Mock Turtle dreams -3-
翌朝、三月ウサギと眠りネズミ、チェシャ猫、カイン、帽子屋の二手に分かれてアリスに関する調査を始めることとなった。
「あくまで俺たちは観光客だ。それを忘れるなよ、アリスに気付かれれば逃げられるか、空想世界を展開される。俺たちの目的は空想世界が展開される前にアリスと空想造主を引き離すことだからな」
最後にそう念押ししてから、三月ウサギは眠りネズミを伴って町中へと歩いて行った。
「それで、俺たちはどうすればいいんだ、チェシャ猫」
「そうだねェ……アリスってのは実体がないから姿は見えないんだ。だとしても、宿主である空想造主を見つけばきゃいけないっていうのはさっき三月ウサギが言った通りなんだけどねェ」
いつも通り気のないチェシャ猫が毛づくろいするように自分の髪をしきりに気にして手櫛で整えている。カインが、少しは真剣にしろよ、と声を上げようとした瞬間、帽子屋がそっとカインの服の裾を掴んだ。いつものことだから気にするな、という意思表示らしい。何となく制止されたため、カインはそのまま黙るしかなかった。
「アリスはなかなか痕跡を残さない……。ただ、空想造主は痕跡を残すよ」
「痕跡?」
不意に話し始めた帽子屋に、カインは少し身をかがめて耳を近づけた。帽子屋は少し驚いたようだったが、小さい声ながらしっかりとアリスについて説明を始めた。
「ん。空想造主はアリスに自分の願いや要望を叶えてもらってる。すごく心地よくて甘い夢を見せてもらってて、その夢の世界が形になったものが、空想世界なんだ」
「夢が、空想世界に……」
空想世界に包まれたとき、確かに景色は一変した。広場も、教会もなくなり、目の前に広がっていたのは土煙の舞う炭鉱の入り口だった。それが、クリスタの元夫が見ていた夢だったのだろう。クリスタと再びあの場所で幸せに暮らす夢、それがクリスタを、そして自らをも殺してしまったのだ。
甘い夢を見せて、その夢の中で人を喰らう、そんな所業にカインはぞくりとした寒気が背中を走るのがわかった。
「それで、痕跡って言うのはどんなものなんだ」
「例えばだけど、何もできなかった人が突然いろんなことをできるようになるとか、夢見がちなことをつぶやく、とか……。ここ最近、自分の力でできないことが身の回りに起きている人、性格や言動が変わった人、それらがすべて空想造主の痕跡」
「そうそう、それを今から町に行っていろんな人に話を聞いて、調査するんだよ、めんどくさいよねェ」
髪をとかし終えて満足したのか、チェシャ猫がようやく話に入ってきた。カインがじろりと睨みつけてもどこ吹く風。素知らぬ顔で街に向けて歩き出した。帽子屋が小さなため息をつきながらその後ろに続いていく。カインも呆れながらも歩き出そうとしたとき、視線を感じて振り返った。
謡うウミガメ亭の看板の陰から、昨日給仕をしていた子供がじっとカインを見つめていた。何かもの言いたげなその雰囲気に、近づいて声をかけようと思った瞬間、チェシャ猫から声がかかる。
「な~にやってんの、カイン。早くしないと三月ウサギに怒られるよォ」
「あそこに今子供が……、あれ……?」
チェシャ猫へ向けた視線をもとに場所に戻したが、そこにはもう子供の姿はなかった。
心にもやもやが残りながらも、カインはチェシャ猫に連れられるまま、謡うウミガメ亭を後にした。
ロッシュタルトは、そこそこに広く、発展した漁港の様だった。さわやかな風が吹き抜ける町は、町から見える海の青と、建物の白がキレイなコントラストを生み出しており、少々入り組んだ路地などが、迷路のように広がっていた。海辺の先には立派な灯台があり、船着き場には大きな船が多数停泊している。その一つ一つには、丁寧に船の名前が彫られており、ここロッシュタルトを支える漁師たちの船への深い愛情が伝わってくるようだった。
だが、そんな美しい街並みのどこを歩いていても、街を包み込む波の音、それに合わせて歌うように鳴いているカモメの声以外、恐ろしく静まり返っていた。
