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結城さんはアリスになれない

作者: 二月飛鳥


 同じクラスの結城さんは、ウサギが好きだ。

 持ち物や身につけている物の至るところにウサギを飼っていて、中でも彼女のふわふわした前髪を留めている白いウサギヘアピンは、十年以上前から常に彼女と一緒にいる一番の古参ウサギである。

 結城さんは、トランプが嫌いだ。

 とにかく存在そのものが気に入らないらしく、かつてはいた数少ない友達が一緒にやろうと誘った時には、親の仇でも見るような目で断って空気を冷たくさせていたことがある。

 結城さんは――多分だけど、俺のことが嫌いではないんだと思う。

 嫌いなら「俺と付き合ってみませんか?」なんて告白も相手にしてくれなかっただろうから。あ、ちなみに俺は結城さんが好きです。

 今だって結城さんの趣味に付き合っていられるのは彼女が俺を嫌いではないからで、彼女が俺をただのクラスメイトではなく彼氏と認識しているからではないかと思う。前は近寄っただけでも不機嫌そうに睨んで逃げるばかりだったのだから、今こうして時間を共にできる関係になれたというのは、非常に大きな進歩ではなかろうか。

 ガサリ。一際大きく葉っぱの擦れる音がして、結城さんの頭が現れた。

 あちこち泥だらけの葉っぱまみれ。ほとんど日に焼けていない真っ白な腕には小さな擦り傷。せっかくの綺麗な肌が、もったいない。

 しかし立ち上がった彼女はそんなことお構いなしに、自分の服を軽く叩いて汚れを落とす動作をする。『やっておかないと母に怒られるから』だそうだ。当然だ。むしろ寛大だ。高校生にもなって身体中泥だらけで帰宅する女の子なんて、運動部の子でもなかなかいない。少なくとも、俺は結城さん以外に見たことがない。

 いくら次の日が休日だからって、毎週決まって金曜日に娘が制服を泥だらけにして帰ってきて、怒るだけだなんて。結城さんのお母さんは何て優しいんだろう。俺も早く、結城さん家の子になりたいものだ。

 なんて妄想は頭の隅に追いやって、

「お疲れ様」

 結城さんに近付いて、髪の毛に絡まっている葉っぱを指でつまむ。こうやって自然に触れることができるのも俺が結城さんの彼氏だからに他ならない。彼氏の特権、良い響きだ。

 幸せを噛みしめる俺を、顔だけで振り返った結城さんがじっと見上げてくる。嫌がるでも喜ぶでも照れるでもなく、ただただ無表情でされるがままに俺の指を受け入れている。

 今、彼女が何を考えているのか、そもそも何も考えていないのか、どれだけ彼女のことを好きな俺でも察することは難しい。ただ明確にわかることは、結城さんの上目遣いはとても可愛くて、俺はこの数センチの身長差に感謝しなくてはならないことくらいだ。

「ありがとう」

 少しして結城さんが口を開いた。名残惜しいが「いえいえ」と返して手を下ろす。彼女の髪にはもうウサギしか残っていなかった。

「今日も見つからなかったみたいだね」

 あくまで自然に、先程まで結城さんが頭を突っ込んでいた場所に目をやる。

 何の変哲もない、森の中の茂み。

 こんな所に好き好んで入る人を、俺は結城さんしか知らない。すぐ近くには整備こそされてはいないが、それなりに見通しの良い道がある。俺達も行きと帰りに使っているし、動物ですら町に下りる時にはそちらを通っていくだろう。

 そんな道からわざわざ外れて、落とし物をしたわけでもない結城さんはいつも自ら茂みに入っていく。

 ――不思議の国への入口を探して。

 そんなもの、存在してはいないのに。

「……そうね。いつになったら見つかるのかしら。入口も、白兎も」

 寂しげに目を伏せて、結城さんは呟いた。

 見つからなくて当然なのに、誰に何を言われても探すことを止めず、いつも見つかることを信じている彼女は何て健気で、愚かなんだろう。

 ――不思議の国へ迷い込む、少女の物語。

 知らない人間はほとんどいないであろう有名な童話だ。そういうものに興味のない俺でさえ、言われれば何となく『ウサギを追いかけて妙な世界に行く話』くらいには想像できる。確かラストは夢オチだったか。

