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特別な距離感

「うふふ、ふふ……、アナベル様、ゲット!! いやぁ~、有意義な話し合いだったなぁ」


 アナベルと別れたアイシャは、私室へと続く船内の廊下を歩きながら、あふれ出す喜びのままに声を出す。もはや、込み上げる笑いを抑えることも出来ない。うつむき、クスクスと笑いながら廊下を歩くアイシャの姿は、すれ違う通行人が振り返るほどには不気味だ。


 しかし、アナベルという巨大な味方を得たアイシャにとって他人の目など、些末なことだ。鼻歌混じりに狭い廊下をスキップしながら歩くアイシャの頭の中では、ノア王太子防波堤計画を練ることで忙しい。


 ノア王太子が、アナベルの存在をどれだけ意識しているかは不明だ。しかし、アイシャという存在が、しゃしゃり出てくるまでは、アナベルが王太子妃候補筆頭だったのだのだから、ただの知り合いという立ち位置ではないだろう。


(アナベル様も、婚約間近だったって、言っていたしね)


 ノア王太子は立場上、とても忙しい身の上だ。ましてや王族。おいそれと、王都から離れて過ごすなんて、無理だろう。警備の問題もあるし、ノア王太子と過ごす一週間は、王城に呼び出されるのが、妥当な案か。そうなればアナベルも一緒に連れて行けばいい。


(クレア王女に、協力をお願いしたいところだけど……、あのお方は、なぜかノア王太子と私をくっつけようとしてくるからなぁ)


 ただ、クレア王女の協力は是が非にも欲しい。ノア王太子防波堤計画について、ダメ元で伝えておこうかしら。出方次第では、案外協力する気になるかもしれない。


 そんな事をツラツラと考えながら、ロイヤルスウィートへと続く螺旋階段を登っていたアイシャは、リアムが階段を降りて来ていたことに気づいていなかった。


「アイシャ、うつむいて歩いていたら危ないよ」


「――――へぇっ??」


 突然頭上から降ってきた言葉に、足を止めたアイシャが顔をあげれば、リアムの眩し過ぎる笑顔が目に飛び込んできて、心臓が跳ね上がる。思いの外、近しい距離にいたリアムにアイシャが驚き、一歩足を引いた瞬間、バランスを崩し落ちていく。


(マ、マズい、落ちるぅぅぅ!!)


「ほら、危なかった」


 とっさに伸びたリアムの手に腕をとられ、引き寄せられたアイシャの身体は、そのまま彼の胸へとスッポリ収められてしまった。トクトクと、耳から聴こえてくるリアムの心音と、自分の鼓動の音が重なり、速くなっていく。


(イヤイヤイヤ、そもそもリアム様が突然、声をかけなければ危なくなかったでしょ!)


 そんなツッコミを心の中でしていなければ、リアムに抱きしめられているという状況に、高鳴る胸の鼓動を、抑えることも出来ない。日々、エスカレートしていくアプローチにアイシャは、リアムを男性として意識するようになっていた。


 確かに最近までは、リアムを仲の良い幼なじみくらいにしか思っていなかった。だからこそ、一年前、騎士団宿舎の医務室でキスをされ、『好きだ』と告白されても、本気にしていなかったのだ。いつもの揶揄いだと思っていたからこそ、デビュタントの夜会で、一年前のキスの事をリアムから言われた時も、すっかり忘れていた。


 アイシャにとってリアムとは、キースやノア王太子とは全く違う存在だ。剣の腕を上げるためにリアムと一緒に過ごした数年間は、男女の垣根を超えた友情を彼と育んで来た時間だと思っている。当時、男女の関係を意識させる様な行動を、リアムが取ったこともなかった。あの医務室でのキス以外は。


 しかし、あの夜会を機に、友人だと思っていたリアムが変わった。


 友人だと思っていた数年間では気づかなかった、大人の男としてのリアム。


 ふとした瞬間に見せる彼の表情や仕草に、胸が高鳴り落ち着かなくなる。切なそうに細められる瞳や甘さを含んだ声でささやかれる言葉に胸がドキドキしたり、特別な女性のようにエスコートされる近しい距離に、心がフワフワと浮き足立つ。今だって、力強い腕で引き寄せられ、心臓がおかしなくらい早鐘を打っている。


