第三十二話 無意味
◇◇◇◇
「がっ、ふっ」
ゴポリと、血の塊が口から零れ落ちる。
「よいしょっ、と」
ウッドフォードか爪を引き抜いた。傷口から血が噴き出す。俺の血が、流れ出る。
気付けば、俺は仰向けに倒れていた。どのタイミングで倒れたのか分からない。だが、倒れていた。
まずい。このままじゃ死ぬ。
俺は静かに、ゆっくりと、自分の鼓動を止めた。
「あれ、もう死んだのか?」
ウッドフォードが俺に近付き、覗き込んだ。ここだ。俺はすぐに鼓動を動かした。そして俺の最高速度で自分の血をウッドフォードに付けた。
「消印」
俺の呟きと共に、ウッドフォードの腹に拳大の穴が空いた。たらりと血が垂れ、そして一気に噴き出した。
「な、がっ、あぁ!なんだこれ!?」
俺の切り札の一つ、消印。物質を原子レベルで分解し、実質消滅させる魔法。この世界の魔法と、前世の知識を足して開発したオリジナルだ。
だが、これは超近距離でしか使えない上に、普段から魔力に浸っている自分の血液が必要だった。消印の消費魔力は人間が出せる最大出力を大幅に上回っている。いくら保有魔力が多くても、そこはどうにもならない。そこで、魔力を外から用意する必要があるのだ。
俺は普段から自分に封印をかけている。その対象は力全て。もちろん、魔力も含まれている。その、体内に保有され、しかし封印によって行き場を無くした魔力は俺の体中を血液に混ざって巡ることなる。そのため、普段から魔力にさらされている俺の血液は膨大な魔力を孕んでいるのだ。
俺は自分に空けられた風穴を塞ぐために魔法をかけながら、血を吐き出してニヤリと笑った。
「なぁ、死んだフリって知ってる?」
「ぅ、ぐ、この、人間風情がァァァ!!」
魔力が跳ね上がった。こいつ、まだ全力じゃなかったのか?
「うわっ!」
ウッドフォードに腕を掴まれ、空に投げられた。まだ傷は治せてないのに、酷い扱いだ。体勢を整えて下を見ると、ウッドフォードは俺を向いて口を開けている。そして、咆哮が放たれた。中央の空を、真っ赤な火柱が彩る。
「ちぃっ!」
舌打ちを一つ、俺は転移で近くの建物の屋根に移った。ガクンと、膝をつく。やはり、まだ力が入らない。
「はい、治った」
龍種の翼を広げ飛んできたウッドフォードの腹は、確かに塞がっていた。原子レベルで分解したはずなのに、こんなに完治が早いわけがない。龍人には、なにか特殊な回復方法があるのか?
「次元斬」
その呟きが聞こえた瞬間、俺は痛みで沸騰しかけている脳をフル稼働させ、転移を連発し、その場を離脱した。刹那、さっきまで俺がいた空間がズレた。次元斬。次元を操る龍種の魔法だ。危なかった。あと1秒でも遅かったら確実に死んでた。
「はぁ、はぁ」
腹の穴は塞がった。だが、質量保存の法則までは覆せない。全体的に痩せたか?肉食わないと。
物理法則に散々喧嘩を売っているこの世界だが、それでも越えられないものはあるのだ。
「っ!」
迫ってきたウッドフォードの拳を、俺は片手をついてバク転で躱す。そのまま爪先で顎を蹴り上げた。それほどダメージは与えられなかったが、顎は人体の急所の一つ。ウッドフォードはバランスを崩した。
「死ね!」
俺はハクを手元に引き寄せ、首を目掛けて振った。風を切る音が鳴る。だがそれは、ウッドフォードの首には届かなかった。
「尻尾まで……!」
ウッドフォードの腰辺りから伸びる尻尾が、俺の右手首を締め上げていた。『龍種にあって龍人に無いものはない』。あれは嘘ではなかったらしい。
「ぐあ!!」
