木魚の響き
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
つぶらやくんは、自分の耳に自信があるかしら?
歳を重ねていくと、どんどんと耳の聞こえが悪くなっていくけれど、これは聞き取れない音の範囲が広がっていくのが大きいらしいわね。
耳そのものが衰えたとは言い難いから、聞こえる音程で普通に話してくれれば通じる。それを「耳が遠いのかな?」と大声で話しかけたりすると、受け取った側にとってはキンキンに怒鳴られたようなもの。耳にも心臓にも悪い思いをすることになるとか。
加齢による聞きづらさばかりじゃない。もとより人間には聞き取ることができない、超音波の存在があるわ。イルカやコウモリなどは、音波を発することにより、その反響で相手の位置を把握するすべに長けている。
これらを感知できない人間にとっては、「よくあんな動きができるものだな」と感心するかもしれない。けれど、感じられるならば至極当然と思えるかも。
普通は聴こえない音の話、聴いてみない?
私が5歳ぐらいのときに、はじめてそれに気づいたわ。
人や建物の喧騒あるなしを問わず、ときどき耳に「ポク、ポク、ポク……」と木魚に似た音が飛び込んでくるの。親戚の葬儀に出席したことがすでにあったから、経験上はその音にもっとも近いなと感じたのね。
唐突にあらわれ、消えるその音の出どころを、いつも私ははかりかねていた。お寺は近くにないし、一般家庭で木魚を所持したうえに使うとか、よほど渋い趣味をお持ちなのか練習熱心なのか分からない。
けれども、あちらこちらを歩き回っても、私の耳へ届く音は大きくならないの。普通、音源に近づいたら、ボリュームもアップするはずでしょ? それがいっさいないものだから、私も戸惑っちゃった。
くわえて、私以外の誰もその木魚の音に気付いていないみたいだったの。お父さんやお母さんに聞いても、耳に手を当てる素振りのあとに「何も聞こえないけど」と返される。あまりに続くものだから、私のほうでも尋ねるのをあきらめちゃった。
はじめて耳にしてから、1年ちょっとが経っても、木魚は私の頭の中でにわかになり出してしまう。
そう、頭の中。外からきっと飛び込んでくるのだろうと、300日以上を音源捜索にあてたけれど、かんばしい結果は得られていない。そうなると、身体の内側から来ているのかなと考えてしまうわけ。
これまでは、親にしてもらう耳掃除の時以外は縁遠かった耳かき。それを私はおのずと手に取るようになっていたわ。
目的はひとつ。ときおりやってくる木魚の音の正体を突き止めて、それを外へかきださんがため。
慎重にほじったつもりでも、ときおり致命的に痛むところを突っついて飛び上がりそうになりながらも、私は日々、耳の捜索を怠らなかった。「そんなに耳掃除すると、かえって耳が遠くなっちゃうよ」というお小言もたびたびいただく。
実際、これほど短いスパンでやれば取れるのは耳垢よりも、耳の中の皮膚とか、その下の大事なところとかだろうね。注意も、そう的外れじゃないと思う。
でも、誰とも共有できない木魚の音。その源を探れるのもまた、私しかいないと強く信じていたから。おっきい耳垢を出そうと、そうでなかろうと、ふとした拍子に「ポク、ポク、ポク……」と、小さく響く音が入り込んでくる。
一回一回がたいしたことないとしても、それがいきなりやってきて、止んだあともまた来るかどうかも分からない……それにストレスを感じる私は、おかしい子なのかしら?
私の耳かきと、見えない木魚の戦いはそれからまた一年以上も続き、確かな決着をつけられないまま、ずるずると引き伸ばされたの。
気づけば私も小学生。新しい学校とクラスで友達もいっぱいできたけれど、その友達からつけられたあだ名が、なぜか「天使ちゃん」だった。
みんなが不意に、「それ、なあに?」と頭のあたりを指してくるけど、「髪の毛だけど?」という答えになんだか不満げ。そうして、あとには「天使ちゃん」。
見ての通り、私はお世辞にもきれいとはいえないし、性格だってどちらかといえばブスよりじゃないかと思う。必要とあれば助け舟を出すけれど、好き嫌いだって激しいから、天使にイメージされるような清らかさとはほど遠いはず。
なのに、出会った子は遅かれ早かれ、天使だと私を呼ぶ。さすがの私も疑問に思ってきて、尋ねてみると、その理由もまた同じ。
「ときどき、頭の上に輪っかが浮いているから」
はあ? と私は自分の頭上でぶんぶん手を振ってみるけれど、それらしい手ごたえはない。鏡で確かめてみても、それらしいものは映らない。
けれどもみんなの証言を集めてみると、それは部屋の中で使う丸型蛍光灯によく似ていて、私の頭上10から20センチくらいのところに浮かんでいるみたい。
「それ、なあに?」と思ったときには消えていて、私に聞いてもまともな返事はこなかった。それが隠し事をしている素振りに見えたらしくって、頭、輪っか、と来たら天使、という考えに至ったのだとか。
みんながみんな、同じ発想に至るとは思えない。誰か、「天使ちゃん」と呼ぶように根回ししているんでしょうね。
でも私はある意味、天啓を得たように思ったわ。ひょっとしたら、その輪っかとやらが、響く木魚の音に関係しているのでは、と。
今まで、音を変えることなく響くのは、それが身体の内にあるからだと思っていた。
でももうひとつ。常に外側で、私との間合いが寸分たがわない距離から放たれたもの。それを浴びたはね返りを、私は聞き続けていたのではないかと。
耳掃除作戦はやめた。私は「バンザイ作戦」に切り替えて、例の輪っかを探りにかかったの。輪っかに触れようとして、そのために都合の良さそうな姿勢がバンザイだったからね。
当時の私を知る人なら、たぶんバンザイしまくってたことを覚えていると思う。それくらいしてでも、私は輪っかに触れたかったのよ。ここまで苦しめてくれた張本人だし。
いつでも、とらえられる準備ができているつもりだったけど、結果としてこのようなことしなくても良かったよ。
半年もするとね。木魚の音は、今までよりも強く、はっきりと私の頭の中で聞こえるようになったの。それからほどなく、私は内側から破裂しそうなほどの頭痛を伴った。
ちょうど、部屋の中でよかったかも。外だったら、この立ち上がれずにいるみっともない姿を誰かに見られていたかもしれないから。
バンザイをしたとき、私の両手は確かに、そこにあるべきでないものをつかんだ。みんなに聞いた通りの輪っかの手触りだったけど、長くは保てない。
熱い。
そう手を引っ込めたとたん、私は頭からゴムのようなものに覆いかぶされた。袋詰めにされるって、ああしたものかしら。
ホントのところは分からないわ。私の頭から床に接するところまで包んだかと思うと、次には巻き戻るようにして開放されていたから。
それきり、私は木魚の音を聞くことはなくなったけれどもね……頭が軽くなっちゃったの。こう、今までよりもずっと。
試しに、軽くこづいてみて? ほら、かる~く……ね、甲高い音がするでしょ?
レントゲンとかじゃ、この状態のこと分からない。でも木魚とおさらばしたあの瞬間に、私はこれまで持ってた大事な何かも、なくしちゃったのかもね。