番外編 選ぶ者
◇◇◇◇
黒い髪の少年は、孤独だった。親に捨てられ、孤児院で育てられ、家名など持たない彼が独り立ちしたのは十歳の頃。その孤児院が戦火に巻き込まれたことがきっかけだった。
彼には幸いにも、才能があった。殺しの才能。
常に戦争が起こっている帝国に住む彼は、たった一人で生き続けた。
自分に刃向かう者を全て殺して。
傭兵として、色んな組織に仕えた。仲間が出来たこともあった。
だが、彼の心はいつも孤独だった。何にも満たされない。そんな、空虚な時間が淡々と過ぎるだけ。
そのままいつか独りで死ぬんだろうなと、彼は時々考えていた。
そんな彼が帝国に見込まれたのは十八歳の時。
当時の皇帝、シャウヴァ・ローレンによってスカウトされた彼は、特に何も考えず帝国の軍服を着た。
彼が二十歳になる頃には、彼は既に『帝国序列八位』の座にいた。
最年少記録に周りは盛り上がったが、当の本人はそれに興味がない。ただいつも通りの日々を送っていた。
そんなある日、上層部の集まりに参加した彼はその女と出会う。
見れば誰もが振り返るような美貌をそれでいて撥剌とした性格。自分と同じ黒い髪の彼女に、例に漏れず彼も見惚れてしまった。
一目惚れ、だった。
「……おい。名前、なんて言うんだ?」
思えば、自分から誰かに話しかけるのは随分と久し振りだった。
そんな彼のどこか怯えたような問いに、彼女は笑顔を浮かべて答える。
「ナキ・クレムハート。『帝国序列五位』よ。自分と同じ『帝国序列』の名を背負ってる人の名前ぐらい覚えてなさい、ランドルフ君」
ランドルフには、その笑顔がとても眩しかった。
ランドルフはナキという女性をもっと知りたいと考えた。だが、その方法が分からない。
だから彼は、とにかくナキよりも強くなろうと考えた。
それから僅か二年、ランドルフが二十二歳の時、遂に『帝国序列一位』の座まで上り詰めた。
しかし、そこからどうすればいいか分からない。
「ふふ、君がそんなに悩むなんて、見ていて楽しいよ」
そんな彼にも、相談相手がいた。
次期皇帝であり、ナキと個人的な交流があるネロ・ローレン。当時はまだ八歳という若さながら、聡明さから他国までその名を轟かせていた女傑。
そんな彼女には既に結婚の申し込みが殺到していたのだが、それはまた別の話。
「うるさいな。こんな感情は初めてなんだ」
「残念ながら、私にはまだその感情が分からないからね。なんとも言えないな」
「別に期待はしていない」
ランドルフは皇帝であるシャウヴァに恩を感じていた。自分のような者に居場所を与えてくれたことに。
「……俺はただ、陛下のために戦っていたらいいんだ」
「それは違うと思うけどな、私は。君は自分の幸せを追う権利があるはずだよ」
「幸せ?俺が?」
彼は理解出来ない。
そもそも、幸せという言葉の意味がよく分からなかった。
「……そうだ、良い事を考えた」
いたずらっ子の笑みを浮かべたネロに、ランドルフは嫌な予感がした。
◇◇◇◇
「お待たせ」
黒髪の青年、ランドルフの元に私服を着たナキが歩み寄る。
その姿に見惚れたランドルフは、しかしすぐにいつも通りの自分を取り戻す。
「遅い。『帝国序列三位』のくせに、時間も守れないのか?」
彼女もこの二年で序列を上げていた。彼は見惚れたことを誤魔化すように、少しきつい言葉を口にする。
「……あなた、女の子と付き合ったことないでしょ」
ナキの冷ややかな声に、ランドルフは沈黙で応える。
しかし、その心中は舞い上がっていた。憧れの女性と行動を共にするのだ。
彼はネロに感謝した。
『君をナキとデートさせてあげよう。私は彼女と仲がいいからね。きっと聞き入れてもらえるよ』
