第二十九話 兄弟喧嘩
◇◇◇◇
「まさか、お前と戦うことになるとはな、ウーガ」
「……兄さん」
目の前に、兄さんが立つ。会場は賑わっている。四回戦ともなれば、注目度も上がるのかな。僕がこんなに注目されるのは初めてだ。でも、緊張する余裕はない。
「あの人間に何を唆されたのか知らないが、お前が俺に歯向かうようになるとはな。その成長は、嫌いじゃない」
「………」
「でもな、力も無いのに威勢だけ良い奴は、嫌いだ。ウーガ、お前の事だよ」
「………」
確かに、僕には兄さんに勝つ自信はない。正直、今すぐにでも逃げ出したい。
『……ウーガ、本当にすまない。俺のせいで、お前のトラウマを抉るようなことになって』
試合前、ウィル君は僕に謝った。確かに、僕も最初はウィル君を疑った。こんなことを僕に託すなんて、ウィル君も本当は僕と一緒にいるのは嫌なんじゃないかって。
『でもな、ウーガ。これだけは信じてくれ。俺はお前とこれからも友達でいたい。俺は、お前なら勝てると信じたからこそ、お前に託したんだ。自分の事が信じれないなら、俺の事を信じてくれないか?』
ウィル君はすぐに表情に出る。だからすぐに分かった。ウィル君は僕を勇気付けるためにそう言ったんだ。でも、だからこそ、僕の事を信じてるのも本当だって分かった。
「兄さん」
「……なんだ?」
僕は兄さんを正面から見た。僕よりも更に大きな体格で、筋肉だって2倍近くありそうだ。怖い。兄さんと戦うのは、正直言って震えるほど怖い。今すぐにでも棄権したい。
それでも、覚悟を決めた。
「僕は、逃げないよ」
兄さんは、ニヤリと笑った。そんな気がした。
◇◇◇◇
「試合っ!始めっ!!」
審判がそう叫んだ瞬間に、僕は駆け出した。ウィル君と戦闘訓練をした時に言われた事を思い出しながら。
『ウーガは優しすぎるからさ、戦う時はその優しさを捨てるべきなんだよ。でも、それは簡単なことじゃないと思う。だから……』
『だから……?』
『思い切って、先手必勝だ。とりあえず一撃当てたら、多分吹っ切れるだろ』
『……それ、関係ある?』
結局は疑ってしまったけど、試してみるのはありだ。僕は兄さんの顔面に拳を思い切り当てた。
「……なんだ、ウーガ。それが本気なら、期待はずれもいいとこだぞ?」
兄さんは僕の拳をガードもせずに顔面で受け止めた。ビクリともしない。
「まぁ、この俺に本当に立ち向かったことだけは評価してやる」
「ぶっ!?」
顔に一撃をもらってしまった。顔が仰け反り、体は宙を浮き、そのまま後ろへと飛ばされる。ノーバウンドで壁に激突する。
「う、うぅ」
痛い。こんな痛みは初めてだ。昔、兄さんに虐められていた時のことを思い出す。あれは、全然本気じゃなかったんだ。
顔に手を当てると、鼻血が流れていた。血を流すなんて、何年ぶりだろう。
「その程度か?」
兄さんが歩み寄ってくる。倒れる僕の前までくると足を掴み、片手で軽々と投げられてしまった。
「がっ!?」
背中から地面に落ちる。また、兄さんが歩み寄ってくる。ダメだ。
怖い。怖い。怖い。怖い、怖い、怖い、怖い怖い怖い。
「これでお前は、あの人間との関わりを断ってもらう」
怖い怖い怖いこわ……ウィル君と?
