Whear is she? -1-
「本当に……空を飛んでる……」
自分の乗った大きな機体が離陸して数分後、ようやく自由に歩けるようになってからカイン・アリベルは真っ先に巨大な窓へと駆け寄った。
観光兼、移動用として機能しているこの船は、観光客向けの広々とした景色を楽しむラウンジが備わっている。そのラウンジにはまるで空を飛んでいる気分を味わえる、という謳い文句の通り、目の前だけでなく、自分の足元も若干景色が見えるようにガラス張りになっているスペースが存在する。そこに立つと、まるで空中に立っているような、そんな気分が味わえるのだ。
この船のいいところは、席の値段に関係なくその「空中浮遊スペース」と呼び名のついた場所に出入りできるところだろうか。そのスペースには、見たところいい仕立ての服、ドレスをまとった男性や婦人、子供だけでなく、少々流行りに乗り切れていない昔ながらの白い薄手のシャツ、ブラウスにズボンや一色の長めのスカートを合わせた所謂、庶民的と言われるスタンダードな格好の者もちらほらではあるが見かけることがあった。
カインももちろん、空中浮遊スペースに立っていた。ここから山を3つくらい超えた小さな国、ベルゼンの田舎から出てきたカインはその中でも特に浮いていた。
麻布で仕立てた簡易なシャツと、薄汚れた茶色の使い古してよれたズボンを動物の皮を鞣したベルトで止めている。見るからに田舎から出てきたという服装だったが、彼が視線を集めているのはそれだけが理由ではない。
この辺りでは珍しい銀色の髪にサファイアのような深く鮮やかな青色の目、森に囲まれた薄暗い村で暮らしていたため、男にしては不釣り合いなほど透明感のある白い肌、という見るからに儚く弱弱しい姿が通る人々の目を引き付けているのだ。
だが、当の本人はその視線に気づくこともなくただ、自分の足元から眼前に広がる広大な景色にうっとりと見惚れていた。
普段自分を取り囲んでいた森や、山々を上から見る、というのは実に不思議な気分をカインに味合わせていた。初夏が近づいたこの季節はみずみずしく青い葉をたくさん天に向けて伸ばしている。吹きぬける風がその葉をざわざわと揺らせば、波立つように青い光が走っていった。そのみずみずしい自然の絨毯を滑るように船が進んでいく。巨大な影が森を覆えば、気になったのか好奇心旺盛な鳥たちが群れを成して木々から現れ、飛び去って行く。
しばらく続く森の絨毯の景色を絵画のように楽しみながら、カインは目を輝かせていつしかガラス窓に張り付くように夢中になっていた。まるで、本当に空中に浮いて空を飛んでいるような気分になり、高い旅費を払ってこの船を選んだ自分の選択の正しさを嬉しさとともに噛みしめ、感嘆の声を漏らした。
「扇空船は初めて?」
左側から聞こえた柔らかな女性の声に視線を向けると、20代前半くらいの若い女性がにこりと笑いかけた。仕立てられた生地やドレスの形からは品のよさがうかがえる。キレイに結い上げられた明るい茶色の髪と白い肌に差された頬と唇の紅がはっと目を引く美しさを引き出していた。少しくすんだ橙のドレスが、肌を明るく見せてはいるが、女性は心なしか表情がぱっとしない。カインは品定めするように視線を動かしてしまっていることに気づき、慌てて視線を足元に落とした。
「はい、初めてです。すごいですね、本当……感動しました」
「なら数ある扇空船の中からこの、観光用の船を選んで正解よ。この船だけは景色を楽しむことに特化しているんですもの。その分小さい扇空船よりは値が張るけれども。……あなたは、これがどうやって浮いているか知ってる?」
「一応、調べてみた、というか……昔、姉に教えてもらったんですけど。扇空石、っていう石を使っているんですよね」
「ええ、そうよ。とても不思議よね。こんなに大きなものを浮かせることができるんだもの。最も、この大きさの扇空船を浮かせるにはかなり大きな扇空石が必要らしいわ。純度が高い石ほど青く輝いて、その色はどの海の色よりも鮮明な青色だそうよ。そうね、私も一度見てみたけれどちょうどあなたのその目のようだったわ」
