衝撃的な話
「お父様! それは本当ですか!?」
王城を後にし、急ぎリンベル伯爵家へ戻って来たアイシャは、その足で母の元を訪ねた。今日は王城での執務がお休みだったのか、母と仲良くお茶の時間を楽しんでいた父を見つけ、リアムとの婚約話を切り出したアイシャだったが。
「アイシャ落ち着きなさい。先ほど言ったことは、全て事実だ。まさか、こんなにも早く、婚約者をリアム殿に決めるとは思っていなかった。お前は、はじめ乗り気では無かったしなぁ。ノア王太子殿下の話はともかく、今のアイシャの話では、一週間前にリアム殿に婚約を受ける旨を伝えたんだね?」
「えぇ。リアム様もその時は婚約に前向きでしたわ。一週間で心変わりするなんて、信じられません。何かの間違いではありませんの?」
「しかし、王家とウェスト侯爵家から正式に、婚約取り下げの文書が送られて来たのは事実だ。格上の王家とウェスト侯爵家からの婚約取下げに、否を言える立場ではないのだよ」
父の言葉を信じることが出来ないアイシャに、王家とウェスト侯爵家から届いた文書が手渡される。
「その文書の通りだ。アイシャの話が本当なら、酷い話だと思うが、仕方がない。アイシャもリアム殿のことは忘れなさい。私達、伯爵家が何を言っても、覆えすことは不可能だ。それよりも、ナイトレイ侯爵家のキース殿との婚約を真剣に考えてみなさい」
父の言葉が、頭の中を駆け巡る。
(リアムとの婚約を諦めて、キースとの婚約を考えろですって……、そんなこと出来るわけ無いじゃない!!)
アイシャはあまりの衝撃に、その場にへたり込んでしまった。
「アイシャ! 大丈夫!? 顔が真っ青だわ。ルイ、此処はいいから。わたくしが、アイシャの側に居ますので」
母の言葉を受け、父が部屋を退室したことにすら気づかない程に、放心状態となったアイシャを母が抱きしめる。
「アイシャ、今は何も考えなくていいわ。キース様との婚約のことも考える必要はないわ。泣きたければ、思いっきり泣きなさい。その方が楽になるから。今は我慢してはダメよ」
「お母様、わたくしリアム様に捨てられたの?」
一点を見つめ放心状態のアイシャの瞳が、すがるように母の瞳を見つめる。アイシャの言葉に母の顔が、衝撃を受けたかのように歪み、その顔が全てを物語っていた。
(ノア王太子の言っていた通りなのね。私はリアムに捨てられた……)
一週間前は、あんなに幸せだったのに。長年の恋心をやっと自覚して、これからリアムとの幸せな未来が待っていると思っていた。それなのに、現実は違ったのだ。
(私……、リアムに、裏切られたのね……)
限界だった。
涙が後から後から溢れ出し、止めることが出来ない。
泣き崩れたアイシャを母は何も言わず、いつまでも抱きしめてくれた。
数日後、社交界に二つの婚約が発表された。一つは、ノア王太子殿下とリンゼン侯爵家のアナベルの婚約。そして、もう一つは、ウェスト侯爵家のリアムとドンファン伯爵家のグレイスとの婚約だった。
『白き魔女』として社交界で認知され始めたグレイスの婚約は、社交界に衝撃をもたらした。その陰で、リンベル伯爵家のアイシャは、『本人に欠陥があり、二人の貴公子から見放され、婚約話が立ち消えたのではないか』と、悪い噂が流れるようになった。
♢
「はぁ~、家に閉じこもっているのも、つまらないなぁ」
リアムに裏切られ、婚約話が立ち消えてから一ヶ月。アイシャは絶賛、引きこもり中だった。社交界で流れている悪い噂のせいで、めっきり夜会にも、お茶会にも呼ばれなくなったアイシャは暇を持て余していた。
一ヶ月間、泣きに泣き続けたおかげか、リアムとのことは自分なりに決着がつけられたと思う。
(恋に鈍感な私のことを、数多の令嬢を虜にして来た男が、本気で好きになるわけがないのよ。甘い言動に踊らされ、恋をしていたと勘違いしていただけ)
リアムは、リンベル伯爵家と姻戚関係になるメリットのみで、婚約者候補になっただけ。『白き魔女』という旨味があれば、そちらに乗り換えるのは自然なことだ。
傷が浅いうちに離れられて良かったのだ。もうリアムの事は忘れた方がいい。
そんな事をボンヤリと考えていたアイシャの元へと、母がやって来る。
「アイシャに、お手紙よ。ナイトレイ侯爵家のキース様からだけど、私からお返事しておきましょうか?」
そういえば、キースともずっと会っていない。とうとうキースからも愛想を尽かされたのかもしれない。あの社交界での酷い噂を聞けば誰だって愛想を尽かして当然だ。
(欠陥令嬢と噂されている私を、嫁にもらおうだなんて考える家は、きっとないわね)
しかもナイトレイ侯爵家は、エイデン王国でも重要な立場にいる高位貴族だ。欠陥令嬢を嫁にしたとなれば、ナイトレイ侯爵家の家名にも傷がつく。
(手紙は、婚約辞退を前もって知らせてくれようとしたのね。なんだかんだ言って、最後までキースは優しい)
「お母さま、大丈夫ですわ。私からキース様へお返事を書きますので」
「そう……、アイシャが大丈夫なら、任せますね」
母から手紙を受け取ったアイシャは、一人になるとキースからの手紙を開いた。
『アイシャ、貴方が体調を崩し家に籠っていると聞きました。ずっと家にいるのも、逆に気が滅入ってしまうのではありませんか? もし良かったら一緒に気分転換でもしませんか?』
キースからの手紙を読み考える。どうやら、婚約辞退の知らせではなかったようだ。
(このまま、キースと音信不通というわけにはいかないわよね。これを最後にしよう……)
社交界での評判が地に落ちた令嬢の婚約者候補でいるのは、キースの名をも貶める結果に繋がる。きちんと話をして、ナイトレイ侯爵家から婚約解消をしてもらった方が良い。お互いに傷は浅い方が良い。
(結果的に、これで良かったのよ)
婚約話が出る前までは、一人で生きていくつもりだったのだ。そのために、剣を学び、色々な知識を身につけ、職に困らないように準備をしてきた。元々の計画通り、趣味に生きればいい。
独りで生きて行けばいい……
アイシャは、文机から便箋を取り出すと、キースからの誘いを受ける旨を紙にしたため、その手紙をナイトレイ侯爵家へ届けるように、侍女に託した。




