?杖
冒険者の失踪事件を追う中で見つかった怪物メデューサの痕跡。これを追って行く以上、メデューサとの戦いは避けられないという事になり、私達のパーティはメデューサ対策の手伝いをする事になった。
依頼主はソフィア。美人で天才で格好良い私の憧れのエルフである。
調べ物の為とはいえ、今自分が彼女の部屋に居ると思うと緊張せずにはいられない。
ソフィアの部屋はほとんどが本棚で埋め尽くされており、まるで小さな図書館のようだ。冒険者の酒場の二階が居住用になっており、そこの空き部屋を四つを買い取って壁を取り除き、一つの部屋にしたのだそうだ。
噂によるとこの部屋は、ソフィアの許可が無ければ鼠一匹入れない結界が施されているらしい。
「皆さん、今日はお手伝い頂きありがとうございます。既に説明した通り、メデューサ討伐にはあらゆる対策を立てて挑まなければなりません。宝石化という蘇生不能な死をもたらす怪物に、幾ら準備してもし過ぎるという事は絶対に無いのです」
いつもの朗らかな表情と異なり、今日のソフィアはとても真剣な面持ちで説明している。それだけ危険で、僅かな油断も許されない魔物という事だろう。
ソフィアの凛々しい姿に見惚れていたが、真面目に聞かねばと背筋を伸ばし、姿勢を正す。
「皆さんにはこの部屋にある本の中から、メデューサの特徴や弱点、有効な武器などの情報を集めて欲しいのです」
「待て待て、流石にこれだけの本全部に目を通すのは無理だぜ?」
リンギットの言う通り、私達のパーティ四人とソフィアで分担するにしても、全部に目を通しすには数ヶ月は掛かりそうである。ソフィアの頼みなので幾らでも頑張るつもりではあるが、時間がどれだけあっても足りないだろう。
「流石に無関係な書物も多いので、全てを確認する必要はありませんよ。とはいえメデューサは知名度の高い怪物ですからね。色々な書物に登場しています。ですのでそうですね、神話、古代の伝承、古い魔物図鑑や武器図鑑などを中心に探してみて下さい。ああそれと、古代の遺産に関する本があったはずなので、どなたかにそれも探して頂けると助かります。近代の書物は背表紙に題名が書かれているのですぐに見つけられるのですが、古い本はそうもいかず一冊ずつ内容を確認しないといけないので、本当に来てくれて助かりました」
ソフィアの指示で探す本はある程度絞り込めたが、それでも大変な作業になりそうである。
だが、途方に暮れていても始まらないので、とにかく古い本を探す事にした。
実際に本棚を見て行くと、ある程度は分野ごとに本が整理されている事が分かった。そのおかげで多少は本も探し易いが、やはり軽く目を通して内容を確認しないといけないので、作業の進みは遅かった。
あくまで個人図書室なのもあり、たまに分野がバラバラに収納されている本棚も見られる。好きな本を一箇所に纏めているのだろうか。
ソフィアの趣味嗜好を知る為にじっくり拝見したいが、今日は手伝いで呼ばれているのだ。手を止めて遊んでる暇は無いので、諦めるしかないだろう。
朝早くから作業を開始したのだが、午前中に見つかった役立ちそうな書物は二冊だけだった。いずれも見つけたのはクロエである。彼女もソフィアのように普段から読書をしているだけあり、調べるべき本に目星を付けるのが上手く、非常に手慣れいる。
私は自分が役に立てていないのがもどかしくて、昼食の休憩時にクロエにコツを聞いてみたが、本の雰囲気やら作者の得意分野やら謎の基準を言われただけで、あまり役に立つ助言は貰えなかった。
「そうそう。私、ちょっと他人にお見せ出来ない本を探しますので、午後は寝室に籠もりますね。皆さんは引き続き図書室の方をお願いします」
食事を済ませて作業を再開する為に部屋へ戻ると、ソフィアはそう言い残して奥の扉へ消えて行った。
……寝室に置いてある、人に見せられない本?
