第三話 旅は大変らしい
◇◇◇◇
「ーーそれで?」
「うん、その国では"箸"と呼ばれる二本の棒を使って食事を摂る習慣があってね、彼らは皆、その棒を上手に使うんだよ」
「へ〜」
箸……か。この国ではスプーン、フォーク、ナイフを使って食事をするのが当たり前だが、そうか、箸を使う国もあるのか。一度行ってみたいな。
「しかもその国の女性は皆美しくてね。ああ、思い出すだけでも幸せな気分になれるよ。また行きたいなぁ」
そ、そんなに綺麗だったのか……。いつか必ず行こう。
「ウィルもいつか、旅をしたいと思ってるのかい?」
「いや……どうだろ。今は別に、それは考えてないかな」
ギルから話を聞くようになって早数ヶ月、彼は本当に様々な話をしてくれた。それこそ、本を読むだけでは知れないこともたくさん知れた。その中には、俺が興味を持った内容も多くある。
だか、旅をしたいと思うのかと聞かれると、答えは否だ。全く興味がない訳ではないが、俺の中では他の事の方が優先度が高い。
「旅するってのも結構大変なのか?」
「そうだね。今回のように泊まる場所がなかったり、魔物に襲われたり、色々と危険もあるしね」
とは言っても今回の場合、ギルは本当に泊まる場所がなかった訳ではない。そもそも、ランベルツ領は大きくはないがそれなりに栄えている。父が領主として尽力していることもあり、領民からの信頼も厚い。だから屋敷の近くにも民家も宿もあるのだ。
つまりギルは嘘を吐いた。貴族の屋敷で過ごすことが出来ればそれはいい体験になるから。
と、最近ギルから打ち明けられた。よく考えればその通りだ。宿がないと、貴族の屋敷に訪れるなんて肝が据わってる。存外、旅人というのは逞しい生き物らしい。
そしてこれもギルが言っていたのだが、父さんはそれを知っているらしい。まあ、少し考えれば分かることだ。俺は気付かなかったが、領主として活躍してきた父がこれに気付かない訳がない。
父はその上でギルの滞在を認めたのだ。やっぱりパピーかっけえ。器がでかいよ、器が。
「それにしても、魔物か……」
「ウィルは魔物を見たことはあるのかい?」
「いや、まだない。魔物ってのはやっぱり強いのか?」
「それは種類によるね。ほとんど害のない魔物だっているし、王国騎士の一個大隊でやっと討伐できるような魔物だっている。龍種なんて一匹いれば国を滅ぼすことができるとも言われるぐらいだ」
龍種こっわ!一匹で一国潰すって化け物かよ!……ああ、化け物なのか。
「ギルは龍種を見たことはあるのか?」
「死んだ龍種なら見たことはあるよ。龍種でも上位の黒龍さ」
「その龍種はなんで死んだんだ?」
「なんでだと思う?」
聞き返すなよこの野郎。
なんで……か。なんでだ?一国を滅ぼせる龍種の死因……。
「寿命か?」
「残念、不正解〜」
ギルはなんだか嬉しそうにニヤニヤしている。腹立つ。殴ってやろうか。
「正解は殺されたんだよ。人間に。それも、たった一人のね」
「……はぁ?」
そんな化け物、どうやって殺すんだよ。しかも今、"人間"っつったか?人間がそんな龍種を一人で殺した?
この世界には様々な人族が存在する。人間族、妖精族、亜人族、獣人族、翼人族、魔人族。大きくはその6種族に分類されており、その中で人間族は非力だとされているのだ。
「もしかしてウィル、君は知らないのかい?世界最強の存在を」
「世界、最強?」
なんだその心踊る単語は。かっこ良すぎやしないか?だって世界最強だろ?世界で最も強いんだろ?
「ああ。世界最強っていうのは継承されるものでね、起源はいつか知らないけど、世界最強を殺せばそいつが世界最強として君臨することになるんだ」
まあ、そうなるわな。
「つまり世界最強は代が変わるごとに強くなっていくんだが、とりあえずそれは置いておくとして、今代の世界最強は人間なんだよ」
「人間が世界最強なのか?」
「そう。名前はエルドラド・ジニーウォークス。歴代の世界最強の中で最も強く、そして最も危険と言われる存在さ」
「エルドラド・ジニーウォークス……」
それが、今この世界で最も強い存在か。
「彼はたった一人で黒龍を倒してしまったんだ。昼寝の邪魔をされたからという理由でね」
そんな理由で!?
