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Whear is she? -2-

 そんな母との楽しみは定期的に送られてくる姉からの手紙だった。周りを森に囲まれ、自給自足が生活の基盤であるこの村では決して見ることの出来ないものがその手紙には多く書かれており、それはこんな風じゃないか、それともこんな感じじゃないのかと2人で話をするのだ。病気がちで寝ていることが多い母との唯一の楽しい時間でもあった。


「その手紙に、この扇空船せんくうせんのことも書かれてありました。最初はこんなもの姉の空想だと母と笑っていたんです。ベルゼンは、本当に田舎町ですから……空飛ぶ船なんて空想の世界のものだとばかり……」


 苦笑浮かべたカインに、クリスタも同意するように笑い声を漏らした。


「でも、半年前……母が他界したんです」

「まあ……」

 

 カインは母の亡くなった時を思い出して眉を下げた。


 もともと病気で臥せっていたから覚悟はしていたが、その時は本当に突然だった。朝起きたとき、母はもう息をしていなかったのだ。手に姉からの手紙を持ったまま、幸せそうな笑みを浮かべていた。それだけが、まだカインにとっては救いだった。

 葬儀はひっそりと行われ、カインは寂しく1人過ごしていた。もちろん姉に母が亡くなったことを手紙で連絡したが、今すぐは仕事があって帰れない。あと2ヶ月すれば必ず戻る。という内容が戻ってきただけだった。

 だが今度は姉からの手紙が途絶えてしまった。3ヶ月前に、「約束したが帰れそうにない、仕事の関係なので心配しないで」という内容の手紙が届いてから毎月最低1回は届いていた手紙が一切届かなくなってしまったのだ。


「最後の手紙はこれです。手紙の預かり印がアルトプロト、という街で押されたことと、この手紙に付いた香水の香りしか手がかりがなくて……。これが姉なんですけど」


 懐から少し皺がついた手紙と、家族の写真を取り出す。クリスタは写真を手に取るとカインと比べるように視線を動かして、小さく口元に笑みを浮かべた。


「お姉さんと、あなた……とても良く似ているわ。でも、本当ね。お姉さんの目はルビーのように真っ赤。髪が銀色だからあるでウサギみたいね」

「僕の父も、母も、ベルゼンで一般的な緑色の目なんですけどね……」


 カインが苦笑を浮かべると、クリスタがカインへ写真を返す。それを見つめれば、写真の中でおしとやかに笑う姉と目が合った。この時は、まだ姉に対して反抗心があったころで、この写真を撮ったときの記憶はうっすらしたものだ。姉が村を出る前に撮影した、という記憶はあるがこの時の姉は何かに惹かれるように、時折空をぼんやりと見上げていることが多かった。いつもの勝気な自信ある表情ではなく、不安と憂いに満ちた表情をしていた姉の姿に、ひどく不安といらだちを覚えた記憶がある。写真はあの時と同じ表情を浮かべている。何か遠くのものを見て、様々な感情を抱いた表情からは、カインは今や何も読み取ることができなかった。


「この匂い、確かにアルトプロトの香水屋の匂いだわ。たぶん、まだあると思うのだけれど……。私もね、アルトプロトへ行くのは1年ぶりくらいなの」

「そうなんですか」


 ええ、とクリスタが笑うも、その表情は影が落ちたように暗いものだった。カインが迷うように口を一文字に結ぶと、クリスタはバッグから小さなノートを取り出す。そこに挿まれているのは写真だった。


「私の前の旦那よ。もう離婚が成立しているけれども……まだ籍を入れているときはアルトプロトの近く、スイレマーレという街に住んでいたの」


 式当日の写真なのか、晴れやかで幸せに満ちた笑顔で映るクリスタと、その隣に緊張の面持ちで立つがたいのいい男が並んでいる。


「彼は炭鉱で働いているのよ。でもね、彼の浮気が原因で……別れてしまったの。彼は浮気相手の女性を選んだから。私から、離婚を申し込んでも構わない、と……。それで実家のある、リンゼバークへ帰ったの」


 男性は女性を守るものであり、女性は黙って男性を支えるもの、という常識が通る中で、女性から離婚を申し出る、というのは男性にとっては不名誉なことだ。女性1人守り通せない、だらしのない人間だというイメージを付けられてしまう。