ネロがそう言った翌日、ランドルフにデートの日程が告げられた。フットワークが軽い次期皇帝である。
「どこか行きたいとこある?」
「……別にない」
「じゃ、カフェでも行こっか。ちょっとおしゃれなとこ見つけたんだ〜」
ウキウキする彼女の横顔を、ランドルフは見つめる。絵に描いたような美しさ。
ランドルフは高まる鼓動を必死に抑える。初めての感情に、ただただ混乱していた。
「……俺は、君に」
ふと、彼の口をついた言葉にナキが振り返る。こてんと首を傾け、続きを待った。
が、ランドルフは続けない。ナキは気のせいだったのかとまた前を向いた。
「………」
無意識に自分の心情を吐露しかけたランドルフは、自分に驚いていた。
「ここ、嫌だった?」
帝国の首都、アランブルクのおしゃれなカフェの席に座ったナキが、向かいに座るランドルフに尋ねる。
ランドルフは無言で首を横に振った。だが、貧乏揺すりが治らない。
彼は必死に足を押さえつける。それに気付いたナキは笑い、ランドルフをじっと見ていた。
「ねぇ」
一日が終わり、二人がそれぞれの帰路につこうとした時、ナキからランドルフに声をかけた。
「私さ、ネロからあなたが私のこと好きだって聞いてたんだけど」
「……あのクソガキ」
ランドルフはボソリと呟く。あのガキにどんな苦しみを与えてやろうか、と。
「何も言ってくれないの?私、とても期待してたのだけど」
だが、続く彼女の言葉にランドルフはネロのことを忘れた。そして意味を理解するのに数十秒を要して。
生まれて初めて、彼は笑った。
◇◇◇◇
ランドルフとナキが交際を初めて半年が経った頃、翼人族の国であるアルヴガルドとの戦争が激化した。
当時、幼いながら戦乙女と呼ばれた翼人族の第二王女、ニーナ・カストの参戦によって帝国が押され始めたのだ。
それでもアルヴガルドの全兵力の微々たるものだったのだが、それは帝国の知るところではなかった。
帝国は次第に主戦力を投入していき、第三軍隊も戦線に出ることになった。
だが、ランドルフが率いる第一軍隊はアランブルクに滞在。皇帝を守ることが第一軍隊の仕事だったからだ。
ランドルフは歯痒い思いをしながらも、アランブルクで耐えていた。
自分の使命はシャウヴァを守ること。自分を殺し、国に仕えること。そう言い聞かせた。
だがそんな彼の元に、一人の斥候からある報告が入った。曰く、第三軍隊が敵に囲まれ、絶望的な状況だと。
それを聞いたランドルフはすぐに準備を整え、第一軍隊を出陣させた。
あとでどんな罰も受け入れる。その覚悟をして。
第一軍隊の兵士は皆、ランドルフに敬意を払っており、また、ランドルフとナキの関係も知っていた。
だから、ランドルフが自分達に力を貸して欲しいと頭を下げに来た時、彼らは奮起した。初めて隊長が自分達を頼ってくれた、と。
かくして、戦線に帝国最強の軍隊が到着する。戦争は更に激化した。
だが、ランドルフは振り返りもせずにただ戦場を駆けた。何よりも大切な、愛する人を救うために。
「はぁ、はぁ、……お待たせ」
「……ふふ、遅いわよ。『帝国序列一位』のくせに」
力無く笑うナキを見た彼は、安堵と共に猛烈な怒りを覚えた。
この時、ランドルフは重力魔法を発現し、戦場をほとんど一人で制圧してしまう。
この戦争は彼の名を世界中に知らしめることになる。そして数日後、国を挙げてランドルフとナキの結婚が祝福された。
◇◇◇◇
ランドルフが二十四歳になった時、皇帝であったシャウヴァが急病で没し、十歳だったネロが即位した。
ちょうど、翼人族の将軍の遺体から摘出した『構築魔法』を人体へ移植する実験が提案された頃だった。
