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Why was she crying? -4-

 もう出よう、そう誰かが口にする前に小さな鈴の音が聞こえた。廊下の先に黒猫がいたのだ。赤い首輪をつけたその猫はじっとシャリーンたちを見つめ、少し歩くと振り返った。

 

「ついてこい、と言ってるみたい」

 

 そう、エリシアが呟くと各々が誘われるようにその猫に付いていく。

 

「エリシア、待ちなさい。これ以上奥へ行っては……エリシア、ハンナ、マリベル! リクソン!」

「あの子が……あの子が呼んでるの」

 

 声をかけ、腕をつかむもその腕を振り払われる。目が何かに取り憑かれたように一心に黒猫を見つめ、同じ言葉を繰り返している。正気ではない。そう思ったものの猫を追いかけ始めた面々を放置しておくことも出来ず、シャリーンはロランドと視線を交わしあってからゆっくりとついていくことにした。

 

 猫はとことこと軽快な足取りで真っ直ぐに伸びた廊下を進んでいく。揺れる耳、尻尾、流れるような毛並みは幻の類には到底思えない。そして1つの大きな両開き扉の前にちょこんと座り込んで、にゃあ、と一鳴きした。

 その瞬間、今まで虚ろで覚束無い足取りだった全員が満面の笑みで扉に駆け寄る。

 

「ここにいるのね、あの子が!」

 

 エリシアが目を輝かせながらその扉を開けた。

 

 中はシャリーンの予想とも、今まで通ってきた廊下とも違う印象の部屋だった。

 円形のその部屋には真っ赤な絨毯が敷いてあり、真ん中には本の中で読んだことのある王族の座りそうな豪華な椅子が1脚。そしてその椅子には、女の子が座っていた。

 中の明かりはついていないが、オーロラのように月の光が部屋に降り注ぎ、朧気に室内を照らしている。シャリーンたちが持ってきていた揺れるランタンの明かりが時折部屋の中の影をゆらりと大きく揺らめかせる。シャリーンもロランドも足が凍ったように動けなかったが、エリシアたちは女の子に駆け寄る猫に続いてその部屋に駆け込んで、椅子の周りに座り込んだ。


「……エリシアのこぼした、あの子って……椅子に座っている子のことかしら。なんだかとても、悲しんでいるように見えるわ……」

 

 部屋の中が暗すぎて、椅子に座っている女の子の顔は良く見えないが、駆け寄った黒猫を優しく流れるような動作で抱き上げている。エリシアたちは魂が抜けたように各々椅子にもたれ掛かり、うっとりした目で女の子を見つめていた。何か嫌な予感が体中の神経を支配していた。その予感に従う体はその場から1ミリも動かすことができない。

 呆然とエリシアたちの様子を見ていたシャリーンの袖を、ロランドが小さく引っ張った。


「どうしたの、ロランド」

「ぼくをよんだおんなの子は、あっちのおへやにいるよ」

 

 そう言ってロランドが指を差す。その先にはボロボロの扉が不釣り合いにぽつりとあった。

 

「呼んだ? 誰かに呼ばれたからこの屋敷に入ったの?」

「うん、そうだよ。ぼくをよんだのは、あの子じゃなくて……あっちのおへやの子だよ。行こう、姉さま」


 何が起きているのか一切頭の中を整理できず、ただ恐怖と不安だけが支配している。正常な判断もこれではできない、とシャリーンは仕方なく手を引く弟の言う通りその扉の前に立った。


 不思議なことに、エリシアたちは何かにとりつかれたように夢中になって椅子に座る女の子と話しているが、女の子の声は一切聞こえない。だが、なぜかその女の子をまじまじと見つめることに寒気を感じ、シャリーンは黙って右側の扉を開いた。


 中は、ベッドと椅子がポツンと置いてあった。天井からは裸電球がぶら下がり、雑にベッドの周りを照らしている。物置のような、質素で手入れの行き届いていない部屋に1歩踏み入れた瞬間、背後の扉が音を立てて閉まった。


「きゃ!」

「アリス? ……じゃないね、君は……ここに入ってこれたのか」

 

 声がして、電球の行き届かない暗がりから、長身の男がぬるりと姿を現した。驚きと恐怖で喉が張り付いたように 声も出せなかったが、男の疑念に応えたのはほかでもなくロランドだった。


