第三十一話 殺意
◇◇◇◇
ウッドフォード・バラッドは魔人族の男だった。何の系統なのかは分からないし、ローブのフードを深く被っており、顔も見えない。トーナメントはマナとウーガを含め、クラスメイトの時にしか見ていないから、この男の情報を俺は何も持っていない。だが、強いことだけは分かった。
そんな男の前に、マナは歩いて行く。会場は既に最高潮に盛り上がっていた。マナも既に注目の的だ。
ただ、俺の目にはマナはやはり怯えているように見える。あのマナが恐れるのだ。ウッドフォード・バラッドはそれだけ強いのか、それとも極悪非道なのか。
「………」
俺は観客席の最前線を陣取り、競技場の様子を見守る。
試合が始まった。マナがウッドフォードに肉薄する。恐らく最初から本気だろう。今まで見た中で、一番速い。多分、他の観客からは消えたようにしか見えてないはずだ。
そして、ウッドフォードに蹴りを放つ。その足は速すぎて、俺にも残像しか見えなかった。マナの蹴りは衝撃波を放ち、競技場の壁に大きな傷を残す。ウッドフォードはそれを、首を傾けるだけで躱していた。マナは何かを察したのか、また最高速度で距離を取る。
その一瞬の攻防に、観客は盛大な拍手を送る。強者同士の、互角な戦いだと思ってるのだろうか?俺にはそうは見えないが。
マナはまた、ウッドフォードに蹴りを放った。さっきと同じ、もしくはそれ以上の速さで。それを、ウッドフォードは片手で受け止めた。
「……え?」
誰かが呟いた。それは観客なのか、それともマナなのか。俺には分からなかった。
ウッドフォードはマナの片足を掴んだまま、地面に叩きつけた。床には蜘蛛の巣のような大きなヒビ割れがマナを中心に生じる。ウッドフォードはそれでも足を離さず、宙に放り投げた。
「……かふっ」
マナが酸素を求め、呼吸をする。衝撃で詰まったのだろう。聴覚を強化した俺の耳には聞こえた。
ウッドフォードは宙を舞うマナに、回し蹴りを打ち込んだ。それはマナの腹部を穿つ。バキバキと、骨の折れる音が聞こえてきた。マナは地面と水平に飛ばされ、壁に叩きつけられる。そして、力無く倒れ伏した。
会場は妙に静まり返っている。同格の戦いと思っていたのに、結果は圧倒的だったのだ。息を飲む音が聞こえた。
審判がウッドフォードの勝ちを宣言する。一拍置いて、はち切れんばかりの拍手がウッドフォードに贈られた。ウッドフォードはそれにおざなりに手を振り、未だ倒れるマナに歩み寄る。
観客の顔には笑みが浮かぶ。勝者が敗者との戦いを称えると思ったのだろう。俺も、そう思った。だが、昨日から嫌な予感がしているままだ。俺は静かに魔法を使い、髪の毛を金色に染めた。この先何が起こるか分からない。白髪はよく目立つからな。
ウッドフォードはマナに近付くと、その左足を思い切り踏みつけた。ゴキャリと、嫌な音がする。
「ああああああああ!!?」
マナの叫び声が響いた。
会場の時間が止まる。あまりにも突然の出来事に、理解が追いついていないのだ。俺も、反応出来なかった。嫌な予感はしていたのに、想像を大きく上回るその光景に、体が反応出来なかった。
俺がそれに反応出来たのは、ウッドフォードがマナの右足も同じように砕いた時だった。
「お前ぇぇぇぇぇぇ!!!」
俺はほとんど反射的に転移を使い、ウッドフォードの頭上に移動した。そして、踵落としを放つ。ウッドフォードはそらをヒラリと躱し、俺と距離を取った。俺の踵は床を粉々に砕く。が、そんな事はどうでもいい。
「マナ!マナ!!」
マナの体を抱きかかえ、呼びかける。マナは苦痛に顔を歪めていた。くそ!遅かった!遅すぎた!
「お前、その女の知り合い?」
無視する。駆け寄ってきた医療班の人達にマナを預け、俺はウッドフォードと対峙した。こいつは許さない。
「君、退場しなさい!もう試合は終わったんだ!」
「黙れ」
審判が俺を競技場から出させようとする。知るか。
俺はウッドフォードに肉薄する。さっきのマナを超える速度で。ウッドフォードの背後へと回った俺は上段の蹴りを放った。それは顔を傾けることで躱されたが、俺の足はフードを掠めた。フードがハラリと脱げ、顔が露わになる。
「……龍人、か?」
龍人。魔人族の中でも最強種と言われる存在。世界最強種と言われる龍種が突然変異したのが始まりとされている。
「へぇ、お前、やるなぁ」
ウッドフォードはフードが脱げた事なんてどうでもいいのか、ヘラヘラと笑っている。その顔がうざい。今すぐにぐちゃぐちゃにしてやりたい。
「……おい、お前。なんであんなことをした?」
「あんなこと?」
「とぼけるな!なんでマナの足を潰したんだって聞いたんだ!」
俺は怒りを必死に抑える。
「ん?別に、理由なんてないが?」
抑える。
「理由が、ない?」
「なんとなく、だな。あの女、昔俺が腕を潰した女だろ?だから足も潰そっかな〜って」
抑える……必要があるのか?
「……あいつはな、このトーナメントを楽しみにしてたんだ。各国の軍隊からスカウトをもらうためって。それなのに、お前は……!」
「そっか。でも、それも全部、あの女が弱いのが悪いんだろ?俺はなーんにも悪くない。違うか?」
………。
「むしろ、殺されなかっただけラッキーだと思って欲しいな」
「ふざけるな!!!」
殺す!
