僕の選択
自分が呼び寄せた現状において、僕は一体何ができる?
これは結局突き詰めれば、一つしかないだろう。
すなわち、どのような自分を創っていくか!
性格だけではない。振る舞い、考え方、そして立場。
今の場所にて学んでいるのには、きちんと理由があったじゃないか!
ただただ「本当は……」などと言って現状を否定する必要など一切なかった!!
意味のない“今”など、ありはしない。
僕は、他の道を選ばなかったという選択をしたのだ。
正確には、選ぶという決意を選ばなかった。
ゆえにこそ、今こうやって多くを悩み、知り、そしてこの考えに達した。
閃きであった。
あぁ! と思った。
分かったのだ。
今の学び舎を選んだ、その理由が。
一つは、こうして様々な考えや知識、言葉に出会うため。
一つは、ここを選んだことによって初めて得るに至った、以降の選択の大切さ。
そして何より、この過酷であろう場所に置いて、どうやって、どのような自分を形作るか、と言う最大の経験へのチャンス!!
ただ、この場でしか得られない知識を取り込む、というだけではあまりにも理由として不十分であった現状への、大きな光輝。
出会えてよかったと、心底思える言葉がある。
文章であり、本である。感情であり、思考である。
この世界には、偶然はないという。
自分が歩む道は、全て自分が選び取ったものであるのだと。
他人に責任を押し付けず、自分に責があると受け入れたその時にこそ、ようやく変わることを始められるのだと。
ただ変化させることなら思考と行動の変化のみによって叶えられるし、その方がよほど余計なことを考えなくてすむと思う。
けれど、僕はそれとは違う道を選んだのだ。
知ることを選んだ。
読むことを選んだ。
考えることを選んだ。
受け入れることを考えている。
他人には、理解されないことだと、なんとなく思う。
こんな時に、まだまだ他人の目を気にしている自分を知るのだ。
まだまだ修行が足りないな、と思う。
それは、自分として立っていないことと同意義なのだから。
自分を、自分の考えを認められずに、どうして真に他人の意見を受け入れるなどということが出来るのか? と、そう学んだというのに。
誰よりもまず、自分を愛せと、認めよと学んだはずだ。
それでも、と思うのだ。
あなたは信じられるだろうか?
神の存在を。
などと語りかけられても、多くの人が宗教関係者か、とうんざりするのではないか?
無神論者溢れるこの国に暮らしていて、神の話題を出すなら必然、そうなることが目に見えている。
だから、少なくとも今は語らないでおこうと思う。
そも、ここでの第一の目標は別のことである。
すでに異なる考えにひかれて、紡ぐ言葉は広いものではあるが、決して過程的には問題ではない。
笑顔は少々忘れがちだが、それでも増えたと思う。
一番の進歩は、他人に対して、激情のままに怒らなくなったこと。
というよりは、激情そのものが静かに座っているようだ。
一人の時、ぱっと出てくるあたり、これはストレスになってたまる類のものであるのかも……と心配ではあるが、おそらく、この心の内でその解決法は知っているのだ。だから、大丈夫。
穏やかに叱れるだけ、進歩したと自分を褒めよう。
後、他人について、そういう考えを持っているんだな、と意識して思うことができ始めた。
一拍の間、である。
友人たちとの話でそう意識する時は、なるほど、と感じたのちに自らの意見を言えるので、小さな勉強ができている気がする。
少しずつ、進んでいると思う。思える。
これは、幸福なことだ。
これからも、僕自身の存在を確定するような(正しくは思い出す、だが)言葉たちに出会うことだろう。
それらを主流としても、このプロジェクトの目的は、忘れずに進めていこう。
ここへ言葉を刻むこともまた、僕が僕として様々な経験をしていく上では、欠かせないことだと思うから。