そういう意味ではないのは分かる。分かるが、そんな言い方をされたら如何わしい想像をしまう。とても気になるが、今は本探しに集中だ。
だが、先程の件が気になっているのは私だけではなかったようで、クロエが楽しげに尻尾を揺らしながら近づいて来た。
「ねね、ソフィアさんのさっきの話、えっちな本でも読みに行ったのかな?」
「ぶふっ、な、何言ってるのっ!? さっきのはほら、凄い重要な本だから見せられないとかそういうアレだよきっと!」
私は慌てふためきながらも何とかソフィアの尊厳を守ろうと、必死に理由を絞り出した。
しかし、これは悪手だったようだ。
「……へー、フィロってそういう知識はちゃんと年相応にあるんだね」
クロエは一瞬驚いたように停止した後、急に顔を寄せて来て、愉しげに笑みを浮かべた。
彼女の関心は、ソフィアから完全にこちらへ移ってしまったようだ。
「な、何の事かよく分からない、かな」
「いやいやいや、さっきのはどう見ても知ってる反応でしょ」
「いや、ホントに」
「えー、実は読んだ事もあったりするんじゃないの?」
まるで玩具に戯れ付く猫のように、躱そうとしても凄い勢いで詰め寄って来る。こんな事を思うのは申し訳ないけれど、少し鬱陶しい。
「ほらクロエさん、お金頂いて仕事頼まれてるんだから、遊んでないで続きしよう?」
そう、これは仕事なのだ。しかも一般的な依頼や日雇いの仕事よりかなり高額である。ふざけてはいられないのだ。
報酬の話をするとクロエも納得したようで、追求を止めてスッと顔を離してくれた。
「ああ、ごめん。悪い癖が出ちゃったわ。まあでも、ちょっと安心したよ。フィロはソフィアさんに唆されたら簡単に色々と許しちゃいそうだから、よく分からないまま同衾させられてた、なんて事にならないかちょっと心配してたんだ」
クロエは普通に心配してくれての言葉なのだろう。それは分かる。しかし、あまりに直接的な言い方に顔が熱くなり、変な汗が出て来た。
その後、色々と考え過ぎて作業にほとんど集中出来ないまま時間は過ぎて行き、初日の仕事は終了した。
仕事の終了時間に合わせてソフィアが寝室から戻り、さっと進捗具合を確認して行く。
「今日一日でだいたい四割程の確認が終わったのですね。素晴らしいです! 後二日もあれば一通り調べ終わりそうですね」
作業は想定していたよりも順調のようでソフィアは喜んでくれたが、私は午後から上の空で仕事をしていたせいで素直に受け取る事が出来なかった。彼女の為にも明日はもっと頑張らなければと意気込みながら、私は皆と共に部屋を後にした。
夕食はソフィアが奢ってくれるという事で、彼女も私達と同席する事になった。
皆好き好きに食事や飲み物を注文し、乾杯を交わす。
「フィロさんはお酒は飲まないのですね」
ソフィアの言う通り、皆は酒を頼んだが私だけ冷茶だ。子供と思われてしまいそうだが、痴態を晒す訳にはいかないのでこればかりは仕方ない。
「お酒は成人の式典で一度飲んだのですけど、その時色々とやらかしてしまったみたいで……」
あの時の記憶は残っていないが、翌日は何故か周囲の人々の反応がよそよそしくて何かをしでかしたのだと察した。結局何をしたのか誰も教えてくれなかったが、それ以来飲酒は止めようと心に決めたのだ。
「やらかしたと言えば、この前クロエに秘密を暴露された冒険者がいたな。あいつは立ち直れたんかね」
「ちょっと、あの事は本人に謝ったしもう忘れてよ!」
リンギットのいつもの揶揄いが始まったが、私が気まずそうにしていたから話を逸らしてくれたのかも知れない。巻き込まれたクロエには申し訳ないが、少しホッとした。
それから皆の失敗談に話題が移り、各々が話を聞かせてくれた。皆それなりにやらかしている様で、気持ちが楽になった。
「ソフィアさんは、失敗談なんて無さそうですよね」
完全無欠とも言える彼女の失敗は想像出来ず、軽い気持ちで言ったつもりだった。
だから、彼女の表情を見て、私がまた一つ失敗したのだと悟った。
「……長く生きていると、失敗だらけですよ。それこそ、取り返しの付かない失敗をした事も有ります。嫌になってしまいますね」
悲しげに笑う姿を見て、胸がキュッと苦しくなった。