「創造魔法、武装!」
俺の周囲に無数の武器が浮き上がった。剣も、槍も、矢も、斧も、ありとあらゆる武器だ。それを創造した。
それら全てに、電気を纏わせる。少しでも貫通力を上げるために。少しでも確実に目の前の男を殺すために。
「いけぇ!」
無数の武器が、一切にウッドフォードを襲った。観客席から悲鳴が聞こえる。知るか。
「ははっ、いいな。やっぱり、お前強いじゃん」
砂塵が晴れると、そこには荒れ果てた会場と無傷のウッドフォードがいた。ローブはボロボロになっているが、肌には傷一つない。
「なぁ、知ってるか?龍種にあって、龍人に無いものなんてないんだぜ?」
ウッドフォードの肌は赤い鱗で覆われていた。赤龍の系譜か。つくづく、龍と縁があるらしい。
「だから、なんだ?」
俺は右手の紋を赤く光らせる。もちろん、緑龍の皮で作った手袋でそれは隠れているが。
「死ね」
俺はウッドフォードの眼前まで転移し、思い切り腹を殴った。メキリと、鱗が割れた感触を感じた。
ウッドフォードは俺が生じさせた衝撃波と共に吹き飛んだ。競技場の壁にぶつかり、そのまま突き抜けて外まで飛ぶ。だがそこで止まらず、外の建物すらも破壊しながら飛んでいった。観客席の上から、砂埃が見える。
鳴り止まない悲鳴を背中に、俺は追撃のために競技場を飛び出した。少しはダメージを与えただろうが、あの程度で死ぬ訳がない。
ウッドフォードが飛んでいった跡は、地面は抉れ、建物や壁は大きな穴が開いている。俺はその跡を走りながら、リミッターを70パーセントまで解除した。
「ぶっ!?」
背中を足裏で踏みつけられた。いつの間にか、ウッドフォードに背後を取られていたらしい。全然気付かなかった。
「いいな、お前!想像以上に良い!ディールが言ってたのはお前のことか!」
「痛え……ディール?」
ディール?……赤龍?そう言えばあいつ、『我がここにいるのは偶々ではない。呼ばれたからだ』って。
「……お前が、あいつをあの競技に紛れ込ませたのか?」
「ああ、そうだ。それで、ディールが戦った人間ってお前のことだろ?ウィリアム・ランベルツだっけか?あのディールがやけに気に入ってたが、なるほど、分からなくもない」
「うるせぇ、死ね」
俺は右手に光の剣を作り出し、ウッドフォードの顔を目掛けて振った。それを、顔を少し引くだけで避けられる。
「まだ甘いけどな」
「ぐっ!」
顎への蹴り上げを、左腕で防いだ。防御魔法はかけてたのに、骨が軋む。
「ふっ!」
「があっ!?」
ウッドフォードの足が俺の脇腹にめり込む。息が詰まる。そのまま俺は蹴り飛ばされた。石畳を削り、建造物を破壊しながら。
「ほら、やり返してみろよ」
「っ、へぶっ!?」
俺が勢いを殺しきる前に、いつの間にか並走していたウッドフォードに頰を殴られる。歯が数本折れた。痛みで訳が分からない。
「くそ、が……」
瓦礫の中から這い出る。ウッドフォードも立場が悪くなると考えているのか、人には被害が出ないようにしているみたいだ。たちが悪い。
俺はウッドフォードの左肩を指差した。そして、ゆっくりと指を下へと動かす。
「へぇ、内部干渉ってこんな事も出来るのな」
鈍い音が鳴った。ウッドフォードの左肩の骨は割れたはずだ。なのに、余裕の笑みを崩さない。
「いいぜ、腕一本ぐらいくれてやる。いいハンデだ」
声が、背後から聞こえた。振り返る間もなく蹴られる。
「龍種が人型になるって、結構厄介だろ?小回りが利くしなぁ!」
「ぐっ、がっ、ぶっ、ぎっ」
ウッドフォードは目にも留まらぬ速さで俺を袋叩きにした。全方位からほとんど同時に殴打され、意識が飛びそうになる。
俺はリミッターを全解除した。
「がっ、ぷっ、……らぁっ!!」
「なっ、ぐっ!?」
姿を見極め、ウッドフォードの脳天を頭上から肘で打ちつける。その勢いで、ウッドフォードは顔面を強く地面にぶつけた。
「ハンデを作ったことを、後悔させてやる」
俺はハクを取り出し、逆手に持つ。そして切っ先を突き刺した。手応えは想像以上に軽く、ハクはあっさりとウッドフォードの後頭部を貫いた。
「脱皮って、知ってる?」
背後、しかしさっきとは違って少し遠くから声が聞こえた。たった今貫いた物を見ると、中身のない鱗になっている。振り返ると、ウッドフォードは深く息を吸い込んでいるところだった。
ーーまさか、咆哮まで撃てるのか?
俺はすぐに転移を発動し、回避しようとした。だが、立ち止まる。街中で咆哮を撃たれたら、被害はシャレにならない。
「くそっ!」
間に合うか?
俺はウッドフォードの目の前まで転移し、今にも開かれそうな口に右手の掌を当てようとした。咆哮を口の中で暴発させるためだ。
「やっぱり、そうくると思った」
「っ!?」
ウッドフォードは口を開ける。だが、何も起こらない。
「フェイク!?」
「遅いっての」
ウッドフォードの爪が、俺の腹を貫いた。