものだったので、不満は無い。


「ララヌムタンにようこそ! どちらまで?」

「リュウゼンホテル、まで頼む。ベーフドウィンに有る有名なホテルらしいのだが」

「リュウゼンホテルなら三〇分くらいですね。お客さん、中国の人? 韓国?」

「いや、日本人ジャパニーズだ」

「ジャパン、ああ、ニッポンですね。アニメの国、でしょ?」


 面白がりながら、私はイエスと頷いた。

 英語は準公用語のはずだが、ジャパンと云う呼称よりニッポンという言葉の方が浸透しているのは、外国ではよくある現象なのだろうか。ギャップが有って面白い。

 ここ、ララヌムタン共和国は地球の裏側、赤道直下というにはズレているが、南国とは呼べる温暖な国。

 公用語はベドッレ語。

 しかし第一次世界大戦において中央同盟国側として参加していた経緯から列強国の支配を受けている時期が長かったことで、九割方の国民が英語を習得している。

 特別な訛もなく日本式英語ノン・ネイティブしか喋れない私でも会話には困らない。

 日本に居る間にウィキで調べた情報だが、首都はベーフドウィン。国民一千万人、GDPは中の下。


「日本の人はあんまり来ませんけど、来るのは大変じゃ有りませんでした? 前に友達が旅行しようと計画したら……」

「乗り継ぎが三回有ったよ。一回、ここの上を通過して、遠くの空港に下りてから戻って来る、とかね」

「らしいですね……今日は? お客さん、観光ですか?」

「どっち、だろうな。仕事ではないが、ただの趣味というわけでもない」

「? お客さん、何の仕事されているんです?」

「歌手だ。それなりに食えている」


 私の言葉に、キョロキョロと彼女はバックミラーを覗き込みはじめた。

 最後に大きく運転席から私の顔を覗き込み、運転が大丈夫かと不安になるほどに私の顔を眺め、興奮した様子で前を向き直っり、そして叫ぶ。


「もしかして、タツユキ・アキヤマさんですかっ?」

「? 俺を知っているのか?」

「汎用最終食品ズババンの主題歌を歌った方ですよね! 映画館に三回行きましたよ! 感動しました!」


「……空を駆け抜ゥーけて♪ キミのキミのキミのー♪」

「瞳にぃーだけー、残っていたいー! そしてー、今だけはー、今こそはー♪」

『喰らえ喰らえー♪ 喰い破れぇーッ♪ 俺と君と明日のた、め、にーッ♪』


 それは、何年か前にアニメとタイアップして出した曲だった。

 日本ではあまりファンからリクエストされない曲だったこともあり、少々驚いた。


 俺の名前は秋山達行。

 名前をどこかで聞いたことがある、と思うかもしれない。一応シンガーソングライター。

 アニメとタイアップしていた、さっき運転手ちゃんと歌った曲はギリギリミリオンヒット。

 俺の中ではそこまで売れていない方に分類される曲だった。


「凄いなァ! 本物のズババン! あとでサインお願いしても良いですか?」

「もちろん大歓迎、だけど、前見て運転してもらえるかい? 結構ビビっていたよ俺」

「日本を代表するアーティストじゃないですか! 今日は? お仕事ですか?」

「さっきも云ったけど、半分趣味で半分仕事だね。最近はヒット曲らしい曲も出なくなってしまって、そのインスピレーションを出しに来たんだよ」


 使い切れないカネ、憧れていた人との対談、良い友人、ファンからのメッセージ。

 最高の人生だと思っている。だが、俺は時代を代表する音楽家、であって、一〇年後、二〇年後に懐かしのあの曲、として扱われるような予想と実感も有った。

 自分の殻。音楽性の限界。全てを出し切ったような手応えは脱力感の同義語であり、創作の意欲だけが爆発する場の無いダイナマイトのように心の中に居座っている。


 ヒマなわけではないが忙しいわけでもないある日、スマートフォンでなんとなく自分の名前を検索してみた。

 虚ろに時間をネットの海に溶かしながらしたスクロールは、ある一文で止まった。



【Takayuki Akiyama's songs are sophisticated like Brggwreenvs!!】



 俺の歌を好きだと云ってくれているのは理解できたのだが、問題は【Brggwreenv】である。

 ネットで調べてみると、どうにもそれはララヌムタン共和国の伝統文化であり、カタカナ読みでは【バッガラン】というらしい。

 俺の歌がそのバッガランのように素晴らしい、ということなのだが、バッガラン?

