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短気は損気

『――――バシンっ!!』


 クレア王女の突然の暴挙に王妃様の叫び声があがり、叩かれた頬がジンジンと痛む。


 ここで、クレア王女の挑発に乗れば、自分もまた、目の前の彼女と同レベルになってしまう。その思いだけで、アイシャは痛みにジッと耐える。


「クレア何てことをするの!! アイシャに謝りなさい!」


「お母さまは黙ってて!! これはわたくしとこの性悪女との問題よ! ノアお兄様を(たぶら)かしたのは貴方ね。どんな女にも(なび)かなかったお兄さまが、令嬢を王城に呼んだと聞いたから心配で来てみたら、今度はお母様までたらしこもうって魂胆ね!! 何が目的よ。貴方なんかにわたくしの大事なお兄様は渡さないんだから!」


(なんだこのブラコン王女は?)


 アイシャの脳内で昼のメロドラマのワンシーンが流れる。


『この泥棒猫がぁぁぁ!!!!』


(さしずめ私は大切な夫を奪った浮気相手というところかしらねぇ)


 目の前で散々に罵倒されるが、クレア王女がヒートアップすればする程、アイシャの脳内は静かに冷めていく。


「黙ってないで何か言ったらどうなのよ!」


 周りの状況を見る余裕も出てきたアイシャの目には、周りで控える困惑顔の侍女や、この場を収めようとクレア王女を諌める王妃さまの姿が写る。


(挨拶なんてしなくていいわよね)


「話も長くなりそうですし、お掛けになったらいかがですか?」


 虚をつかれたクレア王女が、ドカッと乱暴にアイシャの前の席へと座る。緊迫する空気の中、勇気ある侍女がお茶を入れたカップをテーブルの前に置く。それを、クレア王女が口をつけた時だった。


『バシャッ!』


「――――きゃぁぁ!!」


「こんなマズイお茶、飲めるわけないじゃない!!!!」


 あろう事か、クレア王女がその侍女に向け、お茶の入ったカップを叩きつけたのだ。


『パッリーン!! プッチン……』


 地面へと落ちたカップが割れる音と同調するかのように、アイシャの脳内で堪忍袋の緒がプッツン切れる音がした。


 スクッと立ち上がったアイシャは紅茶が並々と注がれたカップを手に持ちクレア王女に近づくと、王女の頭上でそのカップをひっくり返した。


「きゃぁぁぁぁっ!」


「紅茶をかけられたご気分はいかがですか? これで少しは侍女の気持ちも分かったのではありませんか?」


「何すんのよぉ!!!!」


 憤怒の表情のクレア王女が立ち上がりアイシャに掴みかかろうと手を伸ばす。それを寸前のところでかわしたアイシャは、間髪入れず王女の頬を打つ。


 その場へと崩折れたクレア王女を見下ろし、アイシャは静かに言葉を紡ぐ。


「上に立つ者の行動には、それ相応の責任が伴います。貴方さまの一挙手一投足で、下位の者の人生まで変えてしまうことを知らないわけではありませんよね? クレア王女殿下、貴方がお茶を浴びせた侍女の今後がどうなるか考えた事がありますか?」


 地面へと膝をつき、押し黙ったクレア王女を見下ろし、アイシャは前世の記憶を呼び起こす。


 前世、勤めていた会社は従業員のほとんどが男性という男社会を絵に書いたような商社だった。その中でひとり、同期で一緒になった女性がいた。彼女とは、女同士すぐに気が合い、いつの間にか親友と呼べるまでの仲になっていた。仕事も卒なくこなし、大きな仕事も取ってくる彼女はとても優秀で、男女関係なく慕われていた。


 彼女は自慢の親友だった。


 しかしある時、任されていた大きなプロジェクトが失敗した。もちろん彼女の責任ではない。


 情勢を読み間違えた上司が全ての責任を彼女に押し付け、部下の前で罵倒した。中堅企業では、彼女の悪評はあっという間に広がり、居ずらくなった彼女は逃げるように会社を辞めていった。


 何も出来なかった。いいや、私は何もしなかったのだ。


 彼女にとっての私は、他の同僚と同じ敵でしかなかったのだろう。


 あの時、行動を起こしていたら、彼女の人生は違うものになっていたかもしれない。そう後悔したところで、彼女はもういない。


 だからこそ、今世では間違わない。


「ここに集まる使用人の方々が愚か者ではないことを願いますが、人という存在は、時として残酷な生き物です。たった一度、高位の者の反感をかっただけで、昨日まで親しくしていた者達が、次の日には敵に回るなんて珍しい事ではありません。その者達に爪弾きにされ人生を狂わされた者達の事を考えたことはありますか?」


「………」


(もう、なにを言ってもダメね)


