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Whear is she? -5-


 歩き回って疲れた足を労るために広場のベンチに座り込み、ぼんやりと見つめた。昼間と違い、夕日が差し込んだ広場はオレンジ色に染まり、優雅に散歩を楽しむ人々の影が踊るように動き回っている。


「姉さん……」


 握りしめていたハンナの写真はシワが寄り、遠くを見つめている顔が少し悲しみに満ちたような表情に変わっている。それがまるで見つけられないカインを責めているような気がして、写真からそっと目をそらした。


「……クリスタ……さん?」


 大聖堂から出てきた男性を追いかけるようについていく女性が目に入る。その見覚えのある姿にカインは思わず立ち上がっていた。


「待って、あなた……どうしたの! ちゃんと説明して、ねえ!」


 クリスタへ近づくほど、彼女の口から出る悲鳴に近い声が聞こえてくる。

 クリスタの声も届いてないのか、先を歩く男は振り向きもせずどんどんと大聖堂から広場の真ん中へと歩いていく。それにすがりつく様に小走りで追いかけるクリスタの表情は明らかに困惑と恐怖の入り混じった真っ青な顔をしていた。


「クリスタさん!」


 ただ事ではないな、と思いカインが駆け足で近づき声をかけると、クリスタは一瞬辺りを見回し、カインの姿を見つけるなり走ってきた。


「どうされたんですか」

「夫が……話が通じなくて、何を言いたいのかも分からないの。突然大聖堂で話していたのに呻き出して、そこから広場へ……うわ言のように同じ言葉を繰り返すのよ」

「同じ言葉?」


 ひどく混乱した様子ながらも、元々の彼女の気丈さが顔見知りのカインに出会ったことで勝ったのか、クリスタは青い顔で汗を指先で拭いながらも答えた。


「ええ、アリス……って」

「アリス?」

「そうなの。アリス、なんて名前に心当たりはないし……でも何を聞いてもアリスしか言わなくて。どう見ても様子がおかしいわ」


 どうしましょう、と広場の真ん中に仁王立ちしているクリスタの前夫に視線を向ける。男は広場の真ん中に立ち尽くし、呆然と空を見上げていた。茜色の空にはグラデーションのように夜を引き連れた紫色の雲が流れ、入り交じっている。いつもは美しいと思えるその光景も、今この状況では不穏な空気が流れてきているように思えてならなかった。


 奇妙な男が空を見上げて立っている中、広場は先ほどの賑わいなど嘘のように静まり返っていた。全員が黙ってその男を見つめている。


「とにかく、声をかけてみま……女の子?」

「え?」

「女の子が……見えませんか?」

「い、いいえ……」


 クリスタが小さく頭を振る。


 だが、カインの目にははっきりと映っていた。空を見上げる男のそばに女の子が立っている。軽くウェーブがかかったブロンドの髪を揺らし、男をじっと見上げていた。何かを言うでもなく、男をニコニコと笑顔を浮かべて見つめるその姿は異常な光景だ。少女が楽し気にその場でくるりと一回転すると、ふわりと舞い上がった水色のワンピースが花のように開いた。その姿に目を奪われていると、その視界を遮るようにクリスタが男へ駆け寄っていくのが見えた。


「クリスタさん! 待って、俺も行きます」


 一緒になって追いかけようと足を踏み出した瞬間、少女がカインを見、そしてそのまま男に手を伸ばした。服を強く引いて背の高い男の首筋をあらわにすると手にしたナイフでその首を勢いよく掻き切った。


「……っ!?」


 思わず歩みを止めて目を見張る。だが、その首から血は吹き出していない。おかしいと思い目を凝らした時、男が呻きうずくまった。


「待ってください!」


 様子のおかしい男から引き離すように、クリスタの腕を強くつかむ。クリスタが離して、というようにカインを睨んだ瞬間、ガラスの割れるような音と、四方八方から悲鳴が響いた。


 何がどうなっているのかわからないまま、はじけるように何かが飛んでくるのが見え、とっさに目を閉じる。鈍い音と、うめき声、そして腕に感じる重みに恐る恐る目を開けると、カインに縋りつくように倒れ込むクリスタの姿があった。


「クリスタさん!! クリスタさん?! しっかりしてください!」


 彼女のドレスが鮮やかな赤色に染まっていく。ひゅっひゅっ、と短く呼吸を繰り返すクリスタの腹には、大きなガラスの破片のようなものが深々と突き刺さっていた。むっと立ち込める血の匂いに頭の中が真っ白になっていく。どうすればいいのかわからず、懸命に出血を抑えようと手で押さえるも、指の間からは川のように血が流れ落ちていった。


