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包囲網

「ほら、怖がらないで。バランスを崩しても俺が支えるから大丈夫だ。足を踏み出して」


 昼食の席でも、キースに甲斐甲斐しくお世話をされたアイシャは、悶絶するほどの羞恥地獄を味わいながら、なんとか食事を終えた。しかし、彼女の羞恥地獄はまだ終わっていなかった。


 専属侍女に予告されていた通り、歩行練習をキースと二人することになったアイシャは、問答無用でキースに抱き上げられ、隣の部屋へと連れて来られた。始めは抵抗していたアイシャだったが、続き扉から隣室へと入った瞬間、その内装の素晴らしさに、お姫さま抱っこなる恥ずかしい状況であることも、頭の中から吹き飛んだ。


 隣室には、アンティーク調のソファと可愛らしい猫脚のテーブルセットが配置され、壁際に置かれたガラス製のキャビネットの中には、可愛らしいドールハウスが飾られている。


 部屋に飾られた風景画にしても、壁際のテーブルの上に置かれている色鮮やかな花々が生けられた花瓶にしても、ここで長い時間を過ごすことになる女性が退屈しないように、配慮され飾られていると分かる。滞在する人のことを考えて設られた内装に、アイシャは感心しきりだった。


 キースに手を引かれての歩行練習は、部屋の中をじっくりと観察出来る時間でもあり、思いの外、とても楽しい歩行練習となった。


「そろそろ休憩にしようか」


 アイシャをソファに座らせたキースが、すかさず隣へと座り、呼び鈴を鳴らす。直ぐに、ワゴンを押し入って来た侍女達が、目の前のテーブルにお茶やお菓子を手際よくセットし、あっと言う間に立ち去る。侍女達の見事な連携プレイに、アイシャは、キースと手を繋ぎ密着して座っているという恥ずかしい状況であることも忘れ、彼女達の動きに見入っていた。


 扉から退出する専属侍女にウィンクされ、やっと今の恥ずかしい状況を思い出したアイシャが、顔を真っ赤にして俯いたのは、言うまでもない。


 恥ずかしさから俯いていたアイシャの前に、小皿がスッと置かれる。そのお皿の上には、目にも鮮やかなクリームがのったカップケーキや、こんがりと焼けたスコーンやクッキーがのっていた。そして、芳しい香りがたちのぼる紅茶のカップが、小皿の隣には置かれていた。


「――――っあの! キース様。わたくしが、取り分けますので」


 ひとり恥ずかしがっている間に、様々な菓子が取り分けられた小皿が目の前に置かれるという状況に、思わず笑ってしまう。相変わらずのキースの世話焼きぶりである。


「アイシャが楽しそうにしてくれると俺も嬉しい。俺がアイシャの世話をするのはおかしい?」


「いいえ。少し昔の事を思い出しまして。初めてナイトレイ侯爵家の領地でキース様と過ごした一週間を思い出していましたの。あの時も料理を取り分けたりとわたくしのお世話をしてくださったなぁ~って。本来なら女性がするべきことを何の躊躇いもなく、おやりになるから何だか新鮮で」


「あぁ。確かに普通は女性側がする行為なのかもしれないが、騎士団宿舎での生活が長かったからなぁ。あそこじゃ貴族階級関係なく、下っ端は上司の世話をするのが当たり前だった」


「そうで、ございましたか。確かに、騎士は平民、貴族関係ありませんね。実力がものをいう世界。男女関係なく、やれる者がやるというスタンスですわね」


「あぁ、相手のことを思い、出来る事をやるのは、男女関係なく大切なことだと思う。あの時は、アイシャはナイトレイ侯爵家領地に来たばかりで勝手が分からなかっただろうし、今は手を痛めている。俺が世話をするのは当然のことだ」


「でも、侍女や給仕もおりますわ。キース様の手を煩わせるのも気がひけます」


「そんな些末なこと、気にするな。それに、アイシャと二人きりになりたいから邪魔者はいない方がいい」


「――――なっ!?」


 二人きりになりたいからだなんて、ストレート過ぎて対処に困る。


「キ、キース様! 本当にこちらのお部屋は素敵ですね。キャビネットに飾られたドールハウスも可愛らしくって、風景画も淡い色彩で描かれ素敵です。花瓶に生けられたお花も、目に鮮やかで、見ているだけで心が華やぎますわねぇ」


 甘い雰囲気をぶち壊すべく無理矢理話を方向転換したアイシャを見つめ、キースがクスクスと笑う。


(笑われようが知ったことではない! 今の甘い雰囲気が続く方が困る)


「……そう。母が聞いたらきっと喜ぶよ。あの人、気合いを入れて、この部屋を準備していたから」


「えっ?? 最近、このお部屋は出来たのですか? 女性用の客間では?」


「違うよ。この部屋は、夫婦のプライベート空間――って言っても、俺と妻になる人のね」


「はっ!? それって……」


「アイシャが寝ていた部屋が、妻の寝室。あちらの扉が、夫である俺の寝室。そして、この部屋は夫婦のプライベート空間と言う訳さ」


 キースの指し示した扉を見つめ、唖然とする。


(ヤバイかも……)


 アイシャは自身の寝室の扉と、キースが示したもう一つの扉を交互に見つめ、冷や汗が背中を流れるのを感じていた。


「ははは……、キース様のお部屋は、別の所にありますのよね? まだ、結婚されていませんし」


「いや。あの扉の先だけど」


「えっ!? はは、冗談ですよ、ね?」


「冗談? 違うよ。今後の事も考えて、大規模な改築をしたんだ。三部屋を打ち抜くね。アイシャが来る前に仕上がって本当に良かった。母が張り切って急ピッチに進めさせていたから、間に合って一番喜んでいるのは母じゃないかな」


 笑みを浮かべたキースに、手をひかれ抱き寄せられる。そして、耳元で囁かれた言葉に、アイシャの頭は一気に沸騰した。


「だから、一人で寂しかったらいつでもノックして。あの扉を――――」


(マ、マジかぁぁ……)


 ニッコリと笑ったキースを見て思う。『似た者親子だったわね』と。


 いつだったか両脇を侍女に抱えられ強制退室していったナイトレイ侯爵夫人を見て、似た者親子だと思った事を思い出したアイシャは、コソッとため息をこぼす。


 ある意味、直情型。


 そんなナイトレイ侯爵家のアイシャ包囲網は着実に狭まりつつあった。


(私、結婚を承諾するまで此処から出してもらえなかったりして。まさかね……)


 アイシャの心の声は誰にも届かない。


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