第四十話 勇者の選択
◆◆◆◆
「………」
暗い闇の中を歩いていた。どこまでも続く、黒。そんな寂しい空間を、独りで歩いていた。
「………」
どれだけ歩いたか分からない。数分か、数時間か、数年か。もしくは数秒かもしれない。ただ、ひたすらに歩き続けた。
「……誰?」
目の前に誰かがいた。不思議と、恐怖は感じない。
「父さん……?」
振り返ったその人は、父さんだった。懐かしい顔だ。十年ぶりか。
「父さん……!」
「………」
父さんは何も答えない。僕はどうすればいいのか迷った。言いたいことはたくさんある。でも、うまく纏まらない。
「僕は……今なら、父さんの気持ちが分かる。父さんは、かっこよかったよ」
父さんは笑って、口を動かした。
『まだ来るな』
声は聞こえなかったけど、僕にはそう言ってるように思えた。
◆◆◆◆
「ーーー!ーーーん!ーー蓮!」
「………」
「起きて、蓮!」
「うぅ……」
目を覚ます。その眩しさに、目を細めた。目の前には涙を流す葵がいる。どうやら僕は倒れていて、葵が僕の顔を覗き込んでいる状況らしい。
「蓮!蓮!蓮!」
「うっ!」
葵が僕に抱きついてきた。ただ、姿勢的に抱きつくと言うよりのしかかると言う方が正しい気がする。苦しい。
「……葵。僕は……生きてるのか?」
「生きてる!生きてるよぉ!!」
「なんで泣いてるんだよ……」
僕は辺りを見渡す。場所はさっきとほとんど変わってない。違いと言えば、僕が木の根元に倒れていることぐらいか。
「よォ。目が覚めたかァ?」
「……誰、ですか?」
ふと、傍らに男性が立っていることに気付いた。僕とは比べ物にならないほどがっしりとした体格に、ボサボサの硬そうな茶髪。
「俺様かァ?俺様はエルドラド・ジニーウォークス。世界最強の男だ」
世界、最強?つまり世界で一番強いってことか?……でも、冗談とは思えない。
「あなたが助けてくれたんですか?」
「あァ。アレにもちょっと興味があったからなァ」
エルドラドが指を差した方を見る。そこには、まるで隕石でも落ちたかのようなクレーターが出来ていた。あの黒いやつが跡形も残っていない。
「見てたぜ。一部始終な。テメエがもしもあのまま逃げてたら、俺様はテメエらを助けはしなかった。ま、テメエに興味が湧いたってことだ」
あのまま逃げてたら、か。今思い出しても、体が震える。本当に死ぬと思った。本当に死を覚悟した。
「……葵。僕はもう大丈夫だから」
僕はまだ抱きついている葵の肩を叩く。……あれ?寝てる?
「その娘は、テメエが起きるまでずっとそばに寄り添ってたンだ。ちっとは休ませてやれ」
「僕はどれぐらい気を失ってたんですか?」
「丸一日ってとこだなァ。あの黒いバケモンに一撃食らってなァ、テメエは丸一日気を失ってた。死ななかったのは運が良かったなァ」
丸一日。丸一日も葵は僕のことを心配してくれていたのか。僕は葵の髪を撫でた。
「助けてくれて、ありがとうございます」
「あァ、気にすんなァ。俺様にも目的があったからなァ」
エルドラドはそう言って僕の目を覗き込んだ。
「さっき言っただろう?俺様は、テメエに興味を持った。だからテメエを、俺様の弟子にしてやる」
「……弟子?」
「あァ、弟子だ。世界最強の俺様の弟子。もちろん、半端は許さねェ。地獄を見ることになるだろう。だが、確実に力を与えてやる」
「力……」
「そう、力だ。あらゆる理不尽を押し退け、自分のわがままを貫き通すための力」
「………」
それがあれば、僕は葵の事も守れるのか?今回のような目に遭っても、守り抜けるのか?
「力さえありゃァ、なンでも出来る。まァ、そのレベルまで達したきゃ十年以上はかかるがなァ。少なくとも四年じゃァダメだ」
十年。そんなに必要なのか。
「……いや、僕は遠慮しておきます」
「クク、そう言うと思ったぜ」
エルドラドは笑い出した。なんだ?断られると思いながら聞いたのか?
