気付き――これも価値あるもの
慎重と言うことは、冷静に場を見られるということ。
自立性を持っているなら、自身さえつけば自立できるということ。
その上、楽しいことが好きで、素敵なものを趣味にしている。
尻込みするのは経験が無いからで、止まるその一拍の経験を積み重ねて行けばいい。
ゆっくりと落ち着いて周りを見てみれば、きっと多くのことが分かるだろう。
瞬間的な激情など、場によっては絶大な効果を発揮するに違いない。まさに切り札である。
改めて考えてみれば、僕はただ今まで自分の性格を悪い方に考えていただけに過ぎない。
よくよく見てみれば、経験不足と猪突猛進が痛いだけで、後は特に悪くないどころか、よい性格をしているのだ。
となると、つまるところこの性格の変化たるプロジェクトは、実はマイナスからプラスではなく、プラスからスーパープラスにするためのものだったわけである。
――素直に思ってもいいはずだ。
普通に凄いことじゃないか!?
そしてこれは、人類全員に言えることなのだ!
善と悪、光と闇、上と下などがあるように、性格にも良し悪しはあるものの、その結果はどうだ?
結局はほとんどの人が、自分の性格の半分の部分しか見れていないだけじゃないか。
悪くなんて無かったんだ。ただ、僕は人より経験が足りないだけ。
ならば、それはこれから補っていけばいい。
なんて簡単なこと。それに今まで気付かなかったことのほうに、驚くくらいに。
俄然やる気が出てきたね。
そう、だって僕は、楽しいことが好きな自分に、楽しいと思えることを増やして差し出そうとしているのだ。
慎重に周りを見るその目には、新たにして多くの発見と言う名の煌きを!
自立性を望むその思いには、自身と言う名の宝石を!
一拍を許したその一瞬には、価値と言う名の大輪を!
それを、抱こうとしているのだ。
笑顔とは、それだけで多くの力を秘めている。
それを浮かべるだけで、自分が楽しくなれる上、見せるだけで、相手の気を和らげ、場を落ち着かせるのだ。
穏やかな気持ちと慎重さを合わせて見つめれば、焦る必要なく様々なものが見えるだろう。
そしてその気付きは、足を自然と動かすのだ。気遣いの出来る、優しい人。
それが出来るなら、経験など自然とつめるに違いない。自身が出来、やがては自立するだろう。
多くの人との人間関係が経験をプレゼントしてくれるというのなら、何を恐れる必要がある?
僕が怖いのは経験へと踏み出す一歩だけ。今一度考えてみよう。それは本当に恐怖なのか?
慎重であるということと、恐れると言うことは違う。そして慎重をもって止まる一拍こそ、経験であるのだ。自信の源であるのだ。
ならばこう考えられるはずだ。
すなわち、それは恐れではなく慎重さであり、それ自体がすでに価値ある経験であるのだと。
一人きりで趣味に没頭し、己を磨くは良し。
しかし、これはあくまで、今の自分を整理しているに過ぎない。
経験とは、自分以外のモノと存在する時のみに得られるものらしい。
僕はどうにも不器用で、否、とにかく慎重であるらしく、毎日の如く整理をしなければならないようではある。
しかし、そこに無駄など存在しえないのだ。
人生の全てに、意味があるらしい。
ならば、今のこの一瞬さえも、無駄ではない。
この小さな全力は、無駄ではない。
生きよう。受け入れよう。そして高みを目指すのだ。
なんて不思議で、楽しい体験。
僕は今、そしてこれから、他の人は決して出来ない、僕だけの体験をしていくのだ。
僕は特別なわけではないし、皆の誰かが特別なわけでもない。
僕が特別と言うならば、きっと皆も特別だ。
だからこそ、僕は僕でいられる。
僕として、このプロジェクトを進めていける。
僥倖だ。いや、重畳だ。
僕をここへと導いてくれた自身の思いと、素敵な言葉とその作者に乾杯!!




