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私と祖母が両親に会えたのは、病院だった。
救助された時にはもう蚊の息だったらしいけど、病院に運ばれた時は助かる可能性はないと薄々医者も感づいていたらしい。
タオルで体を拭いているからこそ見えるたくさんの傷。
どこもかしこも赤くて、見ているだけで涙がポロポロと頬を伝った。
祖母は自分も泣きながら私を抱きしめてくれる。
病院のいろんなところで聞こえる鳴き声、怒声、それは、すべて遺族のものだろう。
普段は着ないようなおしゃれな服もボロボロで、身につけていたもの全てが遺品になってしまった。
あの時、沖縄に行くのを止めていたら……両親は死なずにすんだのに。
少しでも飛行機の時間をずらせれば、今頃沖縄についていたかもしれないのに。
結婚記念日に、出かけたかった場所にもたどり着くこともできず、両親は死んでしまった。
悔しくて、悲しくて。どこにぶつければいいのかわからない怒り。
まだ13年しか両親と一緒に暮らしていない。もっと一緒に暮らしたかった。
沖縄から帰ってきた両親からお土産をもらって、たくさんの話を聞いて、いつか家族皆で行こうと約束するはずだった。
それが、全て崩れてしまった。
飛行機が墜落してしまったせいで。
ニュースで見たのは、飛行機が墜落した原因は操縦士にあるのではないか、ということだった。
“若狭”という操縦者の名前を見た。そのひとも墜落事故で死んでしまったらしい。
生存者0。死亡者68人。
そんな、こんなひどいことはあっていいものなのだろうか。