特別講座 ☆美味しいアスファルトの作り方☆続き
前ページでは悪乗りしてしまいました。
とはいえ、ふざけて書いたわけではなく、目的があって書いた文章です。
昔のライトノベルにアスファルトの味を表現する凄まじい小説がありました。
抱腹絶倒だか何だかってタイトルだった気がします。
何が言いたいのかっていうと、アスファルトを食べるなんて非現実的な事柄すらも、小説では現実的に描かなくてはならないものなんですよーってこと。
整理しましょう。
本作でも、リアリティは大事だと書きました。
でも、リアリティにも種類があります。
以前、某SNSで小説アドバイスを行った際に伝えた言葉なんですが、小説というものは出来事を脚色して強調して誇張するものです。
兄弟喧嘩させるんだったら、殴り合い程度じゃ在り来たりなんだから銃撃戦でもさせたほうが面白みが出るって書きました。
出来事は大きいほうが起伏は大きくなるんです。
だから、そこにリアリティを求めちゃ駄目。
リアリティを求めるのは、その背景。
兄弟が銃撃戦するんだから、銃が傍にある環境じゃないとならないし、殺し合いに発展する理由も必要でしょう。
そういう背景を敷いてあげないと、非現実的な出来事になってしまうわけです。
だから、そこにリアリティが必要。
わかりますかね?
展開は非現実的に。
その背景は現実的に。
私が言いたいのは、小説として物語を形作るなら出来事を大きく、出来れば非現実的にしてあげて起伏とし、全ての出来事に読者が納得するだけの背景をしくということ。
戻りましょう。
アスファルトを食べるって非現実的ですよね。
事故でもなければ、人間が口に入れる機会などないでしょう。
口に入れるという行為は絶対的に想像できない。
そこにインパクトというものが生まれています。
でも、非現実的だから想像が出来ないので、物語の出来事として破綻してしまう。
しかし、アスファルトを食べる環境と理由を作ってあげることで、物語の中では現実的な出来事になるのです。
例えば、アスファルトではなく土ですが、海外のとある国のとある地域では土を食べる民族がいるそうです。
なぜ食べるのかといえば、様々な説があるようで、「食糧難で空腹を紛らわしたのが発端」だったり、「土に含まれるミネラルを摂取するため」だったり、「下痢の治療になるから」だったりします。
我々日本人にはとても非現実的出来事ですが、もしも食べるものが何もなくてそこに綺麗めな土があったら口にするかもしれませんよね。
その、もしも、を作ってあげる。
それが小説を書く人間としてリアリティを求める部分です。
レビューや感想を読むと、リアリティがある、ない、といったことが書かれていることがありますが、意味を履き違えてはいけません。
出来事に関してなら非現実的なほうがいいんです。
これが今回の焦点。
それを頭に入れてもらってから、もう一度問いましょう。
【問】
みなさんなら、どうやってアスファルトを美味しく食べさせますか?
以上、料理講座でした。