ソフィアが私の事を特別可愛がってくれているのは知っている。私もそこまで鈍感ではない。
だが、仲良くなる程に思い知るのだ。彼女が何か重いものを抱えていて、私ではそれに触れられない事を。
彼女が抱えているものを知っているのは、恐らくジークだけだ。二人の間にある強い信頼関係は、昔からの仲間というだけで成り立つものではない。羨ましいと同時に、ずるいと感じてしまう自分が少し嫌になる。
「そ、そういえば、ジークさんは今何をしてるんですか?」
ぐちゃぐちゃになりそうな気持ちを傍に追いやると、半ば強引に話題を変えた。だが、ここでジークの話を出してしまう辺り、私がリンギットのように器用に立ち回るのはまだまだ難しそうだ。
「ジークさんですか? 今は騎士団を探る為、聖騎士団長に会いに行っていますよ。昔聖騎士にスカウトされた事があって、入団を断った後も人柄を気に入られて親交が続いているみたいです」
「聖騎士団って言っても騎士団だろ? 騎士団が胡散臭いって話なのに、そんな奴に近付いて大丈夫なのか?」
リンギットが心配するのも仕方ないだろう。今や冒険者の話題の中心であるメデューサに、騎士団のトップが関与している可能性が高いと聞いている。そんな所を嗅ぎ回るのは、かなり危ない橋を渡っている様に思える。
「いや、聖騎士団も王国に属する騎士団だが、王に忠誠を誓う王国騎士団と違い、聖騎士団が忠誠を示すのは教会だ」
そう説明してくれたのは、ノーエンだった。僧侶という職業柄、聖騎士とも僅かに接点があるのだそうだ。
「聖騎士団の立場の違いはそれだけではありません。皆さんも知っているかと思いますが、今の教会の地位は完全に失墜し、世間からの信用も失っています。その影響は聖騎士団にも及び、国の重要任務には立ち入れず、街の巡回警備などに回されているのです」
そういえば、地元の村人には子供の頃から、教会はお布施と言い張って金をせびる物乞い集団だと言われて来た。
冒険者になって僧侶と交流するようになると、その偏見はかなり薄まったが、やはり教会への良くない印象は心の奥に残っている。
しかし、何故教会がそんな事を言われるのか、今も理由は知らない。過去に何かあったのだろうか。
「昔の教会は今と違ったんですか?」
私が尋ねるとソフィアは頷き、教会が信用を失った詳しい背景を教えてくれた。
「今から二十年以上前の事になりますね。当時、王には成人を間近に控えた娘が居ました。子に恵まれなかった王は、ただ一人の愛娘を溺愛していた様です。次期王となる婿選びも、かなり難航したという噂も有りました」
王様のお姫様に対する溺愛ぶりは、何となく分かる気がする。
私には歳の離れた弟が居るが、弟が産まれるまでの父は、暇さえ有れば一人娘の私にベッタリで、母がいつも呆れていた程だ。
弟が出来てからも愛情は貰っていたが、男同士の方が楽しい事も多い様で私にベッタリする事は無くなった。
当時は少し寂しさも感じたが、弟が出来たおかげで今こうして村を出て冒険者をやれているので、感謝している。
ソフィアの話を聞きながら、ふとそんな事を思い出した。
「その後、婿が決まり、婚約のお披露目の日取りが発表されてから数日後、王女が暗殺されました」
「ぶぇっ、あ、暗殺!?」
いきなりの急展開に、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。仲間達も皆、驚きを隠せていない。
二十年以上前の話だとすると、私達はまだ産まれてすらいないか、世情に疎い幼少の頃の話なので当然だろう。
「王の世継ぎが消えて都合の良い傍系の者の仕業だと考えられていますが、その辺りは教会の話は無関係なので省きます。とにかく最愛の娘を失ってはならないと、王はすぐに最も名の有る高僧を呼び出し、蘇生を試みました。……結果は、今この時代に王女が存在していない事から分かる通りです」
ソフィアは、何処か遠くを見るような表情で寂しそうに言った。
お姫様は彼女の友人だったのだろうか。
それとも、他の誰かの死と重ねているのだろうか。
彼女の過去がぼんやりと見えているのに、その正体が分からず、私はまた何も言えないままでいる。