くすくす、と鈴を転がすような声で笑うその女性の言葉に、カインは頬を染めながら髪と同じ銀色の長いまつ毛でその青い目を覆い、また開いた。
「俺の……、姉さんの目は燃えるような赤色だった……」
「え?」
カインの小さなつぶやきを聞き取ろうと、女性が顔を少し近づける。ふわりと揺れた髪から香る覚えのある匂いに、カインはまっすぐ女性の目を見つめた。カインの青い瞳と、女性の茶色の瞳が重なり合い、一瞬時が止まったように2人は見つめ合った。
先に口を開いたのはカインだった。
「す、すみません……その、俺女性の顔を……まじまじと見て」
「いいのよ、気にしないで? 私の顔に何かついていたかしら」
女性がカインから離れて自らの頬に触れる。困ったような顔の女性に誤解を生まないように、カインが慌てて口を開いた。
「いや、あの違うんです。俺の、姉からきた手紙に付いていた香りに、似た匂いがしたんで……すみません」
「これ、アルトローマで買った香水の香りね。この船の着陸する国のひとつよ。この香水はアルトローマの着陸する街、アルトプロトに売っていたわ」
「俺も、そこに行きたくて……やっぱり姉さんはそこにいるんだ……」
力強いカインの頷きと違い、女性の顔は曇っていくばかりだった。明らかに元気がなく、笑顔も消えた女性の態度にカインにも不安がよぎる。
アルトローマは、行く前に一応調べたところかなり大きな国で、西に位置する世界で2番目に大きいナージアル大陸の中でも比較的大きな国だという。海も山も豊かにあるため、様々な食物、薬草などが揃っており、他国との貿易も盛んという情報がある。その中でも、アルトプロトは決して大きい街とは言えないが、海があり、扇空船の着陸地点があるため人の往来は多いところだと言われている。
「ねえ、宜しければお茶でもいかが? ここで立ち話も疲れるでしょう。最も景色を見ながら、というのであればこのラウンジで立ち話でも私は構いませんけども……」
流れるような自然な誘いに、一瞬何を言われたのかわからずぽかんとするカインを面白がるように笑いつつ、クリスタと名乗った女性は小さく頷いたカインの手を取って船内のカフェまで連れだって歩き始めた。
カフェは、扇空船が離陸してまだ間もないからか、充分に席が空いていた。クリスタ曰く、景色に飽きた人々が集まってきて席が埋まることも多々あるらしい。
注文した珈琲が運ばれる頃、カインはなぜ1人でアルトプロトに行くのか、経緯をクリスタに話していた。
「まあ、それじゃあお姉様を探しにベルゼンからここまで来たの?」
「はい、姉は俺と違って好奇心旺盛で負けん気も強かったんです。姉はずっとベルゼンから出て世界を見たいと言ってました。そして、その言葉の通り村から旅立ってしまった」
カインは幼い頃から一緒にいた姉を思い返してぽつり、ぽつりと話し始めた。
昔から自由奔放な姉ハンナと弟のカインは男女が逆だったらちょうどよかったといわれるほど性格が真逆だった。天真爛漫で勝気なハンナは2人が育った小さな村の中でも1、2を争う喧嘩の強さを誇っていた。それに比べてカインは男にしては華奢な体つきに、二重でぱっちりした大きな目、癖のないストレートな銀色の髪、とどちらかというと女のような風貌だった。そのことでよくからかわれ、いじめられるうちに性格までもが女のようにおとなしく内向的になってしまったのだ。
いじめられて泣き崩れているカインを助けるために立ちふさがるのはいつも3つ上の姉だった。喧嘩の強く物怖じしない姉に憧れ、いつも追いかけ回していたものだ。姉に守られることがいつしか当たり前になり、そしてそれを恥ずかしく思い姉に反抗する時期を過ぎたころには、もうすでに家にも村にも姉の姿はなかった。この狭い世界に囚われたくない、といつも村の外に飛び出すことを夢見ていた通り、さっさと働きに世界へと旅立ってしまっていたのだ。
父親はずいぶん昔に他界してしまっていたため、村に残されたのはカインと母親だけだった。もういじめられるとうじうじしていられない。体の弱い母の代わりにカインはせっせと畑仕事と、森林伐採の仕事をこなしていた。