カインが以前本で読んだロッシュタルトは、海から男たちの威勢のいい声がし、子供たちが海辺で走り回っていると書いてあったが、今はそんな様子が全くない。ましてや、今はこの町の名にもなっているロッシュ漁の時期だ。あと数日後にはロッシュ祭という、ロッシュ漁の解禁と感謝を込めた祭りが開かれるはずだが、その準備を進めている雰囲気すらない。
建物の扉はすべて閉じられ、活気とは真逆の空気が街を包んでいた。
「なんか、やっぱり変だよな……この町」
「みんなが、何かに怯えているみたいだね」
しばらく周辺を調査していくも、人に会うこともなく、町の様子が異様なこと以外わかったことは何もなかった。焦る気持ちとは裏腹に、何の収穫もなくカインたちは謡うウミガメ亭へ戻るしかなかった。
ぶらぶらと歩きながら戻っていると、前から男の子が歩いてきた。小さなカゴをもって歩いている様子から、おそらく買い物を頼まれているのだろう。うつむきながら歩く姿は、なるべく自分の姿を消そうとしているようにも思えた。
すれ違う瞬間、男の子がようやくカインたちに気付き、顔を上げた。その男の子は今朝カインが謡うウミガメ亭で見た男の子で、お互いを認識した瞬間、二人とも一瞬の間言葉が詰まった。
「君は……」
「……明日」
よく耳を澄まさなければ聞こえないほど小さな声で、男の子がそういった。
「え?」
「明日、きっとまた誰かが死ぬよ……」
どういう意味なのか、何をそんなに怯えているのか、聞き返す前に男の子はそれだけを言って走り去っていってしまった。
「今の子は?」
「わからない。ただ……明日また誰かが死ぬ、そう言ってたんだ」
「物騒だねェ……」
チェシャ猫がそう小さく言いながら男の子が走り去っていった方向をじっと見つめていた。
謡うウミガメ亭に戻ると、夕食の前に一度情報交換をするために三月ウサギの部屋へと集まるよう、眠りネズミに声をかけられた。少しばかり暗い表情の眠りネズミに嫌な予感を抱きながらもカインたちは足早に三月ウサギの部屋へと向かった。
部屋に置いてある小さなテーブルを囲むように座った面々は、このメンバーではリーダー格を務める三月ウサギの言葉を待った。
「どうだった、何かわかったか」
「特に収穫はなかったよ。ただ……」
そういって口ごもった帽子屋がちら、とカインを見た。そのわずかな目配せを見逃すことなく、三月ウサギがカインへと目を向ける。
「なにかあったのか、カイン」
「男の子とすれ違ったんだ。その時に、”明日また人が死ぬ”って……言ってた。俺たちが得たのはそのくらいだ」
「死ぬ……か……。俺たちが得たのは、先週ロッシュタルトで水死体が上がっていたことだ。これ、なんだが……」
そういって一枚の絵をテーブルへと置いた。そこにはスケッチされた水死体発見時の様子がありありと描かれている。人々が恐怖する表情と、その真ん中で体を丸めてひきつった表情を浮かべている一人の少年らしいものが横たわっていた。
「ロッシュタルトは、漁が二種類ある。船に乗って沖へ出る漁と、潜り漁だ。潜り漁が多い街だからこそ、この町の子供たちはみんな泳ぎが上手だそうだ。なのに、この水死体、妙だと思わないか」
「海藻に足を取られた可能性もあるんじゃないか」
「そうだけど、私たちはこれを見せてくれた人から話を聞いてこう思ったの……これは、アリスの仕業だって」
眠りネズミがそういうと、悲し気に水死体の絵を指先でなでた。すでに犠牲者が出ているこの状況を何とか食い止めなければならない、誰もがそう思いその絵をじっと見つめていた。
「こういった水死体は、泳ぎがうまいと言われている子供たちばかりだという。ロッシュ祭では毎年子供たちだけの泳ぎの大会をしているそうだが、その大会で優勝している子供ばかりが犠牲になっているらしい」
「……えっと、つまり……?」
「ロッシュ祭の大会でいつも勝てない子供たちのなかに空想造主がいるかもしれないってことだ」
「……そんな、子供が……子供がこんなにひどいことをするのか?」
カインがぽろりとこぼすように言うと、誰もが黙り込む。そうして続く沈黙を破ったのはチェシャ猫だった。
「だからこそ、僕らは早く解放してあげなきゃダメなんだよ……」
「……そう、だな……。明日、必ず見つけよう。これ以上、誰も悲しまないように」
カインがそういうと、全員が強く頷いた。




