第五十一話 圧倒する者
◇◇◇◇
強い。それ以上に、環境も相性も最悪だ。ハイルはそう考えて、顔を歪める。
現在、ハイルがいるのはだだっ広い部屋。それもなぜが、全体が明るい。
これでは自然にある影を使えないため、彼女は自身の魔力を消費して影を生み出さなければならない。
更に、ハイルの影を操る能力は、闇属性魔法に類する。対して、今ハイルが交戦している相手が使うのは光属性魔法。
しかも、技量は相手の方が上。
「甘い甘い!その程度の影など、正義の光が掻き消してくれるわ!」
ハイルが生み出す影を、片っ端から消していく。
言っていることも格好も変だが、その男の実力は本物だった。
『第一軍隊副隊長、マーロック!かかって来い!悪党め!』
と、両手両足を広げて声高に叫んだつるピカ頭の彼は、着実にハイルを追い詰めていた。
帝国の最強部隊の副隊長。その肩書きは伊達じゃなかった。
「このハゲが!」
「ふはは!ハゲてなどいない!これは正義の光なのだ!」
自分の光魔法を反射して輝く頭を、マーロックは誇らしげに撫でる。ハイルの罵倒は効かなかったみたいだ。
「こんな馬鹿に、私は……!」
苛立ちを募らせるハイルは、次々に影を生み出しらマーロックを襲わせる。
しかし、届かない。
「っ、ルチア様……!」
ハイルはルチアを思い出す。
かつて、死を待つだけだった自分を救い出してくれた恩人。己の罪を償う機会をくれた彼女に、ハイルは一生ついて行くと決めた。
あの大きく、しかしすぐに崩れてしまいそうな背中を、私が守るのだと。
それが彼女なりの恩返し。
ふと、彼女はウィリアムのことも思い出した。
彼もどこか、ルチアと似た雰囲気を持っていた。その証拠に、ルチアとすぐに打ち解けた。
ウィリアムは気付いていないだろうが、あのルチアが誰かに心を開くのは珍しい。
それが少しだけ、気に食わなかった。
ただ、ウィリアムが一日ぶりに『影の猟犬』に帰ってきた時、暗い彼の表情を見て、ハイルは心配になったのと同時に苛立ちも感じた。
お前がそんな表情をするな、と。なぜそう思ったのかは分からない。
もしかしたら、ルチアを一番支えることが出来るのはウィリアムだから……と、考えてしまったのかもしれない。
そこまで考えて、ハイルは思考を断ち切った。そんなこと、どうでもいい。私はルチア様の役に立てたらいいのだから、と。
そして今、自分に出来るのは目の前の男を倒すこと。
なぜ第一軍隊の副隊長がここにいるのかは分からないが、今回の事件に何かしら繋がっているのは明らかだ。
だが、ハイルではこの男を倒せない。それを彼女は理解していた。ならば、
「刺し違えてでも……!」
刹那、夥しい量の影が馬を埋め尽くした。それは次第に形を持ち始める。人型や猛獣型など、様々な形に。
「影絵」
影というものは、存在するもの全てが持つものである。逆に言うならば、影があるということはそこに何かしらの存在がいるということ。
ハイルが作り出した影は、それぞれが別々の思考を持つ。それは、ハイルが生み出した最強の僕だ。
「……ウィル。ルチア様のことは任せたぞ」
ボソリと、ハイルは呟く。既に魔力はかなり消費している上に、切り札を使ったのだ。
彼女にはもはや、余力は残っていなかった。
「これで……!」
「眠りなさい。輝雨」
帝国の地下に、光の雨が降った。それらは無慈悲にも、ハイルの影絵を呑み込んでいく。
「……はは、馬鹿にしやがって」
ハイルは力無く座り込んだ。もう、影の一つも作り出せない。完敗だった。
「君はよく頑張った。だが、正義は必ず勝つのだよ」
マーロックは右手を上げた。そこに、光が収束していく。
「安心するがいい。亡骸など残らないようにしてやる」
光が放たれた。今までの中でも比べ物にならないほどの高密度なそれに、ハイルは自分の死を確信した。
死を確信して初めて、ハイルは自分が死にたくないことに気付いた。
遅すぎたそれに、ハイルは苦笑する。
そして、またも思い浮かべたのは、ルチアではなくウィリアム。その白髪の少年を思い出しながら、彼女は願ってしまった。
「……どうせなら、私のことも助けてくれよ」
叶わないと、知りながらも。
そして。
ハイルに放たれた光が、霧散する。彼女の視界には、一人の少年の背中が映っていた。
「……はは、まじかよ」
その少年は紛れもなく、ウィリアム・ランベルツだった。
◇◇◇◇
「……はは、まじかよ」
