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悔恨【リアム視点】

――――私は生かされてしまった。


 彼女の少しおどけた笑い声も、心を掴まれる真剣な眼差しも、真っ赤に頬を染め恥ずかしそうに睨む初々しい表情も、そして私を見つけた時の煌めくような笑顔も……


 青白く輝き横たわる彼女を見つめ思う。

 もうアイシャは戻って来ないのかもしれないと。


 私を助けたりしなければ……


 ベッドの縁に腰掛け、眠り続ける彼女の頬を撫でる。


 温かい……


 こうして、日に何度も彼女に触れ、生きていると確かめねば、安心出来ない。


 それほどまでに、横たわる彼女は儚い。


 アイシャを失ったあの日から、リアムの世界は灰色のままだ。


 グレイスに脇腹を刺されたリアムは、確かに死にゆく存在だった。痛みはなく、ただただ体から力が抜け、意識を保つ事も出来ず、漠然と死ぬのだと感じていた。


 アイシャを守れたならそれでいい。

 彼女に何も伝えられず死ぬのだけが心残りだった。


 アイシャだけを愛していると……


 最期の言葉を伝える気力もなく、リアムの世界は暗転した。


 真っ白な世界の中、優しい声に導かれ、目を凝らせば、青白く輝く光がはるか遠くに見える。そして、その光に手を伸ばした瞬間、リアムは私室のベッドの天井を見上げていた。


 何が起こったのか、直ぐには理解出来なかった。己の身体に視線を巡らせ、違和感に気づく。


 刺されたはずの傷痕は跡形もなく消え去り、痛みすら感じない。


 今までの事が全て嘘だったのではと思える状況に、ベッドの上で呆然としていたリアムだったが、メイドが花瓶を落とす音で我に返った。そして、しばらく経つと、父と母が部屋に駆け込んできた。


 私は生きているのか?


 ベッドの縁で泣き崩れた母と安堵のため息を吐いた父の様子に、自分が本当に生きているという実感が湧く。それと同時に感じる嫌な胸騒ぎ。


「アイシャは!? アイシャは、生きているのですか?」


 リアムの剣幕に息を飲んだ母と父の沈痛な面持ちに、嫌な予感が的中した事を悟った。


「アイシャ嬢は生きている。しかし、仮死状態なのだ。あとどれくらい保つかわからない。今、リンベル伯爵家にいる」


 リアムは家族の静止を振り切り飛び出すと、馬を必死に走らせ、リンベル伯爵家の門扉を抜け、エントランスへと駆け込んだ。


 リアムの(ただ)ならぬ様子に、応対した使用人が慌ててリンベル伯爵夫人へと取り継ぎ、すぐに焦燥した夫人がエントランスへと現れる。その様子を見たリアムは嫌な予感が的中したことを悟った。


 夫人の案内で、アイシャの私室へと通されたリアムは、ベッドに横たわるアイシャを遠目に見て愕然とする。


「まさか……、そんな…………」


 駆け出したリアムは縋るようにベッドの縁へと膝をつくと、横たわるアイシャの頬を撫でる。


(温かい……)


 ベッドに横たわるアイシャは青白い光に包まれ、瞳を閉じている。頬はほんのりと赤みが差し、唇も美しい紅を保っていた。


(眠っているのか?)


 規則正しく上下する胸元が、アイシャが生きている事をリアムに伝えていた。しかし、次に続いた夫人の言葉がリアムを絶望の淵へと突き落とした。


「あの日からアイシャは目を覚ましません。あの娘は、自分の力の全てを使い、貴方を助ける選択をした。自分の命よりも、リアム様の命が何よりも大切だったのでしょう。リアム様、貴方にその意味がわかりますか? 私達、家族は誰も貴方を恨みません。どうか、あの娘が救った命、大切にしてください」


 アイシャは、自分の命と引き換えに私の命を救った。


 そんな…そんな…そんな………………


 いつまでも笑っていて欲しかった。

 私の側でなくてもいい。

 誰の隣にいようとも、彼女が幸せならそれでよかった。


 生きていても、人形のように何の感情も示さない彼女を見つめ思う。


 アイシャのいない世界になんの意味があるというのだ。


 ひとり残された部屋で、眠り続けるアイシャの手を握り呟く。


「君のいない世界なんて何の意味もない。――――頼む。目を覚ましてくれ……」


 後から後から涙があふれ、握ったアイシャの手に雫が落ちていく。




 アイシャを失ってから数週間、執務にも身が入らなくなったリアムは、私室に篭り自暴自棄な生活を送っていた。酒に溺れ、怒り狂い暴れ、私室は荒れ果てた。そんな自堕落な生活に、リアムを訪ねてくる者もいない。


 それで、良い。アイシャを失った世界に、なんの意味もない。


 そんな自暴自棄な生活を送っていたある日、突然キースがリアムを訪ね、ウェスト侯爵家へやって来た。


「とうとう、腑抜けになったか」


「キース……」


 私室にズカズカと入って来たキースに、胸倉を掴まれ、殴り飛ばされる。床に背中を打ちつけた衝撃か、口の中が切れ、鉄錆(てつさび)の味が口内へと広がる。


「リアム! お前を殴っても殴っても、足りないくらい憎い。アイシャの心を奪い、グレイスを陥れるため、彼女を危険にさらした。それだけではない。死にかけたお前を助けるため、力を使った代償でアイシャは深い眠りについてしまった。なのに、当のお前は助けられた命を顧みず、自堕落な生活に落ちた。今のお前の状況を見たら、アイシャも幻滅するだろうなぁ。こんな男の命なんて助けなければ良かったと」


「あぁ。私の命なんて助けなければ良かったんだ」


「だが、アイシャが最期に望んだのは、お前が生きる事だった」


「最期の彼女の言葉だ」


 一枚の青い便箋をキースから手渡されたリアムは、手紙に視線を落とす。


『キース様、婚約を前に勝手をするアイシャをお許しください。貴方様が、この手紙を読む頃には、わたくしは、この世にいないかもしれません。自身の運命に逆えず命を落とすとわかっていても、愛する人を助けたいのです。キース様、今まで本当にありがとうございました。貴方様がいたからこそ、私は傷ついた心を癒すことが出来ました。貴方様と一緒なら幸せな未来が築けると思い、本気で結婚を考えていたのも事実です。しかし、私の心の片隅には、ずっとリアム様がいました。リアム様がこの世から消えてしまうと考えた時、彼を見捨てる選択だけは、出来ませんでした。勝手をするアイシャをお許しください』


 アイシャの手紙を読み進めるリアムの瞳から涙があふれ、手が震え出す。


「あの日、お前を助けに向かったアイシャは、自分の死を覚悟して俺に最期の手紙を遺してくれた。その手紙がアイシャの本当の気持ちだ。結局、アイシャが最期に選んだのはリアムお前だった。彼女はまだ死んでいない。彼女がこの世に戻って来るかどうかは、リアムお前の行動にかかっている。悔しいが、俺が側にいたのでは駄目なんだ。アイシャの側にいてやってくれ」


 それだけを言い残したキースが、リアムに背を向け立ち去る。


――――アイシャは、私との未来を選ぼうとしていた。散々傷つけ泣かせてきた私を許し、手を取ろうとしてくれていた。


 アイシャはまだ生きている。彼女との未来は潰えていない。


 ある決意の元、私室を飛び出したリアムは、リンベル伯爵家へと馬を走らせる。


『出来うる限り、アイシャの側にいよう』と、心に誓いながら。


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