右手首を折られた。骨が砕ける音が響く。
「ほら、そろそろ終わりだ!」
「かっ!?」
ウッドフォードの蹴りが俺の首に直撃した。ギリギリ折れはしなかったが、呼吸が止まる。
建造物群の上空を、俺は超えて弧を描いて落ちていく。俺の更に上から、ウッドフォードの影が降ってきた。……ダメだ。
「おらぁっ!」
「がっ、はっ!!」
宙で縦に回転して勢いをつけたウッドフォードは、そのままに踵落としを放った。その踵は、俺の腹を穿つ。骨はイかれ、傷口は開いた。体はくの字に折れ曲り、俺の体は物凄い速度で建物を上から破壊し、地面へと叩きつけられた。
目の前がチカチカする。意識はまだある。だが、体が全く動かない。どうやら俺は、負けたらしい。
「ぐっ、うぅ……!」
瓦礫に埋まる体をなんとか抜け出させようとするが、脳からの電気信号に身体が反応しない。
「……お前、人間族の割に強かったな」
ウッドフォードが近付いてくる。
「はは、正直、ちょっと危なかったぜ」
口から血を吐き出し、ウッドフォードは愉快そうに笑う。あれ?俺、なんでこいつと戦ってたんだっけ?
「ほれ、下手な変装なんてやめちまえ」
ウッドフォードは指を鳴らす。それと同時に、俺の髪が白色に戻った。目にかかる髪は砂埃で汚れ、灰色に濁っている。
「殺してもいいけど、お前を殺したら俺がディールに殺されそうだからなぁ。見逃してやるか。楽しめたしな」
ウッドフォードは俺に背を向けた。そして、立ち去っていく。
「………」
俺は一言も発せないまま、意識を手放した。
◇◇◇◇
「……ん」
目を開けると、目の前には見知った天井が広がっていた。例によって、保健室だ。
「……起きたか」
ベッドの傍には、ニーナ先生が座っていた。
「今回はまた、派手にやらかしたな」
言い返せない。
「街の被害は甚大だ。今はアルフレッドが動いてくれている。これはお前に対する『貸し』らしい。お前とウッドフォードの戦いが異次元過ぎて、誰もお前の正体を見抜けなかったのは不幸中の幸いだった」
そうか、まだ俺とはバレてないか。
「最初にお前を見つけたのが私で良かった。もしも先に見つけられていたら、誤魔化しようがなかったからな。まぁ、あんな激戦地に誰も近付かなかっただろうが」
「そう言えば……マナは?」
そうだ、マナだ。一番重要なのに、なんで俺は忘れてんだよ。
「マナは……歩ける程度には治した。でも、私にはそれが限界だ。これ以上は、私には治せない」
ニーナ先生は悔しそうな表情を浮かべる。やめてくれ。全部、俺が悪いんだ。
「私はな、元々回復魔法が得意という訳ではないんだ。ある理由から、この学園に身を寄せさせてもらってるんだ。だから、本当は私に保健室は相応しくない。すまない、私の力不足だ」
違う。あの時、俺がもっと早く飛び出していたら、少なくともマナは足を潰されることはなかった。あの時、俺がマナを無理やりにでも棄権させておけば、こんな事にはならなかった。
「そんな顔するな」
……どんな顔だよ。自分でも今、どんな顔をしてるか分からない。
「マナのために怒って、龍人であるウッドフォードと戦ったんだ。こんなにボロボロになるまで。お前がどれだけマナを大切に思っていたかも分かる。誰も、お前を責めたりなんてしない」
………。
「ニーナ先生」
「なんだ?」
「先生って、意外と先生っぽい事も言えるんですね」
「……ははっ、しばくぞ」
俺は、負けた。無力だった。果たして、ウッドフォードと戦った意味はあるのか?
考えるまでもない。意味なんて無かった。
次話でこの章は終わりです!