 まずララヌムタン国自体を知らなかったし、バッガランなんてもっと知らなかった、


 ララヌムタン共和国。

 温暖な気候で頭から被るフードのような物が普及しているが、宗教的な理由ではない。

 外貨を稼ぐ主要産業のひとつが、ローメルというこの国の固有種の樹木から取れる樹液。同様の手順で採取されるメープルシロップに比べて甘さが弱く、独特の香りが有るらしい。

 日本では輸入コストと知名度の低さからメープルシロップが流通しており、時折輸入食品店に置かれることが有ったりする程度。

 しかしながら、欧米・アジアの一部では爆発的な人気を誇り、国家単位のプレミアムブランドとして販売されている……らしい。


 だが、そのローメルは多くの花粉を出す木としても知られる。

 ララヌムタンでは日本より少ないものの花粉症も知られている。

 スギ花粉ではアレルギー症状を起こさなくてもこちらでは起こってしまい、その後はスギ花粉も発症する、ということもあるらしい。

 そんな要因もあり、日本では観光先としては不安材料が強く取材すらされない国。それがララヌムタン共和国。


 日本から検索しても埒が明かないバッガランの正体を知るため、俺は旅行を決めた。

 俺の歌を理解しているファンのひとりが似ていると云う未知のもの。俺が新しいステージへ行くためのパーツのように思えている。

 決意の中、俺は苦戦しながら慣れない飛行機の予約をネットで取り、そしてもっと苦労しながらマネージャーやプロデューサーと戦い、休日をも勝ち取った。


「尋ねたいことがあるのだが、バッガランを知っているかい?」

「バッガランって、あのバッガランですか? もちろん知っていますよー」

「日本ではあまり浸透していないものなのだが、俺の曲がそれに似ていると云われてそれを観に来たんだ」

「確かに似ているかもしれません。なら、バッガラン展を観に来たんですか?」

「そんなのがやっているのか?」


 彼女は行ってみますか、と尋ねてくれた、俺はホテル行きではなく、そちらへ向かうよう首肯した。

 会場駐車場に到着後、自然と案内してくれないかと出た言葉がデートの誘いになっていると気付いたのは、彼女がドギマギしながら頷いた後だった。

 二人分の入館料を払い、俺たちはバッガラン展に入り……俺は目を見張った。


「あれが、バッガランか?」

「はい! とても綺麗でしょう? ほら、あれなんか、お客さんの歌に似ていると思いませんか?」


 それがなんなのか、見覚えは有るのだが、俺にはとても信じられなかった。

 バッガランは一センチほどで、表面に砕いたルビーの欠片のようなものが付いていた。

 だが、それは、どうにも、芸術品には見えなかった。有り得ないのだ。


「あれって……赤い石の付いている……なんだ?」

「バッガランですって!」

「……天然石か何かなのか?」

「バッガランが埋まっているわけないじゃないですか。バッガランは人間によって作られた芸術です」


 彼女はウットリした目で見ていた。

 その先には、乾いた脂の塊というべきか、茶色っぽいなかに白いものや黒いものがポツポツと見える。


はなくそに見えるのだが」

「ええ、そうですね。芸術性の伴わないものはハナクソと云います」

「芸術性が伴えば、はなくそではなく、なんなのだ?」

「ですから、バッガランですよ。私も今、造っていますよ」


 彼女がそう云って、小さな胸を仰け反らせ、自分の鼻腔を見せてくれた。確かに中にキラリと何かが見えた。

 つまり、ああ、なんということだろう。

 この快活なタクシードライバーの彼女は、鼻の中に鼻糞を貯め込み、それを誇らしい芸術だと信じているのだ。


「本当に、鼻糞なのか? 粘土や石膏ではなく、鼻糞?」

「はい!」

「――そんなものが芸術なのか?」

「そんなもの?」


 彼女は、私の語意を伺うように語気を強めていた。

 バカにしているのか、そうだとしたら、何をバカにしているのか、そんな思考が感じ取れた。


「……だって、そうじゃないか、排泄物だろう?」

「排泄物は芸術たりえない決まりがあるのですか? 日本では?」

「確かに、太古から動植物や虫の死骸を芸術と飾ったりする流れで、抜け殻など動物にとって老廃物を美術とすることもあるが……

 ……鼻糞だぞ! 苦労の伴わなず創作の余地のない、勝手に発生した塵じゃないのかっ!」

「長時間、鼻の穴に砕いたダイヤやルビーの欠片を入れたまま生活するのが簡単ですか?

