番外編 昼寝の後の運動
◇◇◇◇
そこは、ある国の中にある、ある領土の近くにある、ある大森林。その森の中でも一際大きな樹の根元で、昼寝をする一人の人間がいた。
名前はエルドラド・ジニーウォークス。世界最強と呼ばれる人間族である彼は、昼寝をしていた。
生まれた時から彼は強かった。生まれて1年も経たないうちに魔物を狩るという、意味が分からない程の力を持っていた。そんな彼が世界最強となったのは10歳の頃。前代の世界最強、魔人族であり剣豪と呼ばれた吸血鬼、キラ・ソーサリーを激闘の末倒し、世界最強と呼ばれるようになった。それから数十年、彼の地位を脅かす者は未だ現れない。
命をかけた極限の死闘を好む彼は退屈していた。最後に楽しんだのはキラ・ソーサリーとの戦い。それから彼を楽しませる者は一人としていなかった。だから彼は弟子をとった。いないのなら自分で育てよう、と。しかし、そのもくろみは外れる。
彼の弟子はみんな強かった。だが、それでも彼の足元にも及ばなかった。彼は、エルドラド・ジニーウォークスは強過ぎたのだ。
彼は自分の強さを呪った。強過ぎるせいで、自分はもう、楽しむことができないと。強過ぎるせいで、自分は一生孤独だと。
彼は世界最強だが、一人の人間。常人よりは多少長いだろうが、それでもいつかは寿命がくる。それまでに、果たして自分はまた楽しむことができるのだろうか?
楽しみがない生など、意味がない。だから彼は生きることに絶望した。絶望した結果、彼はよく寝るようになった。
要するに、不貞寝である。
◇◇◇◇
その日も彼は昼寝をしていた。大きな大きな森の、誰も近付かないような森の奥にある大木の根元で。そんな彼の上に、一つの大きな影が落ちる。
「人間。そこは私の寝床だ。すぐに去れ」
「……あァ?なンだって?もう一回言ってくれや」
先に述べておくと、彼は決して相手を煽っている訳ではない。昼寝してために聞いていなかっただけであって、煽っている訳ではないのだ。
「……貴様、私が何か分かっているのか?」
影が発した威圧が、広い広い森を震わせる。それを間近で受けたエルドラドはしかし、身動き一つせず、目さえもまだ開かない。
「るっせェなァ。別に寝床ぐらいどうでもいいどろうが。それともなンだァ?黒龍様は、ここじゃねェと寝れねェのかァ?」
「………」
エルドラドは目を開けていない。が、それでも相手か龍種であり、尚且つその最上位に位置する黒龍ということも分かっていた。分かっていた上で今の態度。それを理解した黒龍が口を一瞬引攣らせる。
「あまり……無駄な殺生はしたくないのだがな」
「あァ?はっ、笑わせんな!テメエ如きに殺やれるかってンだよ」
ここで初めてエルドラドは目を開けた。目の前には漆黒の鱗をもつ巨大な龍。その姿を視界に入れて、彼は嘲るような笑みを浮かべた。
龍種の中にも序列が存在する。上から順に、
黒龍
白龍
赤龍
青龍
緑龍
となる。
つまり、エルドラドの目の前にいるのは黒龍であり、この世界での最強生物だ。それを分かった上で、彼は笑った。
龍種は皆、プライドが高い。それは最上位の黒龍も例外ではない。最も強い龍種が、最底辺と言っても過言ではない人間族に馬鹿にされた。黒龍にとって、相手を殺すのには充分な理由だった。
「ーーー!」
黒龍は叫んだ。本来ならば、人間如きを殺すのに『叫び』など必要ない。踏み潰してしまえばそれで終わりなのだから。だが、黒龍は敢えて叫んだ。エルドラドに少しでも恐怖を与え、自分に喧嘩を売ったことを心の底から後悔させるために。
黒龍の叫びは他の龍種と違い、質量を伴った。木々はへし折れ、地面は抉れる。黒龍は凶悪な笑みを浮かべた。
しかし、砂埃が晴れた後、そこにエルドラドは立っていた。黒龍と同じく、笑みを浮かべて。