 崩折れたまま動かないクレア王女を一瞥(いちべつ)し、王妃様に向き直る。


「王妃様、見苦しいところをお見せしました。心より、謝罪申し上げます。

――――では、これにて御前失礼致します」


 アイシャはカーテシーをとり、辞去の挨拶を終えると急ぎその場を後にした。





(やってしまった。やってしまった……)


 アイシャは王城の門扉を目指し、城内の廊下を全速力で歩く。心臓が煩いくらいにバクバクと音を立てている。


 冷静になり考えれば、とんでもない事をしでかしたとわかる。堪忍袋の緒が切れたとはいえ、クレア王女殿下の頭から紅茶を浴びせ、しかも平手打ちまでしてしまった。あれは、やり過ぎた。


(私、死んだな…………)


 クレア王女殿下に不敬罪で訴えられたら極刑は免れない。万が一、情状酌量の余地があったとしても、お家取り潰しは免れないだろう。


(お父さま、お母さま、ついでにダニエルお兄さま。親不孝なアイシャをお許しください。あぁ、七年間という短い人生だった)


『今度生まれ変わる時は、スマホもBL本もある現代日本でお願いします』と、頭の中で必死に神へと手を合わせていたアイシャは、周りを確認せず歩き回っていた。


「――――ここ、どこ!?」


 非常にマズイことに、アイシャは王城内で迷子になってしまった。


(この一大事に、どうして迷子になるよぉぉ! 一刻も早くリンベル伯爵家に戻って、両親に今日の出来事を伝え、今後の対策を練らないと手遅れになるのに!!)


 とにかく外に出られればいい。その一心で、アイシャは手当たり次第に扉を開けながら進む。その結果、きちんと前を見て歩いていなかった。


「きゃっ!!」


「うわっ! あっぶね」


 廊下の曲がり角でぶつかった反動で、アイシャは尻もちをつく。


「痛ったぁぁ……」


「お前、ここで何してんだ?」


 不遜な声に思わず見上げるとアイシャの天敵、赤髪の奴が目の前にいるではないか。


「痛いわねぇ、前向いて歩きなさいよ!」


「それはこっちの台詞だ! それより、何でお前が王城にいるんだ? ここはお子さまが来るところじゃないだろう」


(いちいちカンに触る奴ねぇ。十歳のお子さまに『お子さま』呼ばわりされたくないわよ! こちとら二十九歳+七歳よ)


「わたくしはノア王太子殿下のお茶会に呼ばれて来ましたの」


「へぇ、ノア王太子殿下のお茶会ねぇ……」


 胡乱な視線をアイシャへと投げる赤髪に、負けじと言い募る。


「なによ。文句でもあるの!?」


「別に――――、で、何でお前はノア王太子殿下のお茶会に来たはずなのに、重要機密飛び交う王城の中枢にいるんだろうなぁ~?」


「……はっ??」


(重要機密飛び交う王城の中枢? そこって……、部外者が居たんじゃマズくないか?)


 アイシャの背を冷や汗が流れる。


(不敬罪で捕まるのと不審者で捕まるのどっちがマシだろうか……)


 背に腹は変えられない。昨日の敵は今日の友と言うしな!


 アイシャは立ち上がると赤髪の腕を掴み、奴の胸へと飛び込んでみた。


「えっ……」


 ビクッと身体を強張らせた赤髪の反応は無視し、ここぞとばかりに伝家の宝刀ウルウル涙目&上目遣い攻撃を仕掛ける。


「リアム様、わたくし追われておりますの。どうかお願いです。わたくしを王城の外へ逃してください」


「………」


 見上げた先のリアムは、まだ固まっている。


(ちっ! 正気に戻れ!!)


 リアムが固まっている間も、遠くの方からはアイシャを探す複数の声が近づいて来る。


(マズいぃぃぃぃぃ!!!! なんで、追ってくるのよぉぉぉ)


「リアム様、早く! 捕まってしまいますわ!!」


 やっと正気に戻ったリアムの手を引き、アイシャは走りだす。


「お前、本当に追われているのか!? 何やらかしたんだよ」


「はは、ははは……、聞かないほうがいいわよ」


 アイシャの口からは、渇いた笑いしか出てこない。


 いつの間にかアイシャを追い越し、リアムが彼女の手を引き走る。


 あっという間に門扉に到着したアイシャは、外に止めてあったリンベル伯爵家の馬車に乗り、急ぎ出立するように御者に伝える。


 ゆっくりと動き出した馬車の窓から顔を出し叫ぶ。


「リアム様、助けて頂きありがとうございました。このお礼は必ず致しますわ!」


 アイシャは、門扉の前に佇むリアムが見えなくなるまで手を振り続けた。




 そして、その日の夜。


 王城での大事件を知った両親の雷がアイシャへと落ちた。しかし、不思議なことに王城からお咎めの勅令が言い渡されることは、その日以降もなかった。


 どうやらアイシャの人生は、この先も続いて行くことになりそうだ。


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