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Whear is she? -4-

 あの後からしばらくアルサンラ通りを歩きながらあの青年を捜し歩いたが、やはり影すらも見当たらなかった。背丈は、カインよりも高かったのは確かだ。カイン自体はもともとベルゼンでは平均的な身長だったが、アルトプロトの人々ともそこまで変わりはないため、もし遠くで見かけてもあの青年の身長であればすぐ目立って見つけられるはずだ。そうでなくともあの独特の雰囲気や、服装はそう忘れることはできない。


 名乗っていない相手がカインの名前を知っている可能性など、姉ハンナの知り合いくらいしか考えられない。貴重な手がかりを自分の身に起きた不調に気を取られて見失うのはかなり大きな痛手だった。


 闇雲に探しても時間の無駄だ、と一度頭を切り替えるため通りに面して並んでいるベンチに腰掛けると、先ほど店先で購入した地図を広げた。


 ここ、アルトプロトには2本の大きな道が走っている。

 南北に伸びるのは一番大きなメインストリートであり、今カインがいるアルサンラ通り。ここには主要となる人気店や宿泊施設が通り沿いに集中して建っており、通りの両端は大きな広場になっている。北にはアルニエラ聖堂、南にはアルドラーゼ公会堂という建物が建っているらしく、どちらも見事な装飾で多くの観光客を虜にしているそうだ。主にアルトプロトの観光名所は対になるように建てられたその建物であり、それゆえに一層のことこのアルサンラ通りはにぎわっているようだった。観光客用にベンチも通りにいくつも設置され、石畳の落ち着いた広い通りを挟むように花壇が設置されている。

 通りの西側にはカインが下りてきた扇空船の空港があり、東にはもう1本のメインストリートであるアルスロー通りがある。アルスロー通りは観光客というよりはアルトプロトの住人たちが多く利用している店や民家が並んでおり、その通りをまっすぐ行くと、隣町へいくことができる、というシンプルなつくりだ。


「俺が今いるのが……たぶんこの辺り。もう少し歩くとアルニエラ聖堂の広場にでる、のか……たぶん」


 地図を指でなぞりながら独り言を呟き、目の前を行き交う人々と地図へ交互に視線を動かす。一度大きな広場に出てみてもいいのかもしれない、と立ち上がったとき目の前を通った女性からハンナの手紙に付いていた香りが漂ってきた。ほとんど無意識に通っていく女性の服を掴んでしまってから、カインはとんでもないことをしてしまったと慌てて手を離す。機嫌のいい笑い声を漏らしていた女性が訝しむような視線をカインへと送った。クリスタと同い年くらいだが、きつめのメイクと視線からはとてもクリスタのような陽だまりのやさしさを感じることはできなかった。それの一因はカイン本人の責任でもあるのは確かだが、それを引いたところでこの女性はあまり好きにはなれない気がした。


「なんですの」

「い、いえ……すみません。その、その素敵な香りはなんの香りかと思いまして……」

「あら、ほかの男たちはこの香りを気に入らないのに……見る目のある子ね」


 たじたじになりつつも口にしたカインの回答に女性は機嫌を良くしたように笑みを浮かべると、隣の女性へと声をかける。「確かにね」とその女性が相槌を打ったのを見てから、広場の近くを指さした。今しがたカインが座っていたベンチの反対側の通り、その一角に女性の人だかりができているのがすぐにわかった。確かに、とても人気なお店のようだ。そして下院が思っている以上に近くにあったらしく、周りを見ているようでまったく見ていなかったのだと肩をすくめた。きちんと見ていれば、この女性に声をかけることもなかっただろう。


「これはね、そこの香水店で購入したのよ。プロメンデル香水店。素敵な香水をたくさんそろえているの。行けばすぐにわかるわ、まあ貴方が中に入れるとは思わないけれども」


 くすくすと、品定めするような視線とともに投げられた笑い声に少し眉を寄せながらも、一礼してから歩き始める。しばらく背後から女性たちの厭らしい視線を感じていたが、カインは気に留めることなくまっすぐにプロメンデル香水店を目指した。


 その香水店は人だかりで店の入り口が見えないほどだった。この街の女性だけでなく、観光客の女性も集まっているためか店の周りのベンチには荷物とともに待たされている男性陣がぐったりと項垂れていた。近くに行けば様々な香料の入り交じった香りが容赦なく鼻の奥まで入り込んで来た。フルーティな香りから甘ったるい香り、甘酸っぱい香りなどが一気に体中に染み渡るようだった。鼻を詰まんでも店に近づけば近づくほど、毛穴中から侵入してくるかのように、香りを感じてしまう。ここまでくるともはや匂いの洪水に飲まれているようだ。