背後で、ハイルの呟きが聞こえる。
それが何に対するものなのかは分からないが、生きていることの証明にはなる。
良かった。間に合った。
「……さて」
俺は目の前の敵を見る。ハイルとの戦闘を見ていたわけではないが、こいつが光属性魔法を使うのは確かだ。
「むむ!またも悪党が現れたか!」
「悪党、ねぇ……。お前は何者だ?いや、第一軍隊のどの位置にいる?」
「私は第一軍隊副隊長、マーロック!」
「副隊長か……」
副隊長。つまり、第一軍隊のNo.2。
「ランドルフの居場所は?」
「知らん!」
まぁ、さっきの参謀とやらみたいに、ぶっ潰したあとにじっくりと聞けばいい。
「ふんっ!」
また、高密度の光魔法が放たれた。副隊長と言うだけのことはある。
俺は右手を前に出し、デコピンを撃った。
いや、デコにしてないからデコピンではないのか?よく分からん。
「なぁっ!?」
マーロックの放った魔法は、俺のデコピンによってそのまま跳ね返される。マーロックはそれを、ギリギリで躱した。
「遅い」
俺はマーロックの着地点へと転移で先回りし、その体を蹴り上げた。マーロックはなすがままに宙を舞う。
「ぐっ、浄光!」
まるで天から差し込むような光が、俺に向かって落ちてきた。
それを最高速度で全て躱す。手抜きなんてしない。
「掌握」
俺はマーロックに掌を向け、握る仕草をした。それに合わせて、奴の全身から骨の砕ける音が響く。
「ごああっ!?」
「仕上げだ」
俺は収納魔法を展開し、四本のナイフを取り出す。それを、落ちてくるマーロックの四肢に投げた。
ナイフはマーロックを壁に縫い付ける。
「うぐぅ!」
「さて、質問タイムだ」
俺はマーロックに歩み寄りながら、赤紋から力を抜いた。
さっきからずっと力を入れていたから、かなり疲れた。
「おい、お前。本当にランドルフの居場所を知らないのか?」
「う……ぐ」
骨折して、しかも四肢にナイフを刺されている。痛いのだろう。それは分かる。
だが、全身の骨全てを砕いた訳ではないし、四肢にナイフが刺さったぐらいでは死なない。
俺はナイフをもう一本取り出し、マーロックの腹に浅く刺した。
「うっ、がっ!?」
「ほら、答えろよ」
マーロックは顔を歪めるだけで、なかなか答えない。まぁ、一応副隊長だしな。そんな簡単には答えないか。
だが、こいつが何か知っているのは確かだ。
「ほれ」
俺はナイフを横に薙ぐ。マーロックの腹から血が噴き出した。
「この……悪党め……!」
マーロックは口を開ける。そこに、光が収束した。
「腐っても副隊長、か。この状況でも諦めないのは流石と言うべきかな」
俺はマーロックの口に右手を突っ込み、光を握り潰した。
手袋があって良かったよ。汚い。
「っ!」
「悪党でもなんでもいいから、さっさと吐けよハゲ」
全身を少しずつ切り刻む。じわじわと追い詰める。なのに、なかなか吐かない。
「いいから早く吐けよ!」
なんでこいつはいつまでも黙ってるんだ?かっこいいとでも思ってるのか?悪党はお前らだろうが!
「もういい。死ね」
俺はマーロックの首目掛けてナイフを振り下ろした。が、
「……なんのつもりだ?ハイル」
俺の腕は、地面から伸びてきた影に絡め取られた。
ハイルは俺の背後で、息を荒くしながらも立ち上がっている。
「もう、そこまでにしておけよ」
「あ?理由は?」
「お前、なんでそんな必死な顔してるんだよ」
必死な顔?そりゃそうだろ。
だって、早くランドルフを見つけて決着をつけないと、ルチアが真実を知ってしまう。
そうなれば、終わりだ。
「全部、ルチア様のためなのか……?」
「……だったらどうする?止めないのか?」
ハイル。もし俺がルチアのためと言えば、全て許すつもりなのか?答えてみろよ。
「止めるに決まってるだろ?お前が苦しそうじゃないか」
「……苦しそう?」
「そんな辛そうな顔してる奴を、いくらルチア様のためだからって放っておけないだろ」
「………」
苦しそう?辛そう?俺、そんな顔してるのか?
「変われ、ウィル。あとは私がやる」
「でも」
「お前は少し、休んだ方がいい」
「……はぁ、分かったよ。あとは任せた」
俺はため息をついて、諦めた。確かにちょっと疲れているかもしれない。
俺はハイルの方は歩き、ハイルはこちらに向かって歩いてくる。
ポジションチェンジだな。
「助けてくれて、ありがとう」
すれ違い様、ハイルは小さく呟いた。俺はハッと振り返る。
デレた。