「王女を完全に失った王は酷く取り乱し、その責任の所在を高僧に押し付けました。最高位の高僧は処刑され、更にはこの一件が民衆にも広まると、あっという間に教会の信用は失われ、その地位は失墜したのです。各地の教会は運営もままならなくなり、ほとんどの僧侶は医師や冒険者に転身しました」
「はぁ、教会に属さない僧侶が当たり前の今では考えられん時代があったんですなぁ」
僧侶の辿った過去に、他人事ではないノーエンは驚いたようにそう零した。
「まあ、そんな歴史を経ているので王国と聖騎士団は立場的にかなり距離が有り、王国騎士団を探るジークさんが頼る先にはもってこいという訳です。皮肉な話ですね」
冗談めかしく話を締めたソフィアは、茶目っ気混じりに笑っていた。途中に見せた憂色は、上手く誤魔化されてしまったようだ。
「そういえば、何であんたはそんなに教会の事情に詳しいんだ?」
「ああ、それは私もその頃僧侶だったからですよ」
「へー、それは意外。ずっとビショップなのかと思ってたけど、転職してたのか」
「ふふ、実はそうなのです」
あっさりと知る事が出来たソフィアの過去に、知れて嬉しい気持ちと、リンギットが簡単に聞き出してしまった事へのモヤモヤした気持ちで、また気分が落ち着かなくなってしまった。
(私だけしか知らないソフィアさんの秘密が知りたいなぁ……)
無意識に脳裏に過ぎった気持ちに、冷や汗が流れた。私は一体何て事を考えているのだろうか。
結局、気持ちが晴れぬまま解散となり、モヤモヤを抱えたまま宿屋へ戻り床に就いた。
それから二日間、皆で黙々とひたすらに本探しを続けた。
最終的に集まったメデューサ対策に役立ちそうな本は、十三冊だった。
「皆さん、お疲れ様でした。これらの本に記された情報は、明日から私が整理して行きます。今日はちょっと豪勢に打ち上げ会としましょう。ああ、その前に報酬をお渡ししておきますね」
私はパーティのリーダーとして大金が詰まった袋を受け取ると、そのまま皆で酒場へ移動した。
ソフィアの定位置であるいつものテーブルに、今日は既に山盛りのオードブルと人数分の飲み物が用意されていた。豪勢に、とはこういう意味だったのか。
「うわぁ、すっご」
クロエは食べきれない程の肉料理を前にし、目をまん丸にして釘付けになっている。珍しい表情で、可愛い。
そのまま席に着くと、用意されていた飲み物で乾杯して一口流し込んだ。
「んっ!? こ、これお酒っ……」
「あら、私の方がお茶ですね。お酒と色が似ているので気付きませんでした。口を付けてしまった後で申し訳ありませんが、こちらどうぞ。私はフィロさんのを貰いますね」
そう言うと、ソフィアはグラスを入れ替えた。
目の前には彼女が口を付けたグラスがある。
それを意識しているせいか、酒を一口飲んでしまったせいか、動悸が激しくなって来た。耳の奥で心音が響いているのがはっきりと聞こえる。
乾杯したばかりで調子が悪いとも言えず、出来るだけ無心で皆の会話を聞く事に徹した。
最初は本の話題、教会の話題で盛り上がっていたが、話が一段落すると、リンギットが一つ疑問をぶつけた。
「そう言えば、あの部屋の本は全部あんたのだろう? なら、ある程度はどこにどんな本が置いてあって、何が書いてあるか知っていたんじゃないか? 何で手伝いなんて頼んだんだ?」
「……あの本は、ほとんどが譲り受けた物なんです。少しずつ読み進めてはいるのですが、まだまだ内容を知らない本が多いんですよ」
そう教えてくれた彼女の表情は、悲しそうに笑っていた。
……ああ、またあの顔だ。
本を譲った元の持ち主は誰なのだろか。
どんな関係で、何があったらそんなに悲しそうな表情になるのだろうか。
勝手に色々と想像してしまうが、結局どうしたらいいのか分からない。分からないから何も出来ない。
だが、そこでふと思い出した。
つい最近も、似たような事で悩んだばかりではないか。
そう、相手の事が分からないから不安になるのだ。ならば知る事に二の足を踏んではいけない。
前に進んだからこそ私は今、冒険者の皆と信頼関係を築き、仲良くなれたのだ。
つまり、同じ方法で解決出来る!