「なんだよ、これ……なんで、こんな。どうすれば……」


 カインが必死に手と布で止血しようとする間、薄く目を開いたクリスタが幸せそうに笑った。


「ああ……あの頃に、戻った……みたいね」

「喋っちゃダメです!」

「ほら、見えるでしょ……エリック……あなたの、働いている……炭鉱の、」


 大量の出血で死人のように青白い顔で笑うクリスタはあまりにも儚く、そして美しい。言葉が失われてしまったように黙ったままカインは、力なく指さしたクリスタの指先を目で追った。


 先ほどまで目の前に広がっていた広場の風景はどこかへ去り、目の前にはクリスタの言うように炭鉱への入り口がぽっかりと開いていた。広場のような華やかさはなく、どちらかというと土埃が舞い上がる舗装のされていない地面。幻を見ているのかと思ったが、触れる土の感触も鼻孔をくすぐる風の匂いも、アルトプロトとは大きく異なっていた。


「どうなって……どこだ、ここ」


 カインが困惑を口にすると、そこにいた人々も近くにいる人と身を寄せ合い、不安げにあたりを見回した。人々がまばらにいるその視線がまじりあう中心にクリスタの夫だった男はうずくまっていた。小さなうめき声を動物のように漏らし、何かを振り払うように頭の上で手を振り回している。その背中には透明の羽のようなものが生えていた。夕日を反射して、カインの視界を奪うように眩い光を放っている。

 そしてそのそばには周りに転々と散らばるけが人たちや、血塗れの人々に目もくれず、呻く男に寄り添うように少女が立っていた。まるで自ら産み落とした子を撫でる母のように、愛しげな表情を浮かべて男の頭を撫でている。


「いい子ね、私の愛しい先生……。んん、でもこの物語は失敗作なんじゃない? 破り捨てなきゃ、ね?」


 そう少女が笑いかけた瞬間、呻いていた男が雄叫びをあげた。まるで獣のような地から響く野太い声が心臓を強く打つ。獲物を探すように辺りを見回していた男が動いた、と思った時にはカインのすぐそばに座り込んでいた女性へのしかかり頭をつぶしていた。


「……っ!」


 声を出すこともできず、固まったカインをよそに、辺りにいた人々から絶叫が漏れる。どこかへ逃げようと走り出した人々を追いかける犬のように、男は次々に人間をつぶし、切り裂き、引きちぎっていく。目の前で次々に人が人形のようにばらばらにされていく様に吐き気を必死にこらえて、逃げるように目をそらした。

 その先では雨のように降る血を浴びながら狂ったように甲高く笑う少女がその場でくるくると回り、踊っている。何の夢なのか、どんな狂気なのか、夢なら早く覚めろ、とそれだけを願いながらカインはもう動かないクリスタの身体を引きずるようにしてその場から離れようと歩き出すしかできなかった。


 ぐるる……と動物のような声がし、カインは振り返った。もはや人としての理性をなくした男が唯一生き残っているカインに狙いを定めていた。腕の中のクリスタはすでに命を落とし、死んだ光のない目が虚ろにカインを見ている。


 死がすぐ目の前まで迫ってきている。逃げなければと思考が判断を下しても、あきらめた体は言うことを聞かず、その場に力を失ったように座り込んだ。腕の中から転がるように落ちたクリスタが鈍い音を立てる。その音に一瞬気をそらした男の隙をついてカインは走り出した。

 逃げれば追いかけてくるのはわかってはいたが、どうしてもその場の恐怖から逃げたかったのだ。少しでも遠くへ、少しでも走れば夢から覚めると信じたが、迫りくる気配は今のこの状況を現実であると強く意識させた。


 振り向けば男の拳が迫ってくるのが見えた。

 もうだめだ……そう思って目を瞑った瞬間、誰かに肩を抱かれた。ふわっと体が浮いた感覚があり、続いてすぐ地面に身体が振れたのがわかった。どこも痛くない。


「良かった……危機一髪だったね。他の人は無理だったみたいだけど……もう大丈夫だよ、カイン」

「あ、あなたは……、それに、いまの……」


 ざわざわと人々の喧騒が戻ってくる。先ほどまでありありと感じていた血の匂いも、死の気配も何もかもが夢だったかのように先ほどの広場にそのまま座り込んでいた。クリスタも、あの男も、少女もいない。いるのは優しく肩を抱く、先ほど出会った青年だけだった。


「後ですべて説明してあげる。さっきのことも、君のお姉さんのことも」

「姉さんのことも?!」

「ああ、だから今はお休み」


 そう言われ、手で目を塞がれる。鼻孔の奥底にねっとりとまとわりつくように残っていた血の匂いを洗い流すように、華やかな紅茶の香りがし、カインはそのまま何もかもを忘れるように深い眠りへと落ちていった。


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