 あの女性が中に入れない、と言い切ったことにも納得ができた。香りが大好きで、その充満する匂いに不快感を覚えない女性は店内で時間をかけて香水を選んでいるようだ。それに引き換え、カインは店内に入る前にすでに痛み出した頭を抱えて早々に戦線離脱した。集まる女性たちの輪に押しつぶされそうになりながら、逃げ出すと香りの届かない広場まで一気に走り抜ける。鼻が久々というように香水の匂いがしない風を拾い上げたとき、ようやくカインは一息ついて顔をあげた。


「うわぁ……」


 堂々たる姿で建つアルニエラ聖堂が目の前にあった。思わず漏れた声は言葉を発することができないほどで、その美しさはカインの目に鮮明に焼き付いた。


 石造りのその大きな聖堂は左右に塔が1棟ずつあり、真ん中には信仰深い人々を温かく包み込むように広々としたアーチを描く入口がある。おそらく、名物と言われている聖堂のステンドグラスは真ん中のメインとなる建物の奥にあるのだろうが、建物の配置と太陽の位置から考えるとおそらく太陽が沈む頃にちょうど光が差し込むように設計されているようだ。

 壁面には神話にまつわる物語が彫刻としてビッチりと刻み込まれている。その丁寧で繊細な彫刻のすばらしさは芸術関係に疎いカインでさえ、素晴らしく精巧なものなのだろうとわかった。


「すごい……綺麗……」


 呟いてから、改めて走り抜けてきた広場を見回す。広場は大地の突起した場所につくられているらしく、眺めは最高によかった。広場の西側に大聖堂があり、その奥はついさっきカインが扇空船で飛び越えてきた深い緑の山々が、そして広場の北側には海が広がっていた。山の中で生活していたカインにとって、海は蒸気機関車の中、または扇空船の上からしか見たことが無い貴重な景色だった。ハンナの手紙にも書かれていたように、海のそばで吹く風には何やら市場で嗅いだことのある磯の香りが混じっていた。


 円形上に作られた広場では多くの人々がおり、それぞれの時間を楽しんでいる。大聖堂に目を奪われている人、穏やかに語り合う人、散歩を楽しんでいる人。さらに誰かが音楽を奏で始めると、その音楽に歌をつける人が現れ、その曲でステップを踏む人たちが集まって踊り始める。そこに人種や国の壁など存在はしていない。すべて姉の手紙を頼りにこの街まで来たものの、カインはその光景に感動を覚えていた。


『カイン、この世界はつながっているのよ。海も空も、ベルゼンから見えるものは限られているけど、それでも世界はつながっているの。自然だけじゃない、人と人の繋がりも、辿っていけばいろいろな道に繋がるの。私はね、それを見に行きたい。だから、この村を出たいの』


 口癖のように繰り返していたハンナの言葉がまた頭に浮かんだ。ベルゼンの、それもまた山の中の小さな閉鎖的な村で、姉はこういう世界を見ていたのだ。自分が今、姉の見たものと同じものを見ているのかもしれない。そう思った時にはカインの目はすでに涙で濡れていた。


「……っ……姉、さん」


 楽しげな音楽と歌声、人々の笑い声に励まされるように涙を拭くと、カインはまっすぐと空を見た。


「必ず、見つけてみせるよ……姉さん」



 気持ちを新たにしたカインはひとまず、ハンナが立ち寄ったとされる香水店に再チャレンジするために、閉店間際まで広場で情報収集をしながら時間を潰すこととした。

 ドミニクの教えてくれた情報屋を頼るのもいいが、自分の出来ることをしてからでも遅くはない。探していれば、あの声をかけてくれた青年も見かけるかもしれない、と考えたのだ。少しでも自分の力で姉を見つけ出したい、という思いは心の中にずっとある。それがくだらない意地だ、と言われたとしてもだ。


「すみません、お話中に」

「なにかしら」

「この女性を探しているんですが……見たことありませんか」

「んー……見たことはないわね。なかなか無い見た目だから見たら覚えていると思うのだけれども」

「そうですか……」


 「ごめんなさいね」そう言って立ち去っていく人が良さそうな貴婦人を見送りながらカインはため息をついた。


 この広場はかなり広い。それなりの人が集まっている上、夕日の時間が近づくにつれ、大聖堂のステンドグラスを見る観光客が増えてきている。それでも今まで手がかりが続いてた連鎖はそう簡単には繋がらないようだ。

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