成功体験によるものか、酒の影響か、何だか急に無敵になった気分である。暗い気持ちから一転、何でも出来る気がして楽しくなって来た。
そうだ、時間はどれだけ掛かっても良い。もっとソフィアと信頼関係を築けば良いだけなのだ。
その為にもまずは、私のありのままの気持ちを知って貰おう。そう考えて私は席を立った。
私の記憶が残っているのは、そこまでだった。
翌朝、私は見知らぬ部屋で目が覚めた。
* * *
自分の寝室に他人が居るというのは、どうにも落ち着かない。それが、好意を向ける相手なら尚更である。
昨夜、夕食を共にしていたフィロが誤って苦手な酒を飲んでしまい、酔いが回って眠ってしまった。
何とか起こそうとしたものの、起きる気配の無い彼女を介抱する為、私は彼女を自分の寝室へ運んだ。彼女達が拠点にしている宿屋は酒場から結構な距離にある為、その方が良いと判断したからだ。
酒に弱いとは聞いていたが、まさか一口飲んだだけであの様になるとは想定外であった。
ひと仕事を終えて夕食の乾杯をした際に、フィロが誤って飲酒をしてしまった。事前に伝えていた配置と給仕が間違えていたようだ。
すぐに飲み物を交換したしお茶も飲ませたので、その場は特に問題無さそうに見えた。
その後、しばらくは食事を楽しんでいたが、話が盛り上がって来た頃にフィロが突然立ち上がり、神妙な面持ちで私の元へやって来た。
皆が何事かと様子を伺っていると、彼女は唐突に私を抱き寄せて、凛々しい表情で「私は貴女の支えになりたい」と囁いて来た。
珍しい雰囲気のフィロに仲間達は吹き出して笑っていたが、私は内心いつもとギャップのある姿に心拍数が上がってしまった。
彼女は更に私のグラスの酒を手に取ると、静止する間もなく一気に飲み干してしまった。
急な飲酒による身体への負担に対する心配と、この上更に何を仕出かすのか分からない不安と好奇心が入り混じり、ただただ様子を見守る事しか出来なかった。
だが、この時睡眠の魔法を使ってでも止めておくべきだったかも知れない。
フィロは徐ろに私の前で片膝をついて跪くと、私の手を取ってその甲に口付けをして来た。あまりの大胆さに言葉を失っていると、更に彼女は酒場中に響き渡る程の声で高らかに宣言した。
「親愛なるソフィア姫っ! 私は生涯貴女に忠誠を誓いますっ!」
その後、酒場は当然の如くお祭り騒ぎだった。
たった今誕生した姫と騎士を囃し立てる声に、流石の私も恥ずかしさで顔から火が出そうであった。
しかも、忠誠を誓った当の本人は先程ので満足したらしく、糸が切れたように私の腕の中で眠ってしまった。幸せそうな可愛い寝顔だが、これではまるで彼女の方がお姫様のようだ。
結局、仲間達にフィロを預かる事を伝え、食後に皆は宿屋へ帰した。
帰り際に心配そうにこちらを見ていたのは、余程大切な仲間だからなのであろう。
少し羨ましく感じるのは、ここ数日で昔話を沢山したからかも知れない。
そんな調子で思い出すだけでも心臓に悪い事が色々と有りすぎて、何か作業をしようにも気も漫ろになってしまう。
仕方がないのでもう寝てしまおうとソファに横になってみたものの、興奮状態のせいか目が冴えて全く寝付けなかった。
結局、集中出来なくてもメデューサへの対抗手段を講じる事にして、本を一冊手に取った。
メデューサとの戦いにおける有名な戦法として、鏡越しに戦う方法がある。要は目を直視しなければ良いからだ。
しかし、実戦で鏡を片手に持ったまま、しかも敵に背を向けて鏡写しの像を見ながら戦うなど自殺行為でしかない。
「もしかして、鏡数枚を上手く配置して眼鏡のような形にすれば……。あら、良い感じ」
メデューサ戦を想定した道具案が一つ浮かんだので、紙に簡単な設計図を書き留めておく。後で工房へ依頼して試作して貰う事にしよう。
その後、古代の遺産について纏められた本の中から、とある杖が載っていないか探してみた。
しかし、残念ながら一冊目は空振りだった。遺産に関する本はもう一冊有るが、昔読んだ本はこちらだっただろうか。
