嫉妬【キース視点】
憲兵の詰め所を飛び出したキースは、数名の部下を引き連れ、必死に馬を走らせる。
(どうか間に合ってくれ!!)
アイシャに付けていた護衛兼密偵から、彼女がグレイスの後をつけていると報告を受け、急ぎ馬を走らせているわけだが、こんな状況になるなら町歩きを止めさせるべきだった。
明らかに、罠だとわかる状況にも関わらず、なぜアイシャはグレイスの後をつけている?
アイシャには常に二人の密偵をつけているが、そのことを彼女は知らない。一人での街歩きを満喫しているアイシャの楽しみを奪うのも気が引けて、表立って護衛をつけるのは避けていた。もちろん、アイシャ自身も一人での街歩きの危険性を十分理解した上で、行動していた。今までは。
しかし、今回の街歩きに限っては、そうではない。
町の詰め所へと駆け込んできた密偵の先導の元、裏路地をいくつも曲がり、人通りもまばらな通りを抜け、馬を走らせれば、キースの中に違和感が生まれる。
普通の精神状態であれば、こんな寂れた場所を女性一人で通ろうとは思わない。人通りがほぼない場所で襲われたら、叫んだところで助けなど来ないからだ。そのことをアイシャが理解していないわけがない。つまりは、こんな寂れた場所を通ってでも、グレイスを追いかけねばならない理由があった。
(グレイスは、誰と一緒にいた?)
頭の中に浮かんだ一つの答えに、キースの顔が歪む。しかし、今はそんなことを考えている場合ではない。一刻も早く、アイシャを見つけなければ、手遅れになる。
胸を迫り上がる恐怖感に焦りだけが募り、馬のスピードを上げるため拍車をかける。裏路地をかけ抜け、開けた場所に出た時だった。キースは、路地の真ん中で放心状態で座り込むアイシャを見つけた。
「アイシャ!!」
馬から飛び降りたキースは、急ぎアイシャに近づき、背後から彼女を抱きしめる。しかし、キースの呼びかけにアイシャが答えることはない。彼女は、虚な目をして、前を見つめ泣き続けている。
アイシャの瞼がゆっくりと閉じていく。そして、コト切れたかのように、キースに身を預け、アイシャは意識を手放した。
ぐったりと横たわるアイシャの身体を抱き上げたキースは、近くでゴロツキ三人を縛り上げていた部下を呼び寄せ、馬車を用意するよう指示を出す。
(見たところ大きな傷、出血はないが、ナイトレイ侯爵家に連れ帰り、早く侍医に見せた方がいいだろう)
そんなことを考えながら、辺りの状況をざっと確認していたキース元へと、アイシャの護衛につけていた密偵が近寄り膝を折る。
「キース様、ご報告してもよろしいでしょうか?」
「アイシャに何があった? あのゴロツキ三人が、アイシャを襲ったのは間違いなさそうだな。しかし、死んではいないが、かなりの傷を負っている。アイシャが奴等を倒したとは思えない。アイシャ以外に誰がいた?」
「ウェスト侯爵家のリアム様がアイシャ様を助けられました。ゴロツキ三人を倒したのもリアム様です」
何故、リアムがアイシャの危機に出くわすんだ! やっと最近、俺へ意識が向いて来たと言うのに……
密偵の報告に、怒りが噴き出しそうになる。一気に膨れ上がった殺気に、場の空気が一瞬で変わり、側で膝をついていた密偵の身体がわずかに揺れる。手練れの密偵ですら威圧するほどの殺気を、なんとか抑え、キースは冷静になれと自分に言い聞かせる。
――――アイシャには好きな男がいる。
漠然とそう感じたのは、初めて彼女がナイトレイ侯爵家に来た日だった。
太陽のように明るく、笑顔を絶やさないアイシャが初めて見せた涙。それを見たあの日、アイシャの心に居座る男の存在を知った。
ノア王太子とリアムが婚約者候補を降り、二人が別の令嬢と婚約したと社交界を賑わすようになると同時に、アイシャは家に引き篭もってしまった。初めてナイトレイ侯爵家に来た時も、婚約話を破棄させる算段だったのだろう。
あの時、無理に笑顔を作り、俺の手を離そうとするアイシャを見て、切なさで胸が苦しくなった。それと同時に、彼女を苦しめる存在に怒りが爆発しそうだった。
そして、ノア王太子とアナベルの婚約披露パーティーでの一幕、バルコニーで踊っている最中、突然アイシャの様子がおかしくなり泣き崩れた。ただならぬ様子に辺りを見回し気づいたのが、階下にいるリアムとグレイスの存在だった。
アイシャはリアムが好きなのか……
漠然と感じていた想いが確信へと変り、アイシャを捨ててなお、彼女の心に居座り続けるリアムの存在に嫉妬した。
そして、アイシャは今もリアムを想い泣いている。
目を閉じたアイシャの頬に残る涙の跡を指で辿る。今でも彼女の心を支配しているリアムの存在が憎い。
紛れもない嫉妬心。
腕の中のアイシャを抱き締め、涙の跡に誓いのキスを落とす。
必ずアイシャの心からリアムを追い出してみせると……
「アイシャをナイトレイ侯爵家へ連れて行く。馬車は用意できたか?」
「はい。あちらに」
近くに待機していた密偵の言葉に、アイシャを連れ馬車へと向かった。
♢
「キース様、失礼致します。アイシャ様ですが、侍医の話では、所々擦り傷があるものの、命に関わる怪我はないとの事です。ただ、利き手を捻り上げられたのか腫れが酷く、腫れが引き、痛みが落ち着くまでは、右手を使わないようにとの指示です」
「わかった」
私室で書類仕事を片付けていたキースは、執事からアイシャの様子を聞き、安堵のため息をこぼす。
「しばらくナイトレイ侯爵家でアイシャを預かると、リンベル伯爵家へ伝令を頼む」
「かしこまりました。あと、リアム様の動向ですが……、ウェスト侯爵家の守りが固く容易には探れそうに有りません。しかし最近、裏界隈の元締めの所に通っているようです。ドンファン伯爵の子飼いです。何か事が起きるやもしれませんね」
「わかった。引き続きリアムの動向も探ってくれ」
踵を返し退室していく執事を見送り、キースは一連の出来事を頭の中で巡らす。
リアムがアイシャを助けられたのは偶然だったのかもしれない。確か、あの界隈にドンファン伯爵の子飼いの寝城があったはずだ。そいつに会いに行く途中で、たまたまアイシャの危機に出くわしたのだろう。
運命の悪戯か……、どうやら運命の神はリアムに味方をしているようだ。
ノア王太子とリアムとの間でどんな密約が交わされたかは知らないが、勝手にやればいい。全てが終わった後も、アイシャの心がリアムにあるとは限らない。
アイシャは俺の手元にいるのだから……
利き手の使えないアイシャとの楽しい日々を想像し、仄暗い笑みを浮かべたキースは、未だ目覚めないアイシャが眠る主寝室へと向かった。