「ぼくをよんだ子はそこにいる子でしょ」

「呼ばれた……? そうか、呼ばれたんだな……」

 

 ロランドがゆっくりベッドに近づく。真ん中につりさげられた裸電球の灯りが届く範囲に置かれたベッドは質素な室内には不釣り合いなくらい豪華なものだった。骨組はすべて美しい白木で作られ、シーツも布団も汚れひとつ見当たらない。その上寝ている者を守るかのように薄くベールがかけられていた。

 ベッドを覗き込むロランドを見たあと、男がそっとベッドに手を伸ばす。そして声音に悲しみを滲ませて小さく言った。


「起きないよ。目を覚ますことはない」

「そうなんだ……でも、呼んだのはこの子だよ。この子、どうして泣いているの?」

「……君にはこの子が泣いているように見えるんだな……。そうだ、君にこれを渡そう。とても大切なものだ。大事に持っていてくれるかな」


 朽ちかけた木片だったが、男は白い青い薔薇の刺繍が入ったハンカチに包んでとても丁重に扱っている。それほどに大切なものを、なぜロランドに渡すのか。そのベッドに寝ているのは誰なのか、エリシアたちはどうなってしまったのか、聞きたいことはたくさんあるのに体は一切シャリーンのいうことを聞いてくれなかった。

 まるで資格のない者はこの部屋で動くことすら許されていないように、ロランドと男だけが何の不自由もなく部屋を動き回っている。

 

 だが、その呪縛を解くように扉の向こうから甲高い悲鳴が聞こえた。明らかに見知った、そうエリシアの悲鳴だ。

 その声に体の呪縛が解けたようにシャリーンの体が反射的に背後のドアノブを掴んだ。

 

 ドアを開いた先の光景は地獄とも言えるすさまじい物だった。一面血の海、という表現は小説では見たことがあったが、まさにこのことだとシャリーンは思った。扉を開けた瞬間部屋に流れてくる濁った赤い液体が靴の先に触れた瞬間、胃の中のものがせりあがってくる。その中で、月光に照らされた椅子には、座っていた少女の姿はなく、黒猫だけが血に毛が濡れるのを嫌がるようにちょこんと座っていた。

 

「ど、うなって……」

 

 その周りに集まっていた子供たちは見るも無残な姿にまで四肢を千切られ、オブジェのように血の海に転がっている。


「シャリーン姉様!! 逃げて! 逃げ……っ」

 

 その中で唯一生き残っていたエリシアが呆然とするシャリーンの姿を見るなり、大声で叫んだ。揺らめく月光の中でさえはっきりわかる恐怖の表情、逃げてと言いながらも助けを求めるように伸ばされた手。その手を掴もうと前に走り出した時、その顔が目の前で踏みつぶされる。いとも簡単に嫌な音を立てて潰されたエリシアだったものに、シャリーンは耐えきれずその場に吐いた。ドレスに染み付く血の色と、鼻の奥にまで侵食してくる血の匂いに、がくがくと震える体を抑えて、隣で震えているロランドの手を取った。

 

 エリシアをしばらく踏みつけながら首を傾げていた女の子が顔を上げて2人を見た。長くウェーブのかかった髪からは血が滴っている。目は床の赤い血の色が反射しているかのように真っ赤にぎらついていた。


「あら、まだいた。しかもそのお部屋に入ったの? いけない子たちね……そのお部屋は、私も入らないのよ?」


 立ち上がった女の子の背後には満月が輝き、照らし出している。その背中から何か透明な物でできた羽根を広げている。不釣り合いながらも美しいと思ったと同時に押し迫る死の恐怖にシャリーンはロランドの腕を取って走り出していた。


「あらあら、追いかけっこは得意よ。ほら、捕まえた」


 肩を強くつかまれる感覚と、耳元でした声、かかる恐ろしいほどに冷たい吐息にシャリーンは身動きが取れなくなる。この一瞬の出来事だ。自分の死が背後まで迫っている。

 ロランドを放り投げるように前に押し出すと、泣きそうな顔をしている弟に叫んだ。


「走って! 走ってロランド!!」


 泣きながら座り込む弟を見つめながら、どうしてこんなところに来てしまったんだという後悔を抱いた瞬間、シャリーンは痛みを感じるより先に自分の胸を色白の腕が突き抜けたのを見、そのあと短い人生の幕を強制的に降ろされた。

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