 それに手で造る絵画や彫刻と違って急ぐことも修正も出来ません。

 鼻の中で長時間の精錬を要するバッガラニストは、血液や黄痰が混ざらないように体調管理も必要な、芸術家でありアスリートです!」


 彼女の言葉に攻撃的なものが混ざっていたことに気付いたが、それよりも先に俺が怒っていた。

 何に対して怒っているか、それが分からないが、そうだ。確かに俺は怒りを持っていた。

 俺の歌がバッガランに似ていると、バッガランそのものを認めることができないと俺の中で何かが怒りとして燃え上がっていた。

 そのことに気付いてか気付いていないのか、彼女は言葉を紡いだ。


「では――あなたの歌とバッガランは、芸術としてどう違うのですか?」

「俺は、俺の歌は、人を幸せにしている!」

「バッガランは見ていて私は幸せになります!」

「俺は歌で……文化を広めている!」

「バッガランは太古から伝わっている明確な文化です!」

「俺は歌で金を稼いでいる、ここに来るまでの、全てだ!」

「バッガランは十億ドル以上する物も有ります。

 多くの芸術に比べて道具もほとんど要らず、貧困層の出身者もバッガラン職人として身を立てている人も居ます。

 花粉が多いこの国(ララヌムタン)では鼻糞が多くなる国の風土も関係します。

 老若男女、貧富の差もなく、誰しもが自分の知らない自分をバッガランに見るのです」


 俺は、作曲したメロディに自信が有った。歌声も磨いてきたつもりだ。

 だが、それに絶対的な価値があることを証明できなかった。俺の音楽は他の音楽に比べてどう勝っているというのか?

 ファンが多ければ勝っているのか? 一度も人に聞かせていなければ、どんな天才も無価値になるのか?

 カネを稼げれば勝っているのか? スポンサーの力がセンスと同義だというのか?

 苦労し研鑽すれば勝っているのか? ただの自己満足の積み重ねであろうとも美しいのか?


 芸術とは何かが分からなくなっていた。

 ――いや、最初から分からなくなっていたから、俺はここに来たのかも知れない。


 少なくとも、俺の歌を良いと云ってくれた彼女は笑っていた。

 そして、それと全く同じ笑顔で鼻糞を見て、ウットリとしていた。




 三ヵ月後。

 俺は新曲を発表していた。



【バッガランの空】

 歌手・作詞・作曲 秋山達行


   夢の名前は バッガラン 空の向こうの笑顔の名前

   大地に魂が染みるように 空の心は夢に膨らむ。

   砂色の風が吹くたびに 膨らむ笑顔がバッガラン


   なにかをひとつ 守ることもできない人生だけど せめて抱いて バッガラン

   AH…… ララヌムタンの空を 新しい古里を見つめていたい

   バッガラン バッガラン バッガラン

   走り抜けるよRunaway 抜け出せない 何かの中 呼吸いきができなくて それでも僕はバッガラン(キミ)を守るよ。


   世界が夢から目を反らしていたと思っていた。

   けれど逃げていたのは僕だった。


   なにかをひとつ 守ることもできない人生だけど せめて抱いて バッガラン

   AH…… ララヌムタンの海を いつかの誰かを見つめていたい

   バッガラン バッガラン バッガラン

   走り抜けるよRunaway 抜け出せない 何かの中 呼吸いきができなくて それでも僕はバッガラン(キミ)を守るよ。


   みんなが夢から耳を閉じていたと思っていた。

   けれど音を立てていたのは僕だった。


   なにかをひとつ 守ることもできない人生だけど せめて抱いて バッガラン

   AH…… ララヌムタンの大地を 世界が全てそこに有った

   バッガラン バッガラン バッガラン

   走り抜けるよRunaway 抜け出せない 何かの中 呼吸いきができなくて それでも僕はバッガラン(キミ)を守るよ。


   

   ローメルの香りを抱いて バッガラン




 俺の最高の自信作に対して、ネットは『ハナクソはハナクソだ』という、芸術とは何かを理解していないファンを自称する連中の独善的かつ非建設的かつ蒙昧な言葉が感想という名目で溢れた。


 芸術のことをなにもわかっていない。ハナクソとはくらべものにもならない奴らだ。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 芸術の定義は難しいので考えさせられました。自分もハナクソはハナクソだろうと言ってしまいそう。 地に足のついた文章のおかげで、現実にありえそうな話に仕上がっていると思います。 荒唐…
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