そう考えて新しい本に手を付けようとしたところで、ベッドの上で寝ているフィロがもぞもぞと動く様子が視界に入った。そろそろお目覚めの時間のようだ。
読み物に集中している間に夜が明けていたらしく、カーテンの隙間からは光が差し込んでいた。
私は読書の手を止めると台所へ向かい、お茶の準備を始めた。
ついでにパンとスープくらいは用意しようと、鍋に水を入れて沸騰させる。粉末ダシを加えて野菜代わりに数種類の薬草を投入したら完成である。
軽く味見をしていると、寝室から可愛らしい声が聞こえて来た。
「え、ここ、何処……?」
どうやら見知らぬ部屋のベッドで目が覚めて困惑しているようだ。すぐに安心させてあげようと、手早く朝食を整えて寝室へ運ぶ。
「おはようございます、フィロさん。体調の方はいかがかしら?」
「ソ、ソフィアさん!? どうしてここに!?」
「どうしてって、ここは私の寝室ですもの」
「寝室!? ソフィアさんの!?」
安心させるつもりが、却って混乱させてしまったらしい。
私は食卓を整えながら、昨夜の出来事を簡潔に説明してあげた。一応、騎士のくだりは伏せておき、ただ酔って寝てしまっただけだと伝えておいた。どうせ後で知る事ではあるが、今は落ち着いて貰う事が優先である。
それでも、説明を終えるとフィロは恥ずかしそうに赤面してしまった。
「うぅ、とんだ粗相をしてしまいすいません。それに朝食まで用意して頂いて」
「気にしないで。さあ、冷めないうちに食べちゃいましょう」
「は、はい、頂きます」
私がスープを一口飲むと、フィロもそれに続いた。そのまますぐにもう一口飲んだのを見るに、口には合ったようだ。
ゆったりとした時間が流れ、食事の音だけが聞こえる心地良い静けさに、心まで満たされて行く。この様な朝を過ごすのは、いつ振りだろうか。
少しは緊張が解けたのか、フィロの食事のペースが上がっている。そう言えば、昨夜も碌に食事を取っていなかったように思われる。この量では物足りないだろうか。
「パンもスープもまだ有るので、遠慮せずお代わりして下さいね」
私が促すと、フィロは気恥ずかしそうにしながらもお代わりを食べてくれた。
朝食を済ませ食器を片付けると、二人分のカップにお茶を注ぎ、一つをフィロへ差し出した。
「この後は宿屋に戻りますか?」
お茶を一服しながら今日の予定を尋ねると、フィロは少し悩んだ後、遠慮気味に言った。
「あの、お邪魔でなければソフィアさんのお仕事を手伝わせて欲しいです」
少し俯いている為、いつぞや見せた上目遣いのおねだりのようでとんでもない可愛さだ。正直な所、手伝いが必要な作業は無いのだが、そんなお願いをされたら許可する以外の選択肢は無いだろう。
「構いませんよ。ただ、一旦はお仲間の皆さんの元へ戻りましょう。昨日、とても心配されていたので」
「はい、そうします」
予定が決まったので一度彼女を酒場の前まで見送り、そのまま部屋へ戻る。
それから、徹夜で纏めた書類と未読の本を持って図書室の方へ運ぼうとしたが、寝室から出せない本が有る事に気付き足を止めた。
その本は有り体に言えば禁書に属し、所持している事が明るみに出た時点で焚書処分、おまけに持ち主は牢獄送りである。
扱いに困り様々な防衛機能を施した寝室の隠し書棚に保管している本で、この様な緊急時でもなければ読むのも躊躇するレベルの代物だ。
しかし、この本から今回の事件に関する非常に重要な情報が得られると踏んでおり、一人で調べていた。だが、フィロが一緒では読めない。
いや、この本は古い魔術に関する本だ。ならば、戦士のフィロがこの情報を得たとしても問題は無いだろう。それに彼女ならばきちんと説明して口止めしておけば、絶対に守ってくれるはずだ。
酔った勢いだったとはいえ、昨夜の騎士の誓いを行った時の彼女の真っ直ぐな目を見る限り、あれは本心に違い無い。それが分かるからこそ思い出すと恥ずかしくなるのだが、彼女は信頼して大丈夫だ。
結局、二人でこの寝室で作業をする事に決めた。フィロは信頼出来るから良いが、禁書は万に一つも他の者の目に触れさせる訳にはいかないからである。
