第五十八話 泣く鬼と伏す龍
◇◇◇◇◇
棺の中から出てきたのは、絶世の美女と言えるほどの女性だった。その容姿はルチアによく似ている。
だがルチアより大人びているこの女性は、更に美しさを宿し、そして儚さも持ち合わせている。これが今の状況じゃなければ、俺も思わず見惚れていたに違いない。
いや、この状況でさえ少し見惚れてしまった。そしてこの隙は致命的だった。
「がっ!?」
一瞬の隙をついて、ランドルフが重力魔法で俺を這い蹲らせる。
「ぐ……ぅぅ……、てめっ、まだ余力が……!」
「これでも、序列一位でな。……まぁ、今ので魔力も使い切ったが」
ランドルフはそう言って、フラフラと女の元へ歩み寄る。
「あぁ、ああ!ナキ!俺は……ずっとお前に会いたかった!」
ランドルフは恍惚とした表情でナキに抱きついた。俺に背中を向けている。……舐めやがって。
「……ぅ、ぐ、くそったれがぁ、!」
骨が軋むのを無視し、俺は立ち上がる。ランドルフはまだ気付いていない。
「今度こそ……!」
俺はもう一度、二人に向けて手のひらを向けた。今撃てる全力の魔法を放とうとして。
と、そこで気付いた。ナキが虚な目で俺を見つめているのを。その生気を感じない目に、またも寒気が走る。
それは明らかに人間の目ではなく、彼女が冥府から蘇った存在であることを示していた。この美しい女性は偽りの存在であると、そう物語っていた。
「っ、ランドルフ!お前はこんなもののために、この国を敵に回したのか!?こんなもののために、ルチアを捨てたのか!?」
思わず、叫んでしまった。叫ばずにはいられなかった。
これで、ランドルフは満足なのか?これが、こいつの欲したものなのか?
「こんなもの?こんなものだと?」
ランドルフはゆっくりとこちらを振り返る。涙が浮かぶその目には、強い感情が渦巻いていた。
「当たり前だっ!お前は知らない!最愛の存在が消えてしまった時の絶望を!その絶望の中を生きる苦しみを!大切なものを天秤に掛けなければいけない現実を!人は常に何かを選ばなければならない!何かを捨てなければならない!俺だって!帝国に背を向けたくなかった!ルチアを捨てたりしたくなかった!」
その強い口調に、俺は黙ってしまった。
「それでも!それでもだ!俺はナキを選んだ!ナキしか選べなかった!俺を変えてくれたナキを!俺を愛してくれたナキを!一度でもいいから!一瞬でもいいから!それでも会いたいと願った俺は間違っているのか!?答えろ!ウィリアム・ランベルツ!お前は俺を間違っていると断ずることができるのか!?お前に俺を裁く権利があるのか!?」
「………っ」
答えられない。答えられるはずもない。
俺は、あまりにも何も知らない。愛という、その感情を。それを失った時の、悲しみを。
それでも俺は、ランドルフが間違っていると思っていた。正しいわけがないと思い込んでいた。
だが、どうだ?目の前で涙を流しながら激情を見せるこの男は、本当に間違っているのか?俺に、それを断ずる権利があるのか?
……違う。俺は間違ってない。間違っていないはずだ。どんな理由があれ、こいつが自分の子供を捨てたことに変わりはないのだから。
……なのに、なんで。
「答えろ、ウィリアム・ランベルツ。……答えてくれ」
「お前……」
なんで、そんな辛そうな顔をしてるんだ?なんで、お前がそんな辛そうなんだよ?
「っ!?」
そこで、急激な魔力の高まりを感じた。それの発信源は、ナキだ。
阻止するためにも、俺は二人に纏めて魔法を叩き込もうとした。
「グーー」
「構築魔法・鉄の処女」
だが、俺が魔法を放つよりも先に、ナキの口が動いた。最強の構築魔法によって紡がれたのは、最凶と言われる拷問魔法。
前世でも有名だったその拷問器具の名を聞き、理解した瞬間、
「……ぶ」
全身に穴を開けられた俺は、血を吹き出しながら仰向けに倒れた。
◇◇◇◇◇
「あ〜、そろそろ限界かなぁ?」
「……かもな」
ティグの呟きに、レイが反応する。彼らは既にボロボロで、立っているのもキツイ状態だ。
「君達、呑気だね」
ロイドが呆れたように言うが、第三者から見れば彼も充分呑気だろう。
三人が第一軍隊の兵と戦い始めて一時間程が経っている。その間も兵士は次々と現れ、彼らを絶え間なく攻め続けた。
それ故に、彼らには心身共に限界が訪れていた。
「まぁ、お前らと戦えて楽しかったぜ」
そんな状況に、ティグが諦めたように口にした。レイとロイドも仕方がないとでも言うように肩を竦め、同意するように頷く。
そして、そんな三人の頭を衝撃が襲った。
「いでっ!?」
「なーに諦めてんだよ。らしくないぞ?」
振り返れば、そこにはハイルの姿。
「おまっ、ハイル!何で戻ってきたんだよ!?」
「あ?すぐに助けにくるって言っただろうが。それに、安心しろ。助っ人も連れてきた」
ハイルが戻ってきたことに絶句する三人に、彼女は前を指差した。その指の先には、いつの間にか一人の美少女が。
黒髪をポニーテールに纏めている少女は、反りのある剣を既に振り抜いた格好で残心していた。
そして、チンッという小気味良い音と共に剣を腰の鞘に納める。その瞬間、先程までティグ達と対峙していた兵士がバタバタと倒れてしまった。
「……へ?」
眼鏡をずり落としたロイドが、間抜けな声を出す。少女はそれに反応したのか、振り返って爽やかな笑みを浮かべた。
「さあ、行きましょう?」
「「「………」」」
キラキラとした笑顔を見せる彼女に、三人はポケ〜と見惚れる。そんな彼らの頭に、もう一度拳骨が落とされたのは言うまでもないだろう。
◇◇◇◇◇
「何、これ……?」
微かに、声が聞こえてきた。薄らと目を開けると、そこには驚愕するルチアの姿。
なんで、ここにいるんだ?