 結城さんは――少なくとも俺が知る幼稚園の頃から今に至るまで――ずっと、その童話の少女に憧れている。

 結城さんの思い入れは相当強く、身につけたウサギアイテムもすべては不思議の国への案内役である白ウサギを誘き出す為だと、付き合い始めて間もなく、嬉々として教えてくれた。

 そして変なところで行動力もある彼女はそれだけでは飽き足らず、いつからか毎週決まって金曜日に、こうして不思議の国への入口を探して森へやって来るようになっていた。俺がそれを知ったのは中学生の時なので、もう数年になる。

 ある筈のないものを何年も探し続ける結城さんを、俺はずっと見続けている。

「落ち込まないで、結城さん。また来週来よう。俺も付き合うから」

 何度来たって見つかるわけがない。結城さんは童話の少女ではないし、ここは単なる近所の森だし、空想は所詮空想に過ぎないのだ。

 不思議の国は有りはしない。どんなに求めても探しても、けっして存在しない。

 しかしその現実を、俺は口が裂けても言う気はない。

 言ってしまえば、結城さんは俺を必要としなくなる。彼女にとって、ただの他人になってしまう。そうすれば彼女はもう俺を見てくれなくなるとわかっているから。

 そうして何人もの友達を自らなくしてきた結城さんを、ずっと見てきたから。

 俺は結城さんが好きだ。

 仏頂面で誤解されているけど、お礼も謝罪もきちんと口にできる素直なところが好きだ。

 本当は嫌なのに、多数決に従って、発表会で悪い魔女の役を熱演する責任感の強いところが好きだ。

 図書室に通って猛勉強するのに、返されたテストや通知表を確認して青ざめる、頭の悪いところだって大好きだ。

 だから何も言わないで、結城さんと付き合い続ける為に、結城さんの趣味に付き合い続けると決めて告白した。

「ありがとう、伊澄くん」

 はにかむように結城さんが顔を綻ばせる。

 本当に結城さんは可愛い。こんなに良い子で可愛い女の子を、俺は結城さん以外に知らない。どうして皆は気付かないのか不思議でならない。もちろん今更気付いても遅いし、これからもずっと気付かなくていいけれど。

「じゃあ、帰りましょう」

「うん。ところで結城さん、明日って予定ある?」

「ないわ」

「だったら明日、デートしませんか? 美味しいパンケーキの店を教えてもらったんだけど」

「パンケーキ……アリスが食べるのは普通のケーキよ」

「アリスだって、美味しければパンケーキも食べるさ。お店の雰囲気も、きっと結城さんが気に入ると思うんだ」

 結城さんは暫く考えるように俯いたのち、

「行くわ」

 俺に頷いてくれた。よかった、と顔を綻ばせる。明日も結城さんと会えるなんて、幸せだなあ。

 幸せついでに、饒舌になった俺は冗談半分で問う。

「結城さん結城さん。もしさ、デート中に突然白いウサギが現れて、『アナタを不思議の国に招待しま~す』なんて言ってきても……俺とのデートを続けてくれますか? なーんて」

「何を言っているの、伊澄くん」

 結城さんは真面目な顔で、一言。

「白ウサギは、追いかけるものよ」

 ……そこは「伊澄くんとのデートの方がいいわ」って言ってほしかった。彼氏が相手でも、結城さんはやっぱり空気が読めない。

「はは、そっか。追いかけるものなのか。覚えときます」

「伊澄くんは覚えがいいから忘れたりしないでしょう」

「俺、そんなに覚えよくないよ」

「謙遜しなくていいわ。私でも覚えていないようなこと、よく覚えているじゃない。幼稚園の遠足のこととか、小学校の発表会のこととか、中学校の修学旅行のこととか」

 それは結城さん絡みのことだけです。

 なんて言って、簡単にときめいてくれるような子じゃないのは重々承知だ。だから敢えて言わない。逆に引かれても困るし。

「まあ、大きい行事くらいなら、それなりに。記憶に残りやすいしね」

「私は興味がないから、あまり覚えていないわ。でもいいの。大切な思い出は、これから作るんだもの。追いかけっこ、お茶会、なぞなぞ……」

 今日一番の楽しそうな顔で、結城さんは何か呟いている。また不思議の国絡みなのはわかっていて、複雑だけど、やっぱり結城さんは可愛いなと思う。


 アリスになりたくて仕方ないのに、絶対にアリスになれない結城さん。

 平凡なくせに、夢見がちで痛い子で空気も読めなくて友達もいない、ただの女の子な結城さん。


 そんな結城さんが、俺は好きだ。



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