しばらくすると来客を知らせるベルが鳴り、私はフィロを出迎えた。そして、そのまま寝室へ伴うと、早速調べ物の手伝いをお願いした。
「フィロさんには、この古代の遺産が纏められた本の中から『全能者の杖』という杖を探して欲しいのです」
「分かりました!」
フィロは、笑顔で引き受けてくれた。彼女が一緒だと、楽しく作業が進められそうだ。
杖の情報を探して貰っている間に、他に必要になる書物を取りに図書室へ向かった。欲しい物は年鑑付きの歴史書だが、これは今でも定期的に加筆され販売されいる普通の本である。以前にも読んだ事が有るので、すぐに見つかった。
寝室に戻るとフィロは本に集中していたので、お茶だけ用意して私も本を開いた。古い魔法について詳細に纏められている禁書である。
そもそも神話生物であるはずのメデューサが何処から現れたのかを考えた時、真っ先に思い付く魔法が有る。魔物を呼び出し使役する『召喚』魔法だ。
昔はありふれた便利な魔法だったのだが、百年程前に少人数の召喚術師が引き起こした革命未遂事件により、禁術指定された経緯がある。
さて、肝心の召喚可能な魔物についてだが、禁術指定を受ける頃にはそもそも中型以下の魔物の召喚術しか残っていなかったようだ。
それが神話時代まで遡ると、神話生物どころか天使や悪魔、果ては神すらも呼び出せたらしい。
もっとも、神など呼んでも碌な事にはならないだろう。あれは、そういう存在だ。
神などという余計な情報は飛ばしてページをめくって行くと、案の定やはりメデューサの召喚魔法を見つけた。王国歴の前期から中期頃までは存在していた召喚術のようだ。
頭の中で点と点が繋がって行く。フィロに調べて貰っている情報が予想通りなら、黒幕の正体が確定したと言って良いだろう。
召喚以外にも調べておきたい魔法が有るので、引き続き読み進めて行く。
私とフィロがページをめくる音だけが聞こえる部屋は心地が良く、徹夜明けなのもあり少し眠気を誘われてしまいそうだ。
いよいよ瞼が重くなって来た頃、フィロの声が室内に響いた。
「あった! 見つけました、ソフィアさん!」
どうやら目的の情報を見つけてくれたようだ。ついでに、元気な声のおかげで眠気が吹き飛んで行った。
フィロが嬉しそうに差し出して来た本のページを覗き込むと、そこには探していた杖の説明が挿絵付きで書かれていた。
「ところでこの杖、いったい何なんですか? 『全能者の杖』なんて大袈裟な名前が付いてますけど」
「これはかつて、私達が求め、王が求め、最終的にジークさん達が持ち帰り王に献上した遺産です。その名が示す通り、全ての魔法が使える全能者になれるという規格外の代物なのですよ」
そう、この杖は仰々しい名前に恥じぬ程に危険な遺産なのである。
しかし、私の説明にフィロは首を傾げて何とも腑に落ちない表情を浮かべている。
「全ての魔法ですか。凄いと言えば凄いですけど、全部の魔法を覚えてる冒険者なら何人か知っているので、正直なところあまり凄さがピンと来ないですね」
なるほど、どうやら認識が前提から食い違っているようだ。考えてみれば当然だろう。若い戦士の彼女に、魔法を学ぶ機会などほとんど無かったはずだ。
元々ここで禁術について触れるつもりでいたので、一緒に教えれば良いだろう。だが、こればかりはまずは本人の意思を確認しておく必要が有る。
「フィロさん。これから話す事は、知ってしまうだけで法に触れ、最悪の場合は処刑されかねない内容になります。この場での私達だけの秘密とし、共犯者になる覚悟は有りますか?」
「私達だけの、秘密? それは、ジークさんも知らない事なんですか?」
「勿論です」
それだけ危険な秘密を抱えるという事であるので、逃げ道を作る意味で少し脅し気味に意思確認を行なった。無理そうならば、このまま仲間の元へ帰してあげれば良い。
しかし、フィロの反応は予想に反して何故か喜色満面の表情を浮かべていた。
「任せて下さい、共犯者上等です! 二人だけの秘密、嬉し……じゃなくて、絶対に守ります!」
彼女の勢いに、私の方がたじろいでしまいそうになる。