問い詰めようと思ったが、体が動かない。指一本、筋一本も動かない。どうやら、限界のようだ。
「っ、ウィル!!」
駆け寄ってきたルチアが俺を抱きかかえる。動かされたことによる激痛が走り、少し呻いてしまった。
「あ、ごめんなさい!」
ルチアは謝ると、俺に向けて回復魔法をかけた。だが、一向に効いてこない。
「なっ、なんで!?」
ルチアは焦ったように込める魔力を増やすが、何も変わらない。多分、ナキの放った魔法が強すぎてルチアの回復魔法をレジストしてるのだろう。
このままじゃ、本当にまずい。
「……ルチアか」
ランドルフがルチアを見て、少しバツが悪いのか顔を顰めた。
「……ランドルフ、様。これは、どういうことでしょうか?」
「分からないのか?」
ルチアは問いに問いで返したランドルフを視線から外し、ナキを見る。そして僅かに目を見開くが、すぐにランドルフへと視線を戻した。
「あなたが禁忌に触れた、ということだけは分かります」
「ここにいるのが、誰なのか分からないのか?」
ナキを指して問うランドルフに、ルチアは首を横に振る。
「分かりませんし、分かりたいとも思いません。今はただ、駆逐する対象でしかないので」
立ち上がったルチアは俺を庇うように前に出る。その周囲を、濃密な魔力が漂い始めた。それは確かな殺気を孕んでいる。
「……そうか」
ランドルフは少し悲しげな表情を浮かべる。
「『帝国序列三位』ルチア・クレムハート。俺はお前と戦いたくない」
「……知りません。私は誇り高き帝国の犬。この国に牙を向ける者には誰であろうと容赦しない。……他の誰でもない、あなたからそう教わりました」
ここからじゃルチアの顔は見えない。だがその声から、本気だと理解できた。
「だが……」
「それに、今のあなたには負ける気がしません。そちらの女性からは尋常ではない力を感じますが……だからと言って、退くわけにはいきません」
「ルチア……俺は、」
「ランドルフ・クレムハート。国家叛逆罪を犯したあなたを、今ここで断罪します」
それは、およそ親子の交わす会話ではなかった。父を求めていた子の発する台詞ではなかった。
これは、俺がしようとしていたことではない。ルチアにこんな事をさせたくなかったから、俺は一人でここまで来た。
「………ぅ」
声が掠れる。まともに話せない。
「……ウィル。大丈夫。私は大丈夫だから」
振り返ることなく、ルチアは言う。
「ル……チア……」
「……ハイルから聞いた。あなたが、私のために全て一人で抱えていたこと」
「………」
ハイルが……そうか、だからルチアはここに来れたのか。
「私も、覚悟を決めたから」
ルチアは力強くそう言った。
覚悟。覚悟とは、何に対するものなのか。
「……聞こえているか、ウィリアム・ランベルツ」
そんな俺たちを傍観していたランドルフが、俺に語りかけてくる。聞こえているが、体が動かず反応できない。
だがそれを理解しているのか、俺の答えを待たずに続ける。その目は、水面のように静かなものだった。
「これが、俺の答えだ」
「構築魔法・煉獄の戒杭」
ランドルフが言い終わると同時に、ナキが唱える。その瞬間、ナキの足元から夥しい量の杭がルチアに向かって飛び出した。
見ているだけでも、その速度は異常だと分かる。
もしもあれが俺に向けて放たれたものだったとすれば、龍人化していなければ躱すのは至難の技だろう。
そして、それはルチアにとっても同じだ。魔法に関しては俺よりも格上にいるであろうルチアだが、身体能力は俺の方が高い。
俺ですら反応するのが難しいそれを、彼女が躱せるはずもない。
「っ!?」
案の定反応が間に合わなかったルチアは、その場を動けない。
そして、大量の鮮血が宙を舞った。