「だがなァ、テメエに選択肢はねェ。俺様の弟子になる。これは決定事項だ」
なんでだよ。
「言っただろう?力が全てだ。俺様よりも弱いテメエは、俺様に逆らうことは出来ない」
……なるほど、確かにそうだ。僕はこの人に逆らうことが出来ない。
僕は葵を優しく地面に寝かせ、立ち上がった。少し立ち眩みがする。
「……エルドラド。あんたは言ったな。力が全てだと」
少し強気になる。大丈夫だ。僕は変わったんだ。それに、エルドラドの目的は僕を弟子にすること。なら、殺したりはしないはずだ。僕は一度、死を覚悟した。死にさえしないなら、何も怖くなんてない。
「あァ、言ったぜ?」
「僕はそうは思わない。力だけでは、手に入れられないものだってある」
「……ヘェ?例えば?」
「何に関しても、強過ぎるっていうのは孤独と同義だ。それでは、満たされない」
エルドラドは黙って僕の話を聞いている。孤独、という単語に反応したように見えた。
「何か一つ、自分が信じるものがあれば、それで人は満たされる。それだけで人は強く生きていける」
そうだ。僕はそれを身をもって知った。だから自信を持って言える。言い切れる。
「テメエには、それがあるのか?」
「ついさっきまで無かった。でも、見つけれたよ」
僕は胸に手を置く。確かにあった、微かなソレ。父さんから受け継いだソレは、確かに僕の中にある。
「勇気だよ。僕は、自分の勇気を信じる。例え誰かにそれを否定されても、僕だけは信じ続ける。他人の評価なんて気にしない。だって、僕の人生の主人公は、僕自身なんだから」
さっきの僕は、怯えていた。大切な葵を庇うだけで、死ぬほど怖かった。それは、これからも変わらないかもしれない。それでも、また似たような事があれば、僕は同じことをするだろう。もう、決めてしまったから。
「……ヘェ、おもしれェ。俺様を前にして、そンな答えを出した奴ァテメエが初めてだ。ますます気に入ったぜ。レン、つったなァ?テメエは今日から俺様の弟子だ。テメエが本当に満足した時、俺様はテメエを解放してやる」
「それは、今すぐでも?」
「もちろん」
エルドラドはそう言って寝ている葵を見た。そうだ、力は全てではない。でも、力が無ければ守れないものもある。それを僕は思い知った。
「……分かった」
僕はエルドラドに頼み、葵の周りに結界を張ってもらった。これで、葵はしばらく安全だ。僕は葵の隣に手紙を置いておいた。
「その娘は連れて行かなくていいのか?」
「……うん。危険なことに、葵を巻き込みたくない。それに、葵には今までずっと守られてきた。だから今度は、僕が葵を守る」
葵を守る。そしていつか、必ずあの世界に帰る。どれだけかかるか分からない。それでも、絶対に帰ってみせる。父さんから託された、勇気を胸に。
「ごめん、葵。すぐに迎えに来るから」
僕は歩き出したエルドラドに続き、一歩、踏み出した。
◆◆◆◆
神崎蓮は初めて選んだ。己の道を。この選択はこの後、彼をどう変えていくのか。
それはまだ、誰にも分からない。
◆◆◆◆
風が、木にもたれて眠る少女の髪を撫でた。それは優しく、まるで慰めるかのように。その傍らにはら一通の手紙。つい先程までここにいた少年が、少女に宛てたものだ。
「……まったく、男の子っていうのはいつも勝手なものだね」
そんな少女の元に、一人の男が近付く。
「勇者……。勇気を抱く者、か」
色とりどりの服を身につけて、ひしゃげた灰色の帽子を被る、奇抜で奇妙な旅人。かつてウィリアム・ランベルツという少年に世界を教え、彼の世界を広げさせた一人の男。
「……今日は日差しが強いなぁ」
ギル・ソーサリー。前代の世界最強であるキラ・ソーサリーの兄であり、彼女と同じく吸血鬼である彼は、鬱陶しそうに空を見上げた。
次回、新章です!