京参天外 (中編)
平安京には特殊な結界が張られている。
その結界は帝の居る大内裏を中心に平安京すべてを覆う巨大な結界であった。その結界の目的は主に平安京内に悪鬼や妖魔、狐狸が侵入するのを防ぐために作られていた。だが同時に平安京内に異国の文化や異国の人間が出入りできないようにした特殊な結界でもあった。
だが、今となってはその結界は本来の意味をなさなかった。
「この国の人々はヒッジョーォーに温厚っでヤサシー!」
陽はとうに落ち、辺りは暗く月明かりのみが街を照らしていた。街の人々はあれやこれやといまだ賑わいを見せるころでもあった。そんな賑わう大路から外れた一画の路地に2人の男が歩いていた。
その2人の男はどちらも金の刺繍が入った全身黒ずくめの姿をしていた。一人は背丈はあまり大きくはないが一般的な青年といった大きさだがもう一人は大柄で隣を歩く男が小さく見えるほどであった。
「でも、人間、やさしくない人も居るものデース」
2人の男は足を止めると、辺りを警戒するように見回した。
「アレスよ。やはり昼間目立ちすぎたのが原因ではないか?」
大柄の男のほうが口を開き、隣にいる男に話しかけた。
アレスと呼ばれた男は不思議そうな顔で大柄の男に顔を向いた。
「ポセイディニア、ワタシはそんな目立つことをした覚えはありまセーン」
アレスは本当に心当たりがないかのように両手を挙げて横に振っていた。
2人の男は警戒を強め辺りを注意深く見渡すも人の気配はなかった。
だが、ポセイディニアは何かを察知したのか黒づくめのコートの左袖に手を伸ばし、内から小さな十字架を取り出すとそれを空中高く放り投げた。すると、その十字架は宙でまばゆい光を放ち辺りを一時的に明るく照らした。
「やはり、いたか」
ポセイディニアのその言葉と同時に2人を取り囲むようにして地面や壁、家屋から紫色の無数の影のようなものが現れた。
「これがうわさに聞く『ヨウマ』というやつですカ」
「いや、これは違う。明らかに作為的に我々を狙っている」
いつの間にか影は人間の指で数えることができる数を超え増殖していた。そのすべてが2人を囲むように現れ、2人の逃げ場を完全に塞いでいた。
「この国の言葉には『ハイスイノジン』という言葉があるそうデス」
「アレスよ。その言葉のもとは大陸の故事だ」
「細かいことはいいのデス」
2人は背中合わせになり被っている帽子に手をかけた。そして2人同時に帽子を真上に投げた。すると、2人の立っている位置を中心とし帽子の中からその位置を避けるように大量の水が濁流のように流れ出た。その水は2人の位置の周りを円を描くようにして流れ、2人を囲んでいた影たちは水に飲まれた。
「ふむふむ。これが聞くということはこれは影ではなかったということデスネ」
影の姿が見えなくなったのを機にアレスは右腕をあげると、宙に浮いていた帽子が落ちてきて水の流れも止まった。
水の消えた地面には影の形もなく残っていたのは数枚の水にぬれた紙切れであった。
「なるほど、これを核として自律して動いていたか」
「なかなか面白いことを考えるなこの国の人たちハ」
アレスは感心するように言った。
「でも結局、真似事には変わらないのデスヨ」
今平安京はある異変に見舞われていた。
本来破ることのできないはずの結界を一切手を加えずに何者かによって突破されたのだ。そしてその何者かはいまだ平安京内に潜んでいる。これがもし帝の命を狙うものであった場合危急存亡の時である。幸い、いまだ大内裏における異変は見られていなかった。だが結界が突破されたという異変は真っ先に陰陽寮から帝に報告された。
「それは真か!?」
「は。現在陰陽院が総出で捜索しておりますがいまだ発見のめどは立たず、結界の調査も行いましたが異常は見られなかったとのこと」
帝は半ば錯乱ともいえる形で混乱していた。それもそのはず、決して破られることのないはずだった平安京の結界を何者かによって突破され、あまつさえその犯人もいまだ捕まっていないのだ。命を狙われる可能性のある帝があわてるのも無理はなかった。
「そ、それで、朕はどうすればよいのじゃ」
「陰陽頭の伝言によりますと、『内廷院、外廷院の皆様方とご協議くだされ』とのことにございます」
「ぬうう!結界を破られたからと言って責任逃れをしよって!急ぎ内廷院、外廷院の皆に協議させよ!」
「頭領。放った影形が5体やられました」
土御門有脩は大きな五芒星が描かれた床の真ん中に静かに座していた。式服を着こなし静かに正座するその姿はまさしく陰陽頭といった様子であった。
「どこに配した影形か」
「河原院周辺に配したものです。ですが、なにやら呪術のようなものを使われたようで、別々に配していた影形が一手に集められてしまったようです」
「では、河原院周辺を厳重警戒させよ。怪しいものは見つけ次第即刻処分せよ」
命を受けた伝達係は有脩に一礼すると部屋から姿を消した。
「晴亮よ、いるのであろう」
有脩が誰もいないはずの虚空に向かって話しかけるとその場所に突如として一人の男が現れた。
「さすがは頭領だ。私の霧形もバレバレですか」
「晴亮よ、こたびの侵入者……異なる者と思うか?」
「まず第一に悪鬼や妖魔、狐狸の類では安倍晴明公の作られたあの結界は崩せませぬ」
「そうだ。だが、たとえ異なる者であってもあの結界を超えることはできぬはずだ」
「それは……つまりは彼らにもあるのでしょう結界を破る何かが。人間とはそういうものです」
有脩は立ち上がり、袖から5枚の札を取り出すと小さな声でボツボツと呟き札をそれぞれ五芒星の頂点に敷いた。
「私自ら出て確かめねば気が済まなくなった。この場はお前に任せる」
「ずいぶんと勝手な頭領様だ」
その言葉が終わるとともに土御門有脩の姿は部屋から跡形もなく消えた。