だが、本音を言えば秘密を一人で抱えるのは少し心細かったので、共犯者になってくれたのはとても嬉しかった。もしかしたら彼女は、私の心を守ってくれる本物の騎士なのかも知れない。
ともあれ彼女の意思は確認出来たので、私は遺産の杖の秘密を話す事に決めた。
「まず、フィロさんにこの杖の情報を探して頂いたのは、ここを確認したかったからです」
「えっと、作られ時代?」
この杖の能力は以前にも読んで知っていた。しかし、当時未熟だった私は効果をにばかり目が行ってしまい、一見あまり重要そうでない時代の表記を見落としてしまっていた。
「そう、時代です。『全能者の杖』は全ての魔法が使える杖ですが、それは現存している、魔法使い、僧侶、錬金術師の魔法が全て使えるという意味ではありません。この杖が作られた時代の全ての魔法、という意味なのです。こちらの歴史書の年鑑に記されている通り、歴史の中で禁術指定され失伝して行った魔法は幾つも有ります」
現代から杖が作られた時代までを指で追いながら、禁術指定の項を一つずつ確認して行く。
「近年禁止された召喚魔法、そこから更に時代を遡って行くと、精神魔法、死霊術、そして次元魔法などという特別危険なものまで有りますね。つまりあの杖は、現存する魔法に加えてこれだけの魔法を使える代物という事なのです」
「超危険物じゃないですか!?」
フィロにもようやくこの杖の危険性が伝わったようだ。
しかし、本当に重要なのはここからである。
「これはあくまで事前に知っておいて欲しかったというだけで、共犯になるのはこれを見てからですよ。さて、ここにある本には現在では知識を得る事さえ許されない禁術、つまり古い魔法の数々が記録されています。これを調べれば、『全能者の杖』の使用者に何が出来るか分かるという訳です。……例えば、メデューサの召喚術、などですね」
「ちょ、ちょっと待って下さい。その杖って王様に献上されたんですよね? じゃあメデューサが現れたのってもしかして……」
「ほぼ間違い無く、王によるものでしょう。ですが事ここに至って、メデューサの出現は問題の一端でしかありません。一番の問題は、この危険な杖が使われてしまっているという事実なのですよ」
神話生物の召喚術は既に失伝している。かなりの希少品であるこの禁書ですら、魔法の名称や効果は書かれていても呪文は記されていない。
つまり、メデューサの召喚には間違い無く『全能者の杖』が使われている。
「ても、王様は最初から使うつもりでこの杖を探すお触れを出したんですよね。それを承知で献上したんじゃないんですか?」
そんな訳は無い。報酬に目が眩んだ冒険者ならばともかく、私やジークが遺産を利用される事を前提に探索し、献上する選択は絶対にしない。
「いえ、王の名の下に責任を持って処分するという約束だったんですよ。王の言葉ですからね、疑わしくとも信じるしかありません。その結果として、魔物を使役し冒険者を襲う狂王を生み出してしまいましたが」
正直、王に何の目的があって冒険者をメデューサに襲わせているのかは分からない。思い当たるのは亡き王女に関する事だが、冒険者には無関係の出来事だ。
目的は分からないが、こうなっては最早、王を討ち取って杖を奪い後世に残さぬよう破壊するしか無い。
神話生物の怪物メデューサを倒し、確実に片棒を担いでいる王国騎士団長を倒し、遺産の力を振るう王を倒す。ただでさえ厄介な相手ばかりなのに、その後の政まで考えなければならないのだから、ジークの言う通り問題は山積みである。
「まあ、城内の方はジークさんに任せて、私達は引き続きメデューサ対策から考える事にしましょう。それと、『全能者の杖』についても何が出来るかを詳細に調べ、対策を考えなくてはいけませんね。考える事は山積みですが、引き続きお手伝いお願いしますね、フィロさん」
「はい、もちろんです!」
頭痛の種ばかりだが、フィロが側に居るだけで幾らでも頑張れそうだ。
先程考え付いたメデューサ対策の道具の設計図をフィロに渡し、元気良く工房へお使いに向かう可愛らしい背中を見送りながら、しみじみとそう感じた。