第三十六話 恐怖
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「お二人って、本当に仲が良いですよね?」
ベルクさんが唐突に言ってきた。
「一応、幼馴染ですから」
「なるほど、昔からの仲というわけですか」
「はい!」
ベルクさんに葵が嬉しそうに答える。僕はそのやり取りを、ぼんやりと眺めていた。
既に、この世界に来て一月が経っている。僕は相変わらず何もせずにダラダラしていた。流石に、罪悪感を覚える。でも、望んでもないのに勝手に召喚されたんだ。これぐらい許してもらってもいいだろう。
「そんなお二人に、これをあげましょう!」
ベルクさんがくれたのは、腕輪型の魔道具。お互いの位置や状況がある程度分かるらしい。正直、いらない。
「わぁ!ありがとう!ベルクさん!」
しかし葵は過剰に喜んだ。いらないとは言えない雰囲気だ。とりあえず僕は、その場に合わせて礼を言った。こんなの、いつ使うんだよ。
「今日は僕は用事があるんで一緒には行けませんが、今日は少し遠くまで出てみてはいかがですか?本当に綺麗な花畑があるんですよ」
「花畑かぁ。ちょっと見てみたいかも。ね、蓮」
「いや、僕は別に……」
「え〜行こうよ〜」
結局、僕が折れたことは言うまでもない。
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「あ、ベルクだっけ?」
「ええ、そうですよ。覚えていて下さって光栄です、ナギト様」
俺の呼びかけに、ベルクは過剰気味に反応する。ここの連中は皆らこんな反応だ。正直、居心地は良くない。それでも俺達のために色々としてくれているのは分かるから、文句を言ったりはしないけどな。
「蓮と葵は?今日は見てないんだが」
「あのお二人なら、馬車に乗って少し離れにある花畑を見に行きましたよ。僕は仕事があって行けなかったんですが、ナギト様も行ってみますか?」
「ん〜花畑か。俺は別にいいや」
俺とベルクは並んで歩く。庭園に差し掛かった。綺麗な庭だ。
「ここの庭も充分綺麗だと思うけどな」
幻想的な、そんな雰囲気を感じる。嫌いじゃない。少なくとも、あの世界では何かに対してこんな感情を抱くことはなかっただろう。
「……ん?」
蠢く白い何かが視界の端に入った。俺はそこへ近付く。そこには、小さな白い生き物がいた。これまた小さい羽を生やしている。
「こいつは……?」
俺がその生物に近付くと、そいつはビクリと体を震わせた。……ちょっと可愛い。
「ナ、ナギト様!それからお離れ下さい!」
ベルクが急に慌て出した。何にそんな怯えているんだか。
「そいつは龍種の子供です!しかも、上位種の白龍!」
龍種。確か、この世界の最強生物だっけか?
「そんな危険には見えないけどな。まだ子供だし。ほら、こっち来いよ」
俺が手招きをすると、龍種の子はよちよちと歩いてきた。これはやばい。可愛すぎる。そして元まで来ると、差し出した手に頬擦りをしてきた。
「……決めた」
「え?」
「俺、こいつ、飼う」
もうダメだ。俺、ハートを掴まれちゃったよ。
「……信じられない。子供とは言え、龍種を手懐けてしまうなんて……!これが、勇者……?」
「いやいや、大したことないって。ほら、ベルク。お前もこっち来てみろよ」
俺はベルクを強引に近づけ、龍種の子を抱き上げて近付けてみた。ベルクは恐る恐る手を伸ばす。そして、少しだけ触れた。
「凄い、初めて龍種に触った!」
ベルクは何やらテンションが上がり始めた。一人で賑やかな奴だなぁ。
さて、飼うからには名前を付けないといけない。とは言っても、こいつの名前は付けやすそうだな。真っ白だし……ハク?