「う、わあぁぁぁぁ!!!」
「っ!」
ただがむしゃらに。腕を振り回した。そんなの嫌だ。やっとできた、僕の友達なのに。
「はは、やるじゃないか」
兄さんは後退していた。僕の腕が当たったのだろうか?肩に赤い痣が見える。
「かかってこい、ウーガ!お前の本気を見せてみろ!」
……そうだ、僕は何を怯えてたんだ。傷付く事を恐れるな。傷付けることを恐れるな。大切なものを、失いたくないのなら。
「僕は!兄さんを!!倒してみせる!!!」
吠えた。今までの自分と離別するために。後には引けないようにするために。
兄さんの頰を殴る。今度は、兄さんの顔は弾かれた。効いてる。
「ぐっ!」
殴られた。視界がブレる。でも、殴り返した。腹を殴られた。また、殴り返す。拳同士がぶつかった。痛い。衝撃が骨にまで染みる。それでも、退かない。
「おおおおおおお!!」
四本の腕を使って、ラッシュを繰り出す。殴れば、同じだけど殴られる。痛い。痛くてたまらない。痛すぎて死にそうだ。でも、今だけは倒れる訳にいかない。
「が、はっ!」
腹を蹴られた。息を吐き出してしまう。少し前のめりになったところで、後頭部を殴られた。思考が、鈍る。顎を殴られた。全身から力が抜ける。それでも、踏ん張った。
「うおおおおおっ!!」
兄さんを殴り飛ばした。自分でも驚く。自分にこんな力があったなんて。
ふと、会場に拍手が響き渡っているのに気付いた。僕たちに向けた拍手なんだろうか。今は、どうでもいい。
「ふふ、まさか、お前にとってそこまで大切な存在が人間だとはな。面白い」
ウィル君だけじゃない。マナさんだって、大切な友達だ。そこは勘違いされると困る。
でも、ウィル君は僕を変えようとしてくれた。こんな臆病な僕を、変えようとしてくれた。たった独りだった僕に、手を差し伸べてくれた。
初めてウィル君に声をかけた時は、どうせ断られると思った。それでも、他種族と関わりたいと言う彼に憧れたんだ。僕も、そう思うから。でも臆病で、そんな事を言えたことはなかったから。
ウィル君はきっと、僕が変わらなくても、今まで通り仲良くしてくれる。でもそれは甘えだ。僕は変わりたい。そして、状況は整った。ウィル君も僕を信じてくれてる。なら、やる事は一つだ。
「そんなんじゃないよ兄さん。今は、それは関係ない」
「……なら、なんだ?」
「確かに、きっかけはウィル君だよ。でも、今は違う」
ウィル君のために、なんて思ってたら変われない。ウィル君と友達でい続けられない。そう、確信した。
「兄さん。初めての兄弟喧嘩をしよう。今までは一方的にやられてただけだけど、僕は変わりたいんだ」
ウィル君や、マナさんとずっと一緒にいられるように。
「だから、まずは兄さんを克服する」
「……ふん、やれるのか?」
「おおお!」
僕はまた、兄さんの懐に潜り込んだ。僕は戦闘技術では、兄さんの足元にも及ばない。なら、泥試合に持ち込むしかない。僕の唯一の取り柄を活かすんだ。
「はぁっ!」
「ぶふっ!?」
兄さんの掌底から放たれた衝撃が、僕の腹を貫く。頑丈さも関係ない、体内へのダメージ。視界がぼやけた。
「う、ぐぅぅぅ!!」
兄さんは僕の拳を全て捌く。力んでいるようには見えないのに、僕の力を利用して軽々と躱された。兄さんも、本気なのか。
「がっ、うっ、ぎっ!」
兄さんの掌底と拳が、次々と僕を捉える。堪え難い痛みが僕を襲う。少しずつ、膝が震えてきた。立っているのも限界が近付く。意識が遠のいてきた。
かっこ悪いな。あんな啖呵切っておいて、瞬殺じゃないか。でも、頑張ったよね。あの兄さんに、ここまで言えたんだ。ここまで戦えたんだ。僕も少しは変われたんじゃないかな。
「ウーガァァァ!!!」
「っ!?」
ウィル君の声が聞こえた。
そうだ、僕は負けられないんだ。このまま終われば、僕は変われても、ウィル君とは一緒にいられなくなる。
ウィル君、ありがとう。
兄さんの激しい攻撃の中、僕の二本の手で兄さんの四本の腕を防いだ。ここしかない。
「ああああああああ!!!」
殴る、殴る、殴る、殴る。僕にはこれしかできない。でも、これならできる。僕は全力で、無我夢中に、拳を突き出した。
いつの間にか、僕も殴られていた。もう、痛覚が麻痺してきてる。僕の一撃が、兄さんの一撃が、繰り出されるたびに衝撃で床が剥がれ、砂塵が舞い上がる。もう、周りの声も何も聞こえない。殴られる衝撃音も聞こえない。それでいい。この体が動けば、動くなら、それでいい。
僕はただ、兄さんだけを見ていた。
◇◇◇◇
「……ーガ!ウーガ!」
「うっ」
目を覚ますと、目の前にウィル君とマナさんがいた。倒れている僕を覗き込んでいる。僕はまだ、競技場の中にいた。
「ウーガ、大丈夫か?意識ははっきりしてるか?」
「……ウィル君、マナさん。試合は、試合はどうなったの……?」
「引き分けだ。最後、お前らは二人同時に倒れた。二人ともここで敗退って形になるけど、ほら、聞こえるか?」
ウィル君の言葉に、初めて気付く。盛大な拍手に。
「これは全部、お前の戦いに送られてるんだ。頑張ったな、ウーガ」
「私も、正直見直した」
「………」
良かった。どうやら僕は、少しは変われたらしい。結果は引き分け。これで試合前の約束がどうなるかは分からない。でも、やれる事はやった。悔いはない。
僕はまた、意識を手放した。
あと三話ぐらいでこの章は終わります!