触れられない過去。
永瀬のクラスが最近わかった。
彼は1年6組だったのだ。
どこで知ったかというと、たまたま移動教室の際に6組の教室から彼が友達と楽しそうに話しながら出ていくのを見たからだ。
とまぁ、そんな話はどうでもいいとして。
今私は、両親の墓参りに行こうとしている。
花を取替えに来たのと、掃除をするためだ。薫と毎週交代で来ているが、今週は私の番である。
行く途中の道で買ったお供え用の花を大事に抱えて私はバスに揺られている。
墓までは家からバスで大体10分。そう遠い場所ではない。
6月のジメジメした季節ということもあり、やっぱり冷房が効いているところは欠かせなかった。
まだ両親が亡くなって日が経たない頃は、墓の前に行くとすぐに泣き崩れてしまったが、今ではそんなこともない。
感情が押し寄せてくるということも無くなったし、最近は特にあまり感情自体を持たなくなったのかもしれない。
両親の遺影を見ても、やっぱり泣く事は無かった。
今までですべての涙を流してしまったかのようにもぬけの殻だった。
笑うことも出来ない、泣く事も出来ない。怒ることだって、楽しむことだって。
今の私には何も出来ない。
ただ人形のように変えない表情を持ちながら、日々過ごしているだけだ。
たまに嬉しくなることといえば、成績が上がって順位が良くなった時くらい。
せめてもの感情を勉強にしか捧げることが出来ないなんてなんだか自分でも惨めに思えてくる。
両親が生きていた頃は、喜怒哀楽がちゃんと存在していたはず。
私は心から笑うことだって出来ていた。
今できないのは、私の前から突然両親が消えてしまったから。
何の前触れもなく、恐ろしいほど突然に。
あれから私の感情は全てなくなってしまった。
残っていたものはせめて両親の死を嘆くための涙くらい。
その涙もしだいに枯れて、ついには何もなくなってしまった私。
あの両親でしか埋めることができなかった隙間が、今もずっと痛み続けている。
代わりなんて無くて、あのまま消えてしまった両親がもどかしくて。
今もなお、私は両親の死を引きずっているのがバレバレである。
両親の墓は一緒のものである。
かなり前の話だが、冗談まじりで“死ぬ時は一緒の墓に入ろう”と話していたのをあの時の私は覚えていたのだ。
まさか墓を作るのがこんなに早くなってしまうとは思わなかったが、これがせめてもの報いだった。
突然亡くなり、行きたかった旅行にも行けず、結婚記念日に亡くなってしまった両親への、私ができること。
私が出来ることなんて限られている。今から両親を生き返らせる力なんて持っていないし、
少しでも話せるような能力もない。
望みなんてほとんど話さない人達だったから、せめて一緒の墓に入りたいという願いだけでも叶えてあげたかったのだ。
……こんな娘で、両親は満足してくれただろうか。
バスの中で1人、私は窓の外を見ながらそんなことを考えていた。