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愛と嫉妬

「ここ……、何処かしら?――――っ、うぅぅ……」


 目を覚ましたアイシャは、上体を起こそうとして身動いだ途端、走った激痛に呻き声を上げた。痛みに耐え、そっと右手を見れば、包帯が巻かれている。


(あぁ、町でゴロツキに襲われて、リアムに助けられたのよね)


 アイシャの脳裏に、リアムの姿が浮かび、勝手に涙があふれ、落ちていく。危険を顧みず、自分を助けてくれたリアム。今でも、彼の温もりを覚えている。


『アイシャ、愛している』


 あの言葉を思い出すたびに、心の奥底に閉まったはずの想いがあふれ出す。リアムが紡いでくれた真摯な言葉の数々が、冷え切った心を温めてくれる。


 嬉しかった。本当に嬉しかったのだ。


(リアムは、愛していると言ってくれた。今でも、私との結婚を考えていると)


 ただ、リアムの手を取ることだけは、出来なかった。


 リアムが、アイシャと結婚するためにノア王太子と密約を結び、ドンファン伯爵家の闇を暴くためグレイスと婚約したと知ったアイシャだったが、リアムに裏切られ、捨てられたと思い込んだ心の傷は、想像以上に深かった。


 そして、あの夜見てしまったグレイスとリアムとのキスシーンがアイシャの頭を巡り、ドス黒い嫉妬の炎が心を焼き尽くし、リアムの手を取ることを身体が拒否した。


(結局、今でもリアムのことを愛しているのよ。リアムが他の女とキスするのが許せないほどには、彼を愛している)


 だからこそ怖い。彼の手を取り、また捨てられる事態となれば、今度こそ立ち直れない。


「はぁぁ……、考えるのを止めよう。そんなことより、本当に此処どこなの?」


 傷ついた右手に気をつけながら、アイシャは上体を起こし、辺りを見回す。


 柔らかなベッドから見える窓には、厚手のカーテンがひかれ、外の様子はおろか、今が夜なのか、朝なのかも分からない。それでも、置かれた家具を見れば、この部屋が女性用に設られた寝室だということはわかる。花模様のベッドカバーは女性が好みそうなデザインだし、サイドテーブルには、可愛らしいテーブルランプが置かれている。そして、少し離れたところには、一人掛けのソファが置かれていた。


「あっ!! 私の短剣………」


 サイドテーブルの上に置かれた短剣を見つけたアイシャは、痛みのない手を伸ばし、それを手に取る。鞘に収められた短剣は、装飾もされておらず、令嬢が持つには無骨な印象だ。だが、アイシャはこの短剣を、肌身離さず持ち続けてきた。アイシャにとって、この短剣は、命と同じくらい大切なもの。


 あの時、最後に短剣を持っていたのはリアムだった。これがなければ、アイシャの命は無かった。ゴロツキにズタズタにされて、死んでいたかもしれない。


 リアムにもらった短剣。


「これだけは、手放せそうにないわね……」


 短剣を胸に抱き、瞳を閉じる。そして、止め処なく流れる涙を感じながら、アイシャはいつしか眠りに落ちた。





「まぶしい…………」


 閉じた瞼にあたる優しい光を感じ、アイシャは目をゆっくりと開ける。ぼやけた視界が徐々に鮮明となり、明るい方へと視線を動かせば、しっかりと閉じられていたカーテンは開け放たれ、レースのカーテン越しに柔らかな陽の光が部屋へと差し込んでいた。


 辺りを見回せば、昨晩は分からなかった部屋の様子が分かる。


 洒落た小花柄のクリーム色のカーテンは、焦茶色のタッセルでとめられ、精緻な刺繍が施されたレースのカーテンが風で揺れている。ベット脇のテーブルに置かれた大きめのランプも、陶器の傘の部分に色とりどりの花の絵付けが施され目にも鮮やかだ。


 さりげなく置かれたサイドテーブルにしても、座り心地の良さそうなアンティーク調のソファにしても、品の良いものばかりで、この部屋をコーディネートした人のセンスの良さが伺える。


(女性が好みそうな素敵なお部屋ね。それにしても……、誰のお宅なのかしら?)


 そんなことを漠然と考えていたアイシャの耳に扉をノックする音が聴こえ、ゆっくりと扉が開く。


「失礼致します」


 控えめなノックの音と共に現れたのは、メイド服を着た年若い女性だった。入って来たメイドは、アイシャが起きていると気づいていないのか、陶器の水差しとグラスが置かれたお盆を手に持ち、ベット脇のテーブルへと真っ直ぐに向かう。


「あのぉ、すみません……」


 突然、アイシャが声をかけたことで、年若いメイドの肩がビクッと揺れ、固まった。


(あっ! 驚かせてしまったわ)


 ギギギっと音が鳴りそうなほどゆっくりとメイドの顔がこちらへと向き、アイシャとメイドの目が合った途端、彼女の瞳が驚きに見開かれた。


「アイシャ様!! お目覚めになられましたか!? お待ち下さい。直ぐにお呼び致しますから!!!!」


 脱兎の如く退室して行くメイドの背を見送り、アイシャは肝心な事を聞きそびれたことに気づく。


(お呼びするって、誰をよ? 本当、ここ何処??)


