決意【クレア視点】
扉から出て行くアイシャを見送ったクレアは、室内へと戻ると、その足でソファへと向かった。そして、フカフカの座面へとダイブしたクレアは、だらしなく寝そべる。こんな姿、誰にも見せられない。しかし、専属侍女のルーナだけは別だ。
ワガママ王女だった頃を知る数少ない専属侍女の一人でもあるルーナは、あの黒歴史を耐え抜いた猛者でもあった。王女としても、女性としても終わっているグータラな姿を見ても、眉ひとつ動かさない鉄仮面ぶりは側に置くには、丁度良い。
(まぁ、ルーナが私の態度を大目に見てくれるのは、私室の中だけなんだけどね)
十歳年上の彼女は、クレアの良き理解者であり、厳しい教育係でもあった。対外的に優雅で完璧な王女でいられるのも、ルーナの献身的な支えがあったからと言っても過言ではない。
前世の記憶を取り戻した七歳当時のクレアは、日本人として過ごした前世の記憶に引きずられ、王女としての気品ある振る舞いが出来ず苦労した。それを一から矯正し、さらに完璧な王女として育て上げたのがルーナだった。だからこそ、クレアはルーナに絶大な信頼を置いている。
「ねぇ、ルーナ。アイシャは大丈夫かしら?」
「それはどういう意味で『大丈夫かしら?』と仰っているのですか?」
「あっ、ごめんなさい。唐突過ぎたわ。先ほどアイシャと交わした会話は、聞いていまして?」
「給仕をしておりましたので、大まかな内容は把握しております。もちろん侍女は存在しないものゆえ、他言は致しません」
「えぇ、わかっているわ。アイシャとの会話の内容のことでルーナの意見を聞きたいの。彼女はウェスト侯爵家のリアムと婚約すると言っていたけど、ノアお兄様はあの二人を認めると思う?」
「ノア王太子殿下がですか?」
「えぇ……、わたくし、アイシャを見つめるお兄様の事をずっと見てきたけど、あれは完全にアイシャに恋する男の顔だったわよ。恋なんておこがましい程の執着をしていたように思うの」
「そうですね。幼少期からのノア王太子殿下からのアイシャ様へのアプローチのしつこさは使用人にも知れ渡る程でしたから。アイシャ様がなぜあんなにも上手くアプローチを交わす事が出来たのか、不思議なくらいの追いかけぶりでしたものね」
「はは、ははは……、確かにね。アイシャの本能的な危機回避能力はズバ抜けていると思うわ。だからこそ、お兄様が簡単に諦めるとはどうしても思えないのよ。腹黒お兄様の事だもの、徹底的に二人の邪魔をすると思うのよ」
「確かに、ノア王太子殿下は二人の婚約を簡単には認めないでしょう」
「やっぱり、そう思う? だとすると、この先アイシャにとって、辛い展開が待ち受けているんじゃないかしら。得体の知れない何かに、アイシャとリアムの仲は引き裂かれてしまうような気がしてならないの。そうなった時、私はアイシャの味方に立ち、支えてあげられるのかしら? ノアお兄様に逆らってまで、味方になってあげられるか不安なの」
「ノア王太子殿下も人の子です。いかに為政者であろうと好いた女性の幸せを願わない男がいましょうか。アイシャ様がどんな困難にも負けず、真にリアム様を愛するならノア王太子殿下も無体な事はなさいませんよ」
「そうよね。きっと、そう……」
お兄様が、アイシャに無体なことをするはずないわ。愛する女性を苦しめることなんて……
ルーナの言葉を聞いても消えない不安は、あの女のせいなのだろうか?