『構築魔法』は数ある魔法の中でも最強クラスと言われている。と言うよりも、魔法の特性だけに焦点を当てれば最強である。
一度覚えた魔法回路を、思い浮かべるだけで構築することが出来るのが『構築魔法』。
本来ならば、回路の構造を理解するだけでは魔法は発動出来ない。だが『構築魔法』は、回路さえ知っていればどんな魔法でも使うことが出来るのだ。
もちろん、固有能力でさえも。
故に、最強。
それを人間の体に移植出来れば、しかもそれを量産出来れば、帝国は世界最強の国になる。
その思想の元、プロジェクトは動き出した。
そしてそれに、ナキが選ばれる。彼女が自ら名乗り出たのだ。もちろんランドルフもそれを承認した。
自分達をくっつけてくれたネロは彼らにとって恩人であり、信用に足る人物だったから。
かくして実験は行われ、そして成功する。ナキはすぐに『構築魔法』を使いこなし、帝国の希望となった。
そこに、更に良い報せが届く。ナキが妊娠したのだ。
この時、ランドルフは二十五歳。彼らは幸せの絶頂にいた。
ただしそれも、長くは続かない。
「ーーランドルフ様!ナキ様の容態が……!」
部下からの報告に、ランドルフは急いでナキの元へ向かった。今度もまた、間に合わせてみせる、と。
そこからは、ネロ・ローレンがウィリアム・ランベルツに語った通りである。
ランドルフはナキが死んだ後、しばらく部屋に引きこもった。生まれたばかりの我が子にも会わずに。
その胸中には、様々な思いが渦巻いていた。
ランドルフにとって、ナキは全てだった。初めて恋をした相手。何よりも大切な人。
彼はネロを恨んだ。
だが、その思いもすぐに消し去る。ネロは悪くない。ナキも自分も、全てを承知の上でプロジェクトに参加したのだから。
ルチアさえも、一度は恨んだ。
お前が生まれてさえこなければ、と。だがナキが言っていた『生まれてくる子に、罪はない』という言葉を思い出し、踏み止まった。
そして、行き場のない怒りの矛先は自分に向いた。
自分に向けた。
なにが間に合わせてみせるだ。自分は何も出来なかった。何もしてやれなかった。
彼は結局、ルチアの元には行かなかった。
自分にそんな価値はない。何も守れない自分が、子供など育てられる訳がない。そう思い。
この後、彼はこの選択を後悔することになっていく。
だが、当時の彼の願いは一つだけだった。
「……もう一度、ナキに会いたい」
自分が唯一恋したナキに、全てを与えてくれたナキに。
ただ、彼のナキに対する想いが強過ぎたのだ。
何も持っていなかった彼だからこそ、そんな自分を満たしてくれたナキの存在があまりにも大きかったのだ。
ルチアに対し、申し訳なさが無いわけではない。
自分はろくでもない父親だ。父親と称することすら許されないだろう。その自覚はあった。
そうやって、ランドルフは更に自分を殺し、ただの人形のように帝国に仕え続けた。
そんなある日、あの男が現れた。
「帝国の中枢を担う宝玉。アレの力があれば、あなたの悲願は叶います」
再び訪れた空虚な日々を過ごしていたランドルフに、ベルクと名乗った彼はそう言った。正体は明かさず、しかし手段だけは断言した。
宝玉を盗む。それが何を意味するのか。ランドルフは当然理解した。そんなこと、考えるまでもない。
国は滅びる。
自分と同じ思いをする者もたくさん出てくるだろう。自分の娘であるルチアも死ぬかもしれない。シャウヴァとネロを裏切り、恩を仇で返すことになる。
だが、それでもいい。それでも、ナキに会いたい。あの笑顔を、もう一度見たい。
全てを天秤にかけ、それでもナキを選んだ彼は。
帝国の全てを支える宝玉に手を伸ばした。
これでこの作品も今年の投稿は最後になります。
また来年もよろしくお願いします!