「その戦闘に巻き込まれて、辺り一帯は焦土と化したらしい」
「それは……気の毒っていうか、なんていうか」
「まあ、その黒龍の死体は全て放置されていたから、損害以上の利益が出たんだけどね」
「……なんだそれ。龍一体の死体にどんだけの価値があるんだ?」
「龍の爪と角は最強の武器になる。龍の鱗は頑丈な防具になる。龍の骨は強固な建物の骨組みになる。龍の髭は何よりも強力な紐としてあらゆる場所で多様される。龍の肉は魔力がたっぷり詰まった最高級の食材になる。龍の眼球は魔道具として利用できる。龍の核は最高のエネルギー源になる」
ギルは流れるようにすらすらと答えた。
「龍には使えない部位がないと言われてるぐらいさ」
豚かよ。
でもそうか、そんなに使えるなら莫大な利益が出るのも納得できる。なんか、龍が少しかわいそうになってきた。って言うか、食えるのか。
「なあ、そのエルドラド・ジニーウォークスって弟子とかいるのか?」
もし、弟子になれるのならなりたい。人間の身で世界最強まで上り詰めたそいつに鍛えてもらえれば、俺もそれなりに強くなれるかもしれない。
「ああ、いたよ」
「なんだ、過去形か?」
「そう、過去にいたんだ。数え切れないほど多くね」
「じゃあその弟子もめちゃくちゃ強いのか?」
「いや、もういないよ」
「行方不明ってことか?」
「違う、死んだんだ」
「ああ、死んだのか。……死んだ?」
寿命か?てことはそのエルドラド・ジニーウォークスより年上の弟子ってことか?
「弟子はたくさんいた。百を超えるたくさんの弟子が。でも例外なく、一人の例外もなく、全員がエルドラド・ジニーウォークスの厳しい鍛錬に殺されたんだ」
「……は?」
「賢者と呼ばれた魔法使いも、剣豪と言われた剣士も、拳で大地を砕いた格闘家も。エルドラド・ジニーウォークスの弟子は一人残らず死んだ」
「………」
「エルドラド・ジニーウォークスも初めから最強だった訳ではないよ。昔はただの"強い人間"だった。それが前代の世界最強の弟子になって鍛えられて、それで今代の世界最強になったんだ」
そりゃ、最初から完璧な人間なんているわけがない。
「彼らは普通に修行を受けさせる。ただ、基準が自分だからね。常人どころか、達人の域に到達した猛者達でさえ耐えられるようなものではないんだよ」
……そうか、そうだよな。そんな簡単にいくわけがないよな。
「……ウィル、少し外に出ようか」
ギルはそう言うと、傍らに置いてあった少し短めの剣を掴み、腰に差した。
◇◇◇◇
ギルは俺を連れて外に出た。空には雲一つない。何か恨みでもあるのか、太陽は俺たちを殺そうとするかのように強力な陽射しで照らしてくる。
「……暑い」
もう夏か。ギルがうちに来たのは冬の終わり。もう少しで半年が経つんだな。
「ああ、暑いね」
ギルはまるで暑さを感じていないような表情で同意した。なんだ?旅人は暑さを感じないのか?よく見れば汗もかいてないぞ?
「ウィリアム様〜!」
街中を歩いていると可愛らしい女の子が駆け寄ってきた。ランベルツ領の、つまり俺達の領民だ。
「ウィリアム様!握手して下さい!」
「え?ああ、はい」
なんでだ?
ギルは俺を連れて街の外れにある森に入った。その道中も何度か声を掛けられた。意外なことに俺は領民から人気があるらしい。これも全部、父と母のおかげだ。ありがたい。て言うか、パピーマミーのハイスペック具合が怖すぎる。
「さて、ここら辺でいいかな」
ふいに呟くとギルは大木の前で立ち止まり、のんびりと振り返った。ヘラヘラと笑みを浮かべてる。
「で?何のためにここに連れてきたんだ?」
「ん〜、説明するより先に見せようかな」
俺の質問には答えずにそう言うと、ギルは慣れた手つきで剣を抜いた。