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小説講座  作者:
55/59

3、ストーリ構成 【取り扱い危険物】


少し前の項目で寓意について講座しました。

今回はその寓意に関連して、「取り扱い危険」となる部分について言及していきます。



寓意の項目では、道徳的教訓を物語に含ませることについて触れました。

小説を通して人に教え導く、というのを形にするといった内容ですね。


その寓意を込めるには一つ問題が生じます。


道徳的教訓というものは、その性質上、重みのあるものが多いです。


子供にお金の使い方を教える程度ならまだ軽いですが、本格的にメッセージ性を高めるとなると生きる上で学んでおかなければならない大切なことにまで発展します。


人間は、生きていく過程で様々なことを学ぶ必要があるはずです。


それは勉学とは違い、感情を持つ人間が社会や共同体という大きな枠組みの中で触れ合いながら生きるための人としての在り方でもあるかと思います。

そこに絡んでくるのは、善悪や生死といった、倫理的なものになってきます。


やってはいけないこと、軽んじてはいけないこと、目を瞑ってはならないこと。


これらは学校で教わるものではありません。


勉強なんかよりも絶対的に学んでおかなければならないことだと思うのですが、そういう教育というものはあまり行われていないかもしれません。


子供のうちに学んでおかないと、善悪の判断がつかずに平気で人を傷付けたり、自分中心の考え方しかできない大人になってしまう大事なことなのに、です。


SNSで他人の興味を引くために、ひどい発言をしたり、行為をしたりする方が巷を賑わわせていますが、それもちゃんと「道徳観」を身につけさせてもらえてなかった結果だと思います。


私の好きな言葉に「人は群れているのではない。寄り添っているのだ」というものがあります。


こういう言葉に頷けるかどうかで倫理観を図ることなど出来ませんが、人が一人で生きることの大変さを知っている人間は深く頷ける言葉だと思います。


こういう倫理観を育てる環境というものがないのは問題ですよね。


法で取り締まる以前に、無理矢理でも学ばせるべきなんじゃないか、と。



さてさて、つまりはそんな大事な道徳的観念を小説に含ませるとなるとちょっとやそっとじゃ上手くいきません。


必然的に、テーマをしっかりと据えて善悪や生死を題材とする作品になってくるかと思います。

それらを題材にするとしたら、やはり直接的な表現は避けられません。


つまり、悪の悪を見せつけたり、命の尊さを形にするために死を見せつけたりしなければならないことが多くなります。


麻薬や賭博などの犯罪行為、病気や障害、そして死。


前者は一般的には身近なものではないので共感しづらくて伝え難いかもしれませんが、後者は違います。

子供であろうが大人であろうが、いつだって身近に存在しうるものです。


共感しやすく、伝わりやすすぎる。


そういった内容である故に、例え小説であっても決して都合よく捻じ曲げてはいけません。


なぜなら、今この瞬間にも病などで苦しんでいる方もいられるからです。


創作なのだからといって題材(こういう内容においてネタと言うことにすら私は嫌悪を抱く)にしたとして、その苦労も辛さも中途半端に描かれ、まさにストーリーを進めるが為だけに病気を使われたとしたら、同じ病気で苦しんでいる方が読んだらどう思うでしょう?


どれだけの薬を飲んで、身体にメスを入れて、病巣を摘出しても治ってくれない。


そういう病も実際にあります。

身体的な病ではなく、心の病ももちろん存在します。


その病の本質を理解せずに、「ネタ」として小説に使うことは人として恥ずべき行為なんじゃないか、と私は思います。



私も昔、多重人格というものを「ネタ」として調べて小説を書こうとしていました。

ストーリー上、都合の良いようにその場その場で人格を変えて話を転がしている気でいました。


ですが、そんな最中に実際に苦しんでいる人間に出会い、本質を見て、触れて、感じて、どうしようもない罪悪感に襲われました。


多重人格になる原因は、幼い頃の嫌な出来事に起因するとも言います。


その原因となる凄惨な出来事を本人の口から聞いて、どれだけ自分が浅はかで考えの足らない人間であるかを思い知らされました。


想像以上に過酷な現実に、涙が溢れて止まりませんでした。


そのことに一部とはいえ、ここで触れてしまっていることに心が痛みますが、小説を書く人間に知ってもらいたいことだと思うので書かせてもらっています。


世の中には、触れてはならないことが存在します。


傷に触れると痛みが生じるのは当然ですから。

ですが、治療をするには傷に触れて手当てをしなければなりません。


傷付く人間を一人でも減らすために題材として使わせてもらい、丁寧な手つきで薬となる物語を紡ぎあげ、多くの人に知ってもらって理解を深めてもらう。


そうして、防げるものは防ぐような人間性を読者に養ってもらうのです。


これが出来ないのであれば寓意小説ではなく、自己満足小説どころか人を傷付ける小説になってしまうということを承知してください。


中途半端に題材とするような真似は絶対にしないように。


しっかりとしたメッセージが込められないのなら、それは苦しんでいる方々をさらに苦しめる刃にしかなりません。


ちょっと説教臭くなっちゃったけど、小説を書くということは楽しいばかりではないということが言いたかった為です。


誰にでも書ける、誰にでも読めるというのが携帯小説の売りですが、そういう媒体であるからこそ、なおさら知っておかなければならないことだと思います。


少しでも刃のついた小説がなくなることを願って、今回はこれにておしまいです。


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