私の大伯父さんについて
祖母や父はとりわけ自分のことを話さない人間であるので、かつて父方の実家に祖父の兄が住んでいたことを随分の間知らなかった。大伯父は、私が生まれるだいぶ前に亡くなっていた。祖父も、私がごく幼い頃に亡くなっている。祖父に関しては、彼の膝に抱かれた記憶がほんの幽かだが残っている。
父方の実家は少年期の最も多感な時期を過ごしたので、今も思い入れが強い。しかし、数年間住んだにも関わらず大伯父については当時存在すら知らなかった。
父方の人たちはあまり自分らの昔話をしてくれないので、私の方から最近大伯父のことを尋ねた。時折、「2階のじーじ」なる正体不明の呼び名を持つ人間が叔母や祖母の口から漏れることがあった。それが、大伯父だと知ったのは最近の話である。
「2階のじーじ」は、実家の2階に書斎を持っていた人であった。2階には床から天上までびっしり本が詰まった本棚が壁一面を覆っている部屋がある。その部屋が、大伯父の書斎だったらしい。私は祖父の部屋だと思っていたから、びっくりした。
大伯父は国鉄の職員で、当時奥さんを先に亡くしていたらしい。子供はいなかったようだ。
本が大好きで、ある時祖母が大伯父に
「あんたの本はあんたが死んだら売っ払うよ」
と言ったところ、大激怒して
「俺が死んでも俺の本は絶対に売らせやしない!」
と、所持する膨大な量の本全てにハンコを押したらしい。ハンコを押すとその本は古本屋に売っても価値がなくなるそうだ。つまり、厳密には売れなくなるのではなく、売る意味がなくなるのだ。祖父の本を見ると、確かに表紙の裏や本の終わりに家名の入った判子が押してある。
さらに、祖母に聞いた所によると、大伯父は人に自分の本を読まれるのも好かなかったらしい。他人には絶対に本を渡さなかったらしい。確かに、本は薄いビニールに入っているものであったり、ブックケースに入れられているものが多い。
肝心の本の種類は、多種多様である。地元の地誌や歴史書。歴史小説、日本の一般小説、海外の文学作品。評論文も、政治批判・日本の歴史書・哲学書・宗教解説・文化批判。私も全てを確認しきれてはいない。それほど多い。
他人には絶対本を渡さず、売られたくないが為に全ての本にハンコを押す。そんな人間だから、さぞかし偏屈な人間であろうと思ったが、どうもそうではないらしい。
実家がある場所は漁村だから、私の祖父も漁師で、周りの人たちも漁師ばかりだった。そんな中で国鉄に勤め、当時としてはハイカラな洋風アタッシュケースを持ったりコートを着たりしていた大伯父は、おしゃれな人として村の憧れであったらしい。本人もシュッとしていて背が高く(要するにイケメンで)、大伯父のことを尋ねていたはずが「あんたもあんなカッコいい人になりなさいね」などと言われる事態になってしまった。
そんな大伯父の本を、現在私はいくつか持ち出している。祖母に許可を得て持ち出したが、大伯父が生きていたら絶対に許可しなかっただろう。
実家にいるとき、大伯父の部屋で生前の彼が残した色々な本に囲まれていると、何故だか見たことのない大伯父が見えてくるような気がする。床から天井までを埋め尽くす膨大な本の数々を読むことで、私は彼がその時どんなことを考え、どんなことを感じていたか、彼に近づけるような気がするのだ。本を読むと、たまに大伯父の字で注釈やメモ書きが書いてあったりもする。ページ端に小さく折り目がつけられていることもある。
私が生まれるずっと前に大伯父は死んだ。当然顔も知らない。彼には子供がおらず、何か彼自身が書いた小説などが残っているわけでもない。
しかし、彼が触れてきた本の数々に触れることで、彼の何かが私に伝わってくるような気がした。