グレイス・ドンファン伯爵令嬢。
クレアの脳内に蘇った、前世の記憶をたどり、昔よく遊んだ乙女ゲームの内容を頭の中で巡らす。
あの女が、乙女ゲーム『囚われの白き魔女は蜜夜に溺れる』のヒロインで間違いはない。『白き魔女』の噂が社交界で流れ始め、夜会でグレイスを見たときに確信した。
ピンクブロンドの髪に、エメラルド色の瞳を持つ、あの女の可憐な容姿は、前世趣味でやっていた乙女ゲームのヒロインそのままだった。あの女が『白き魔女』であるなら両翼のナイトレイ侯爵家のキースとウェスト侯爵家のリアムは攻略対象者だ。もちろんノア王太子も。
そして、あの物語の悪役は、わがまま放題のクレア王女と、ノア王太子に異常な執着を見せるアナベル・リンゼン侯爵令嬢だった。つまりは、あの物語に、アイシャ・リンベル伯爵令嬢の名前は出てこない。
あのゲームの中のアイシャは、名前すらないモブか何かだったのだろうと、始めは思っていた。乙女ゲームで、モブ役の令嬢に名前がつかないことは、よくある。
しかし、アイシャは『白き魔女』としての力を発現させた。ヒロインにしか現れないはずの『白き魔女』の力を。そして、もう一つ。あのゲームと同じように、ノア王太子とリアム、そしてキースにアイシャは求婚されている。
あの乙女ゲームのヒロインと同じ立ち位置にいるアイシャ。その現状が何とも不気味で、不安を誘う。
このまま何事もなくアイシャがリアムと結婚し、幸せを掴めるとは到底思えない。
乙女ゲームのヒロインと同じく『白き魔女』と社交界で噂になっているグレイス・ドンファン伯爵令嬢が必ずアイシャの前に立ちはだかる。
アイシャとリアムが結婚し、幸せをつかむ未来。あのゲームのリアムルートも、ハッピーエンドだった。
もし、この世界の主役がアイシャであるのなら、リアムを選んだアイシャが迎えるラストはハッピーエンド。それなのに、心に巣くった不安が消えない。
(きっと、大丈夫よ。アイシャは、幸せになるはずよ。だって、あの乙女ゲームは、どのルートを選んでもハッピーエンドだったもの。バッドエンドなんて――――)
「クレア様、眉間にシワがよっておりますよ」
寝転ぶクレアに視線を合わせしゃがんだルーナに、眉間をトントンと指先で叩かれる。
「ごめんなさい。ちょっと嫌なことを思い出してしまって……」
「クレア様の心配もわかりますが、あのアイシャ様です。きっと、何が起ころうとも、困難をぶち破り、幸せをつかみにいくのではありませんか?」
「ふふふ、それもそうね。アイシャなら、お兄様が邪魔をしても、なんとかしそうだわ。お兄様から逃げるために、アナベルをけしかけるくらいですもの」
「それでもノア王太子殿下が人の道に外れる非道な行いをするのなら、その時こそ同じ王族として貴方様の力を持って止めればよいのです。それこそが、王族として、ノア王太子殿下の妹君として生まれた貴方様の責任です。まぁ、わたくしの見た限り、ノア王太子殿下が好いた女性を不幸にしてまで自己の欲を満たす愚か者には見えませんがね」
「ルーナありがとう。少し気持ちが楽になったわ。わたくしは大切なアイシャのために動くわ」
あの娘が幸せな人生を歩むことで、私の前世の罪が少しでも償えるなら……
クレアは、ソファから起き上がると、姿勢を正し、気合を入れる。
そう遠くない未来に、アイシャを助けるため、前世の記憶を持つことを彼女に伝えなければならない時が来る。その日のためにも、グレイスの情報を集めなければならない。
クレアはルーナを近くへと呼び、今後の計画を実行するべく指示を出す。クレアの指示を受けたルーナが退室するのを見送りながら、ふと思う。
なぜアイシャは、私の発言に疑問を持たなかったのだろうか?と。
『ファンクラブ』なんて言葉、この世界には存在しない。それだけではない。アイシャと交わした会話の中には、この国には存在しない言葉がたくさん含まれていた。
「――――っまさか、アイシャも転生者!? まさかね……………」