「……は?」
「ははっ!なンだテメエ!いいじゃねェかァ!」
「貴様……一体……っ!」
「ンなこたァどうでもいい!ほら、テメエが言ったンだろうが。さっさと殺り合おうぜ!」
エルドラドは興奮していた。黒龍の存在は知っていたが戦ったことはない。それは所詮、黒龍とは言っても自分を楽しませることは出来ないだろうと思い込んでいたからだ。だが、違った。黒龍は自分を楽しませてくれる。そう確信したからこそ、エルドラドは笑った。
そして、戦いが始まった。
黒龍は咆哮を撃ち、世界で一番広いとも言われている大森林を一撃で吹き飛ばした。露わになった広大な大地を、エルドラドは腕の一振りで真っ二つに裂いた。
そこにはもはや、生物の姿は無かった。ただ、力と力のぶつかり合い。ぶつかる度に天が割れ、大気が震える。遠くからその戦いを見ていた者には、それが世界の終わりにしか見えなかったという。
永遠に続くかに思われたその戦いも、次第に収束を始めた。と言うよりも、初めから結果は見えていた。
黒龍は、戦い始めてすぐに勝敗を察した。自分がどれだけ全力の攻撃を叩き込んでも、目の前の人間はビクともしなかったのだから。空を落としても、地に埋めても、時を止めても、空間を飛ばしても、次元ごと砕いても、存在を消滅させても、エルドラドにはせいぜい傷がつく程度でしかなかったのだから。
エルドラドは純粋に楽しんでいた。黒龍からすれば、自分の攻撃が通用しないのは信じられないことだった。だが、エルドラドからすれば、自分を傷つけることが出来る存在に久しぶりに出会うことができたのだ。楽しくてしょうがなかった。
そして黒龍は気付くことができなかったが、エルドラドは満身創痍だった。彼は最強とは言え、身体の作りは人間なのだ。傷がつけば、脆いことに変わりはない。だがそれ以上に、彼は強者との戦いを、命をかけた本物の戦いを楽しんでいた。だからこそ、黒龍は気付けなかった。
「ゼェ、ゼェ、ハハッ、楽しかったぜ。……あァ、名前、聞いてなかったなァ」
その手で黒龍の首を飛ばし、全身をその黒龍の血で染め上げたエルドラドは、息を乱しながらも笑った。辺りには黒龍の首から噴き出した血が降り注ぐ。
「あァ、やっぱりいいなァ。最高だァ」
エルドラドは黒龍の死体から降りると、街がある方向へと歩き出した。
彼は、戦いの楽しさを思い出してしまった。だから、彼は更なる戦いを求めた。その結果、彼は自ずから弟子を見つけ出すようになる。素質がある者は老若男女問わず、ほとんど強制的に鍛え上げた。死なないように。強くなったその弟子と、いつか戦うために。人間の寿命は超越しているエルドラドは、この日から現在に至るまでの約50年間、そうやって世界各国を回った。
彼の弟子となった者は、あまりそれを公表しなかった。自分がエルドラドの弟子だと知られると、きっとロクなことにはならないと察していたから。自分からではなくエルドラドに拐われた者に、自分の力を誇張するような者はほとんどいなかった。
だから、エルドラドが見出した彼らのことはあまり知られていない。知られていないからこそ、知られていない事実がある。
それは、エルドラドが自ら選んだ弟子は、寿命が長くないということ。彼らは皆、エルドラドと出会ってからしばらくしてその命を散らす。理由は明白、エルドラドに殺されたのだ。
エルドラドは強者と戦うために、素質ある者を見出す。最初から、殺すか殺されるために育てるのだ。もちろん、それを正直に教えたりはしない。
こうしてこの日、傍迷惑な世界最強の人間、エルドラド・ジニーウォークスは動き出した。近くの街へと歩く彼は無邪気な笑顔を浮かべており、そして、全身につけられていた傷は既に全て治っていた。
勇者候補が召喚されるのはまだ先です。
すいません。