(こ、このドキドキは違う。階段から落ちそうになったから、ドキドキしているだけよ!! リアム様に、だ、抱きしめられているからじゃない! 絶対に違うんだから……)


 リアムの腕の中で、アイシャの顔は沸騰しそうなほどに熱くなっていく。共に剣を握っていた時には感じなかった感情が、アイシャの心の中で芽生えはじめていた。


「リ、リアム様、もう大丈夫です」


 両手でリアムの胸をそっと押せば、スッと離れて行く距離に寂しくなる。心に去来した感情を持て余し、誤魔化すように、アイシャは言いつのる。


「そんな事より……、リアム様は、お出かけですか?」


「いや、特に用事があったわけではないんだ。アイシャの帰りがいつもより遅かったから心配になってね。何かトラブルに巻き込まれたんじゃないかと思って、部屋を飛び出して来てしまった」


 そう言って笑うリアムの優しい表情に、アイシャの鼓動がまた、一つ跳ね上がる。


「その様子だと、特にトラブルに巻き込まれたわけでは、なさそうだね。とっても楽しそうに歩いていたみたいだし、私に気づかないほど、どんな楽しい事を考えていたのかな?」


 心配で部屋を飛び出したなんて……、そんなこと言われたら、嬉しくなっちゃうじゃない。


 サラッと言われた甘い言葉に、アイシャの顔が赤に染まり、それを隠すため慌ててうつむく。


(社交辞令よね。そんなのわかっている。本当、揶揄わないでよ)


「アイシャ、顔が真っ赤だよ。少しは、私のことを意識してくれているのかな?」


「えっ?」


「ふふふ、なんでもないよ。立ち話もなんだから、カフェにでも行こうか」


『やっぱり、揶揄われただけか』と、内心の落胆を隠すようにキュッと握った手を、リアムがつかむ。さっと繋がれた手を見つめ、心の中に巣くった悲しみは一瞬で消え去ってしまう。


 リアムに手を引かれ、階段を降りる。


 自分の手を引き先に進むリアムの端正な横顔を見つめ、冷めない頬の熱に、心まで熱くなって行くのを感じていた。


(このまま沸騰して消えちゃいそう……)


 友達ではない距離感が、ただただ嬉しかった。





「ところでアイシャは、どうして楽しそうに歩いていたの?」


「えっ? 楽しそうに歩いていた?」


「あぁ、不気味な笑みを浮かべて、笑いながら歩いていただろ。アイシャとすれ違った人が走って逃げていくくらいには、不気味だったよ」


「なっ! 嘘でしょ!?」


 リアムの言葉に、アイシャは思わず、その場に立ち上がりそうになる。そんな自分の姿を、いたずらそうに目を細め見つめるリアムと目が合い、アイシャは唐突に理解した。


「リアム様! 揶揄いましたわね」


「ははは、そんなつもりはなかったんだけどね」


「もうっ……、嘘ばっかり、ひどいです!」


「ごめん、ごめん。アイシャの反応が可愛くて、ついね」


「か、可愛いぃ!? 本当、揶揄うのはやめてください!!」


「本当のことなのに。アイシャと一緒に過ごせる時間は、私にとって特別なんだ。アイシャの言動の一つ、一つに心が躍る。こんな気持ち、アイシャ以外に感じたことがない」


 テーブルへと置かれたアイシャの手に、リアムの手が重なりキュッと握られる。


「リ、リアム様!! 理由ですね! 理由。楽しそうに歩いていた理由は――――」


 重ねられた手を慌てて引っこ抜き、立ち上がったアイシャは、この場所がどこかも考えずに叫ぶ。


「あっ――――、まずい……」


 自分に注がれるいくつもの視線に、そろそろと自分の席に座り直し押し黙れば、興味が失せたのか、注がれていた視線は霧散して消える。


(あぁぁ、ここが甲板で良かった)


 平民から貴族階級まで入り乱れる甲板には、暗黙のルールがある。トラブルを防ぐため、他人には関わらない。そのルールのおかげで、貴族専用のラウンジよりも、雑多な甲板の方が秘密の会話をするには最適なのだ。だからこそ、カフェで二人分の飲み物と軽食をテイクアウトして、甲板まで来たというのに。


(自ら、目立つ行動をとってどうするのよ!!)