 そんなアイシャの心の叫びは、数分後に解決することとなった。


「アイシャ!!」


 激しい足音と共に、バタンと大きな音を立て、開け放たれた扉から入って来たのは、焦り顔のキースだった。どうやらココは、ナイトレイ侯爵家と縁のある家らしい。


「アイシャ、体調は?」


 ベッド脇に駆け込んできたキースが膝をつき、アイシャの顔を覗き込む。


「顔色は悪くないようだが、痛むところは?」


 ち、近いぃぃぃぃぃ……、美麗なキースの顔面アップは寝起きの頭には強烈過ぎるのよ……


 アイシャの頬に、みるみると熱がたまっていく。


 はぁぁ、もう少し離れて……


「顔が赤い。熱があるのか?」


 キースの指先がアイシャの頬を撫で、額に大きな手が乗せられる。


「う~ん……、熱は無さそうだが……」


 憤死するぅぅぅぅ……


 無意識でやっているであろうキースの悪戯な行為に、アイシャの顔は湯気が出そうなほど真っ赤だ。


「――――キ、キース様!!」


「何? アイシャ……」


「は、離れて下さい……」


「えっ!? どうして?」


「近いですから……」


 アイシャは小声でそれだけ言うと布団を顔まで上げて、なんとかキースの顔面アップから逃れようと試みる。しかし、突然伸びてきた彼の手に布団を掴まれ阻まれてしまった。


 キースとの布団の攻防戦に負けたアイシャは、抗議するべく見上げた先の彼の笑顔を見て、固まった。


 目が笑っていない。笑顔だけど、目がまったく笑っていないのだ。


 怖いよぉぉ。どうして、キースは怒っているのよ?


 キースが怒っている理由がわからず、右往左往するアイシャの様子を目にとめたキースが笑みを浮かべ、さらにアイシャへと顔を近づける。


「アイシャに拒否権はないよ。一人で町に出て、迂闊な行動をとり、危険な目にあった。どれだけ心配したと思っているんだ。危うく命を失うところだったんだぞ!!」


「ごめんなさい……」


 真剣な眼差しのキースに諭され、頬を両手で包み込まれる。


「もう、あんな思いは二度と御免だ。今後、絶対に無茶はしないでくれ。アイシャが普通の貴族令嬢とは違い、自由に行動したいと思っている事は理解している。自由な発想に、行動力こそがアイシャの最大の魅力だと言う事も。だからこそ心配にもなるんだ……」


 さっきまで黒い笑みを浮かべていたキースの顔が真剣なものへと変わり、アイシャを諭すように言葉が紡がれる。


「今回はたまたま助けが入ったから良かったものの、毎回幸運に恵まれるとは限らない。自由な行動と無鉄砲な行動とでは、意味が違う。自由な行動には必ず責任が伴う。自由だからこそ慎重に行動しなければならない。貴方が思っている以上に外の世界は汚いし、危険なんて、そこら中に転がっている」


 目の前のキースの顔が、辛そうに歪む。


「慎重に行動出来ないのなら、貴方を囲うしかない。四六時中監視して此処から出せなくなってしまう。でも、自由に生きるアイシャだから、愛しているのも事実なんだ。アイシャが大切なんだ。貴方が死んでしまったら正気ではいられない。アイシャ、約束してくれ……、もう無茶だけはしないと。貴方を失うのが本当に怖い!!」


 こんな泣きそうなキースの顔、見たことない。


 沢山、心配をかけてしまった。


 キースを悲しませ、リアムを危険に晒してしまった。無鉄砲な行動のせいで、沢山の人に迷惑をかけてしまった。


 キースの言う通り、自由な行動には責任を伴う。周りの状況を見て、冷静に判断出来る状態でなければ、簡単に罠に引っ掛かり命を落とす。それだけではない。無関係な人まで、危険に晒してしまう可能性すらある。


(私は、なんて事をしてしまったのだろう……)


 涙が一筋、アイシャの頬を伝って落ちていく。


「本当にごめんなさい……」


「もう無茶はしないと約束してくれるね?」


 キースの言葉に何度も肯く。


「怪我が治るまで、ナイトレイ侯爵家で静養してくれるね?」


「……はい。――――っえ!?」


 キースの言葉に肯きながら、アイシャの頭の中に疑問符が浮かぶ。


「ナイトレイ侯爵家で静養?」


「あぁ。アイシャの右手は当分使わないようにと侍医から言われている。リンベル伯爵家では、アイシャの世話をする侍女を四六時中そばには置けないだろう? ナイトレイ侯爵家なら侍女の数も充分に揃っているし、アイシャ専属にすることも可能だ。だから、ゆっくり怪我の治療に専念出来るだろう」


「いえいえ。これ以上、ナイトレイ侯爵家に迷惑をかけるわけには行きません。利き手が使えずとも、なんとかなりますので、直ぐにお暇させて――――」


「――――あれ? もう無茶はしないのだろう? それに、リンベル伯爵家には、アイシャをナイトレイ公爵家で静養させると、伝え済みだよ。伯爵からも『よろしく頼む』と頭を下げられた手前、今さら断れないだろう。それこそ、ナイトレイ侯爵家の威信に関わる」


 目の前のキースは爽やかな顔して笑っているが、絶対に確信犯だ。アイシャを追い出したくらいで揺らぐような侯爵家の威信ではない。それに、キースの目がまったく笑っていない。


「あと、母上も張り切っているから今さら帰るなんて言ったら暴動が起きる。だから諦めてナイトレイ侯爵家で静養するように! 逃げたら後が怖いよ」


 目の前のキースは、笑顔を顔に貼り付け、黒いオーラを発している。どうやら逃げることは不可能らしい。


「……お世話になります」


 黒いオーラのキースに、ナイトレイ侯爵夫人の組み合わせなんて、白旗あげるしかないじゃない……


 アイシャは、達観した境地で真っ白な天井を見つめ、しばし現実逃避を試みた。


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