謎の視線
「…なんてな。お前、驚きすぎ。」
ピンと張りつめた空気はどのくらい続いたのだろう。驚いた顔のまま静止している優汰を、真剣に見つめていた颯の口元がピクリと動くと、そのまま一気に崩れ、颯は噴き出した。
優汰は、人の心が読めるのかと聞かれたことはあったものの、読めるのだと告白されたのは初めてだった。また、それを信じそうになるのも無理はないほどに、颯もまた、人の感情の動きに敏感だった。
「…お前、冗談なら冗談っぽく言えよ。」
「普通、信じるなんて思わねぇだろ。お前の驚いた顔…やばい、思い出したら…。」
字のごとく腹を抱えて笑った颯は、優汰の顔を見ると、再び噴き出した。目なんて、こんなだったもんなと言いながら、颯はかっと見開いた両目をさらに左右の手の親指と人差し指で開いて見せる。優汰は乱れた動悸が治まるのを待ちながら、なんとか不機嫌を装った。
「もう、やめろよ。お前ならありえそうだと思った俺がバカだった…たく。」
紛らわしいことしてくれる、と心の中で呟いた。優汰は、もし颯の話が本当なら、自分も同じなのだと切り出すつもりでいた。しかし、そんなことを人に話すのは、この能力が特別なのものだと自覚してから初めてだったので、いくら同じ能力を持っている相手だとしても、言い出すのにかなり抵抗があったのだ。もう少し颯に粘られていたら、おそらくすべてを吐露していただろう。
「悪かったって。」
颯は、目に若干溜まった涙を人差し指で拭いながら、恨めしそうに睨んでいる優汰に謝った。うるさい、といつもよりトーンの下がった優汰の呟きに、颯はふと出会った時のことを思い出していた。
優汰と初めて会ったのは、入学式。大きなホールを貸し切って行われた式で、偶然隣の席にいたのが優汰だった。第一印象は、無口な優等生といったところで、颯の苦手なタイプの人間なのだと思った。それまで、颯は真面目そうに見える人間との付き合いを避けてきた。一緒にいてもつまらないと思っていたし、適当を好む颯とは、根本的に価値観が合わないと思い込んでいたからだ。その時も、周りが自己紹介をしあったり、話し込んでいるのに気付きながら、決してそれに倣おうとはしなかった。
式が始まるとすぐに、学部長と呼ばれた男が壇上に上がった。紹介されたのは、整えられた白髪に、黒の背広を着た、いかにもな威厳をもった男だ。その姿を見て、颯は不快そうに眉根を寄せると、腕を組んだまま夢の世界へ旅立った。どのくらいたったのだろう、周りがえらく静かだと感じた颯が目を開けると、式はとっくに終わってしまい、壇上の片付けが始まっていた。少し寝すぎいたか、と一人伸びをした颯の目に飛び込んできたのは、隣に自分と同じように眠っている優汰の姿だった。どうしようか迷った末、おい、と声をかけながら肩を軽く叩いた。
その手を撥ねつけてうるさい、と低い声で呟いた優汰にいらだちを感じつつ、今度は少し強めに肩をゆすった。優汰は眉間に皺を寄せながら、ゆっくりと瞼を上げると、何度か目を瞬いた。ぼんやりしている優汰に颯は少しぶっきらぼうに声をかけた。
「もう、式終わってるぜ。」
「…え。」
「しっかりしろよ。」
「あ、あぁ。とりあえず…起こしてくれたんだよな。」
まだ眠そうな瞳で訊ねる優汰に、颯はこくりと頷いた。
「ありがとう、助かった。」
「おう。たまたま俺が先に起きただけだけどな。」
颯はそう言うと、苦笑いしながら帰り支度を済ませ、席を立とうとする。しかし、対して優汰は、席を立つどころか片付けをする気配すらない。不思議に思った颯は、優汰に訊ねた。
「お前、帰らないのか。」
その颯の声に、優汰は苦笑して答えた。
「いや、帰りたいんだけどさ。俺、寝起き最悪なんだ。しばらく動きたくない。」
「あぁ、まぁ、寝起き良さそうじゃないよな。」
「…ごめん、俺、なんか言っただろ。」
気まずそうに尋ねる優汰に、颯は曖昧に笑った。確信を持っているような言い方に、今回が初めてではなさそうだと感じた颯は、少し優汰という人間に興味を持ち始めていた。
「ほんと悪い…俺、覚えてなくて。」
「大したことじゃねぇよ。俺も寝起きわりぃし。」
再度謝ろうとする優汰を宥め、颯は続ける。
「てか、もう片付け終わりそうだぜ。見つかったらなんか言われんじゃね。」
「あぁ、そうかもな…ま、とりあえず、文句言われてから考えるさ。」
そう言ったきり、動く気配のない優汰がとても意外だった。颯はもう少し話してみたいと思い、もう一度席に腰を下ろす。
「お前、名前は。」
「二神優汰。」
「優汰か、俺、片桐颯。よろしくな。」
「あぁ、よろしく。」
颯がふと気付くと、目の前の皿にたれの付いた串だけが数本と焼き鳥が2本並んでいた。その1本がすっと前から伸びた手につままれる。
「ちょ、待て。お前何本目だよ。」
「なんだよ、お前がぼうっとしてるからだろ。」
意地の悪そうな笑みを浮かべる優汰の手から焼き鳥を取り返すと、串の一番上の肉を頬張った。
「もう1年になるんだよな。」
「何が。」
「この店に来るようになってから。」
「そっか…たしか、初めて来たのは入学式の帰りだったよな。」
「あぁ。お前覚えてるか。俺がお前起こした後…」
「もしかして、扉の鍵閉められて、必死で2階席からステージに向かって叫ぶ羽目になった…。」
「そうそう。あれ、相当怒られたよな。」
「ほんと。おかげで学部長にばっちり顔と名前覚えられて、あいつの講義でちょっとなんかしたら名指しで注意されてたよ。」
懐かしいな、なんていいながら、あの日のように2人でビールを呷る。
しばらく話していると、颯が急に電話を取り出して画面を確認すると、悪いと言いながら店の外に出て行った。
「もしもし。…あぁ…」
電話が掛かってきて、颯が席を外すのはとても珍しいことだった。なんとなく不思議に思いながら枝豆を口に放り込む。ふと颯を追った視線が、出入り口近くのカウンター席の女性と合った。すぐにそらされてしまったものの、優汰はあの瞳をどこかで見たことのある気がしたが、考える頭を停止して、ビールをのどに流し込んだ。なんとなく、思い出してはいけないことを思い出してしまいそうな気がした。
数分経って、わずかに顔がくもらせた颯が席に戻った時、先ほど目をそらされた彼女はもう店内にいなかった。
「なんかあったのか。」
「いや、大したことじゃないって。待たせて悪かったな。」
そういって明るく笑う颯の心は、言葉にならない声で満たされていたが、優汰はそれに気づかないふりをしてジョッキに残ったビールを一気に流し込んだ。