「いや、シロだな。お前は今日からシロだ」
ちょっとそのまま過ぎるかな?でも、悪くないだろう。変に捻った名前を付けるよりかは、こいつも幸せなはずだ。多分。きっと。
「キュイ!」
おお、鳴いた!めちゃくちゃ可愛い!
「それにしてもナギト様。本当にその龍の子を飼うんですか?」
「シロ」
「え?」
「龍の子じゃなくて、シロ」
「……その、シロを飼うんですか?」
「ああ。飼うよ。俺が責任を持って育てる」
「……分かりました。ですが、恐らくこの事は秘密にしておいた方がいいでしょう。まだ子供とは言え、危険種であることに変わりはないので」
「はいはい」
危険種、ねぇ。こんなちっこいのが、ほんとに危ないのか?
「シロは危なくなんてないよな?」
「キュイ!」
シロはよじよじと俺の体を登って、頭の上に乗った。俺が勇者の力を持っているからか、重さはほとんど感じない。
「……勇者、か」
何一つ叶えられなかった俺が、最終的に勇者に就職。国を守るために戦うのか。
はは、笑えねぇ。
◆◆◆◆
「……葵。あれって、何?」
僕達が乗っている馬車の前に、黒い"ナニカ"が立っていた。人のような形をしているソレは、僕達の方を見て微動だにしない。
「なんだろ……?魔物?」
葵はそう言い、託されていた一本の剣を握った。
「………、……め、……のため」
御者台に座っている従者さんが、何やらブツブツと呟いている。どこか、様子がおかしい。怯えているのか?
「引き返しましょう、従者さん。なにか、嫌な予感がします」
これは、恐怖だ。言葉に出来ない恐怖。体の底から湧いてくるような、そんな恐怖。
「従者さん?」
従者さんは何も答えない。ただ、ブツブツと何かを呟いているだけだ。
「あ……」
「え?」
「ああああああああああ!!!」
「うわっ!」
「きゃっ!」
従者さんは奇声をあげ、僕と葵を馬車から突き飛ばした。突然のことに、反応出来ない。そして、従者さんは馬を走らせ、全力で逃げて行った。
「……え?」
え?なにが起きたんだ?なんで?なんで置いて行かれたんだ?
「れ、蓮……」
「ーーーーーーー!!」
葵が僕に呼びかけた時、黒い"ナニカ"が悍ましい叫び声をあげた。まるで、この瞬間を待っていたかのように。咄嗟に耳を塞ぐ。それなのに、叫び声ははっきりと聞こえた。
「なんだよ!なんだよ!なんなんだよ!?」
怖い。訳が分からない。どうしてこうなった?
ベルクさんに花畑を勧められた。葵に行こうと押し切られた。馬車で目的地に向かった。そして、コレに出会った。
なんで従者さんは僕達を突き飛ばしたんだ?自分が逃げるための囮?……いや、
『……王国のため』
従者さんは何かに怯えながら、そう呟いていた。王国のため?なにが?なにが王国のためなんだ?
「蓮っ!!」
葵の声に、ハッとする。いつの間にか、黒いナニカは僕の眼前まで迫っていた。そして、輪郭もあやふやなその腕を振り下ろす。僕はただ、それを見ているだけだった。
「っ!」
「葵!?」
その腕は僕に届かなかった。僕を庇う形で飛び出した葵が、握り締めた剣で受け止めたからだ。
「はぁっ!」
葵はナニカの腕を弾き、胴を袈裟懸けに斬る。ナニカは叫びながら、少し距離をとった。
「はぁ、はぁ、はぁ」
既に葵は息を荒げている。怖いんだろう。僕もそうだ。
女の子だけに戦わせて良いのか?良いわけがない。ましてや、葵だ。葵だけに、戦わせるわけにはいかない。
怖い。でも、戦え、僕。戦え。戦え。戦え。戦え!
「蓮!逃げて!」
葵のその声を聞いた僕は、剣を握りーー
敵に背を向けて、全力で逃げ出した。