ドンファン伯爵の誤算
「マズい事になった。まさか、リアムが裏切るとは……」
煌びやかなシャンデリア輝く執務室に設られた、これまた豪華なお気に入りの椅子に座ることもせず、ドンファン伯爵は、右に左にウロウロと落ち着きなく動き回る。
『白き魔女』であるグレイスをリアムが切り捨てるとは思わなかった。いいや、始めからあの男はグレイスの白き魔女としての真価を疑っていたのかもしれない。格上のウェスト侯爵家から打診された婚約話。上流階級の仲間入りが出来ると思い、この婚約話の裏を探る事を怠ったばかりに、最悪の事態を招いてしまった。
ウェスト侯爵家に、裏切られるとは……
ドンファン伯爵の腹わたが煮えくりかえり、怒りで頭が沸騰する。
(私の知らぬ間に、裏界隈の子飼いと接触していたとは……、リアムめ!!)
最悪なことに、闇賭博の裏帳簿や奴隷売買の取り引き書やら、今まで指示してきた悪事の内容を記した書類まで、全てウェスト侯爵家に渡ってしまった。しかも、弱味を握り、悪事に加担させて来た貴族家と交わした誓約書まで奪われたとあれば、ドンファン伯爵家は破滅する。
ドンファン伯爵家に尻尾をふっていた貴族家が手を引く分には痛手は少ないが、今まで良いように操ってきた貴族家が牙を剥くとなれば厄介だ。
(万が一、今までの悪事が王家の耳に入ったら……)
そう考えただけで、破滅の恐怖が背を震わせる。まるで、ナイフを突きつけられたような恐怖感がドンファン伯爵の喉を締めつける。
ウェスト侯爵家に奪われた悪事の証拠の数々が王家に渡れば、極刑は免れない。
(子飼いの男も、馬鹿なことをしてくれた!!)
『もう、ドンファン伯爵の下には付きませんよ。リアム様と取り引きをしましてね、今までの貴方様の犯した悪事の証拠と引き換えに、ウェスト侯爵家が私のバックについて下さる事になりましたのでね。今日限りでオサラバですわ。次に会う時は、貴方を顎で使うのはこの私ですよ。今まで散々こき使ってくれましたので、お礼はたっぷりさせてもらいますよ』
子飼いの男の言葉を思い出し、身体の中で荒れ狂っていた怒りが限界を超え、吹き出す。当たり散らしたい衝動に駆られ、手近にあったグラスを手に取り、それを扉へと叩きつける。割れて床へと散らばったガラスの耳障りな音でさえ神経を逆撫でして、さらに怒りは倍増していく。
(――――っ馬鹿め! リアムが本気でバックに付くと信じるなんて、あの男は馬鹿過ぎる)
いいように踊らされて、嵌められているとも気づかない。ウェスト侯爵家が証拠を掴むため甘い言葉を囁いているに、決まっているではないか。証拠を掴んでしまえば、子飼いの男は用済みだ。あっという間に始末されるのがおちだ。
どうにか今の状況を切り抜ける手立てを考えねば……
焦る気持ちを抑え冷静さを取り戻そうと躍起になるが、うまくいかない。喉元まで迫り上がった恐怖心が、冷静さを失わせ、考えても考えても、打開策が思い浮かばない。執務室に置かれていた調度品や絵画、はたまた実用品に至るまで、手当たり次第に壁に投げつけては、叫び声をあげていたドンファン伯爵の元へ、焦り顔の執事が駆け込んで来る。
「旦那様、大変でございます。ただ今、王城より使者様が参りまして、『可及の要件にて、旦那様に会わせろ』と、おっしゃっております。ひとまず、客間へと通しましたが、如何致しましょう。お会いになられますか?」
何っ!? 王城より使者だと!! 嫌な予感しかしない……
茫然自失のまま、焦り顔の執事に問いかける。
「誰からの使者だ!?」
「陛下からの遣いの者と申しております」
「直ぐに会う」
♢
使者との面会は最悪の一言に尽きる。
面会を終え執務室へと戻ってきたドンファン伯爵は、荒れた室内には目もくれず、お気に入りの椅子へと向かい、力尽きたかのように座り込む。
『グレイス・ドンファン伯爵令嬢の白き魔女としての真価を問う審問会を開く事となった。よって、義父であるドンファン伯爵、及びグレイス両名は王城で行われる審問会への出席を命じる』
王家の紋章が押された命令書を手に持ち、ドンファン伯爵は深いため息をこぼす。
白き魔女としての真価。
あの女を養女にした事が、そもそもの間違いだった。あの田舎町で広がった噂話に飛びつき、グレイスを養女にしたのが、全ての元凶の始まり。あの女には、白き魔女としての力も、さきよみの力もない。グレイスを白き魔女に仕立てるために行って来た裏工作の証拠も、ウェスト侯爵家に握られている今、申し開きなど出来ない。
――――いいや、一つだけ手がある。
白き魔女を騙り、ドンファン伯爵家の養女に納まったグレイスに、ドンファン伯爵家の実権を握られ、仕方なくグレイスの悪事に加担したと。彼女に無理矢理、裏工作をさせられていたと釈明すれば、情状酌量の余地はあると、みなされるかもしれない。
今回の呼び出しも、グレイスの白き魔女としての真価を問うものだ。決して、ドンファン伯爵家の悪事についての審問ではない。ただ、グレイスの保護者として、呼び出されただけ。
(グレイスに全ての罪を着せて、あの女を生贄に、私は生き延びてやる)
荒れ果てたドンファン伯爵の執務室からは、不気味な笑い声がいつまでも響いていた。