 近年では働く女性も増えてきているためか、そういった考え方を差別だと抗議する団体なども存在するらしいが、それは先進国と呼ばれているにぎわった国だけで、カインのいるベルゼンなどでは、まだまだ男性が女性を守って当然という考え方が浸透している。カインも男であるため、それがどれほど男性側にとって不利な状況になるのか、と同時にそれでも浮気相手を選ぶ男性の固い意志が読み取れた。


 それをクリスタもわかっているのか、眉を下げて困ったように笑いながらも、大切に写真をノートに挟んだ。


「馬鹿な人よね……、本当に。そんな風に言われてしまったら、もう私は自分の国に帰るしかないじゃない、ね?」

「……あの、その……」

「いいのよ、何も言わないで? もうね、離婚が成立してからまったく音沙汰なかったの。でも、つい一か月前くらいに手紙が届いたの。彼のお母様から……あの人が私を呼んで毎日苦しんでいるって」


 都合いいわよね、とクリスタが笑う。その笑顔に、カインも言葉が何も出てこずに小さく頷くしかできなかった。


「普通なら私も行かなかったわ。でもね、最近アルトローマで変な噂があるのよ」

「変な……噂?」


 カインが問いかけると、クリスタの顔が少し強張った。それは危機感を覚えて恐怖する表情だ。カインの身体にも緊張が走り、黙ってクリスタの言葉を待った。


「近頃、アルトプロトを中心に変な事件が起きているそうよ。人が消えるとか、変死事件、だとか。でも街の人々は気にも留めず、知らぬ存ぜぬの人々もいるとか。私は、彼が……その何かの事件に巻き込まれているのではないかと、思って……いてもたってもいられず……。振られたのに、私もお人よしよね」

「でも、それほどに貴女は、その彼が好きだった……んですよね。俺が姉さんを探しに行くのと、変わらないですよ」


 気の利いた言葉も何も出てこなかったカインの口からはその一言しか言えなかった。だが、クリスタはその言葉で充分なのか頬を染めてはにかむと、ノートを大切にバッグへとしまった。


「香水屋の店の名前と電話番号、書いておくわ。あなたのお姉さんの手がかりになるかはわからないけれども……。すみません、ペンをお借りできます?」


 クリスタがウェイターに持ってこさせたペンにインクを浸し、ノートの切れ端へさらさらと店の名前と電話番号を書いた。紙に染み込んでいくインクを見ながら、1つ小さな可能性として姉の軌跡をたどる道ができたことに心を躍らせていた。幸先がいい、たった2つの手がかりの1つがもう繋がったのだ。


 遠くの田舎から、あるだけの資金を手に家を飛び出した時は不安で胸がいっぱいだった。でも、カインにはもう何も失うものはないのだ。両親ももういない。いじめっ子たちが蔓延る小さな村にも何の未練もない。飛び出した先に、たとえ何もなかったとしても、姉が見つからなくても、探し続ける覚悟だったのだ。それが、アルトプロトへ着くまでに、姉の手がかりとなりそうな情報を得ることができた。無宗教のカインが言うのもおかしな話だが、これも神の導きなのか、それとも姉が探しに来てくれと導いてくれているのか。


 ふと見上げると、ガラス張りになった天井からこぼれんばかりの太陽の光が降り注いでいた。広がる空はまるで海のようにも見える。近くなり、じりじりとカインの肌を焼く光は、希望の光なのか、それとも近づくものを焦がす光なのか。

 ぼんやりと見つめていると、耳の奥から流れるように姉の言葉がよみがえった。


『カイン、この世界はつながっているのよ。海も空も、ベルゼンから見えるものは限られているけど、それでも世界はつながっているの。自然だけじゃない、人と人の繋がりも、辿っていけばいろいろな道に繋がるの。私はね、それを見に行きたい。だから、この村を出たいの』


 そう笑った姉の顔を瞼の裏に映すように目を閉じていると、声がかかった。視線を戻せば、クリスタがインクの乾いた紙を二つ折りにして差し出してくれたところで、カインはそれをしっかりと手につかんだ。


「ありがとうございます、クリスタさん」

「いいのよ、少しでもお役に立てるなら。……もうすぐアルトプロトに着くわ。またいつかどこかで会いましょうね、カイン」


 クリスタが最後に紅茶を飲んで立ち上がったとき、アルトプロトへ着陸するため、席に戻るように乗務員が伝えに来た。

 クリスタはくす、と微笑みかけて自分の席へと向かう。カインもその背を見送った後、自身の席へと戻った。

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