 これもすべて、目の前でクスクスと笑うリアムの態度が元凶なのだが。アイシャが、ジト目でリアムをにらんだところで、堪える様子はない。だったら、早めに話題を変えるべきだ。


 広い甲板の中、テーブルとイスがいくつも並べられたエリアの一番奥。そこのテーブル席に、リアムと共に座っていたアイシャは、先ほど交わしたアナベルとのやり取りを話し出した。


「実は、先ほど甲板でリンゼン侯爵家のアナベル様にお会いしましたの」


「アナベル嬢が甲板にいたのかい!? それはまた、珍しいこともあるものだね。普通の貴族令嬢は、平民もいる甲板には近寄りもしないが」


「リアム様。私も一応、普通の貴族令嬢ですけど」


「えっ!? アイシャは普通の貴族令嬢じゃないでしょ。規格外だよ」


 目の前に座るリアムの目が、悪戯そうに笑う。


(あぁぁ、また揶揄って遊ぶつもりね! これで噛みついたらリアムの思う壺よ。ガマンガマン……)


「リアム様は、わたくしを揶揄って遊びたいのでしょうけど、その手には乗りませんからね!」


「別にアイシャを揶揄って遊んでいるわけじゃないんだけどなぁ。規格外って言ったのは良い意味でだよ。貴方の貴族令嬢の型にハマらない自由な考えや行動を私は、とても好ましく思っている」


「リアム様、それって、誉めてます?」


「もちろん。昔、『夢に向かって足掻けば、何かが変わるかもしれない』って、アイシャが私に言った言葉を覚えている? あの言葉が私の人生を変えたんだ」


 昔を懐かしむように瞳を細め笑むリアムとは裏腹に、アイシャの背を冷や汗が流れていく。


(覚えていない……)


「騎士になる夢を叶えるため、騎士団へと入団した私の行動を父は叱責した。将来、次期宰相となるための勉学を優先するように言われ、自分の夢と父からの圧力の間で板挟みになり、当時は、何事にも無気力な日々を過ごしていた」


 アイシャの脳裏に過去の記憶が蘇る。


 リアムを師と仰ぎ、剣の修行を始めた頃、無心に剣を振っていた彼を練習場の陰で見つけ、聞いたことがあった。なぜ、リアムは騎士を目指したのかと。あの時、彼はなんと答えただろうか?


 何も思い出せない。それなのに、辛そうに歪められた瞳の色だけが、記憶に残っているのは、なぜだろう。


 きっと、リアムはとても辛い状況に追い込まれていたのだ。親の過度な期待と己の夢の間で揺れ動く心を持て余し、剣を一心不乱に振ることでしか、複雑な心に折り合いをつけることが出来なかったのかもしれない。


「当時の私は、リアム様にひどい仕打ちをしていたのですね。自分の欲望を優先して、リアム様の心を傷つけていた。私に、剣を教えることは、辛かったのではありませんか?」


「そんなことはないよ。前にも言ったでしょ。アイシャと過ごした時間は、私にとってかけがえのないものだったって。それは、本心だよ。それにね、(しがらみ)に囚われず足掻いてみたらいいとアイシャに言われ、目が覚めたんだよ」


「えっ? そんな大それたことは、しておりません」


「君にとっては、忘れてしまうくらい些末な出来事だったのかもしれないけど、アイシャの言葉があったからこそ、私は父に立ち向かえた。だから、感謝しているんだ」


 そう言って、晴れやかな笑みを浮かべたリアムの顔を見て、アイシャの心の中で芽生えはじめた恋の炎がいっきに燃え上がる。


「そ、そうでしたの……」


「まぁ、当時の私は恥ずかしいくらいに、カッコ悪かったから忘れてくれていた方がいいけどね。アイシャには、今の私を見てもらいたい。アイシャの夢を叶えてあげられるだけの力はつけたつもりだよ。アイシャを幸せに出来るだけの力もね。それでもアイシャは、一人で生きていく道を選びたい? 私と結婚する未来は選んではくれないの?」


 二人の視線が絡み、テーブルの上に置いていたアイシャの手が、再びリアムに握られる。


(リアムと結婚する未来……)


 母が以前言っていた言葉が、アイシャの脳裏に浮かぶ。


『貴方に求婚している殿方は、アイシャの夢を理解してくださらない心の狭い方達なのかしら』


(リアム様は、私の譲れない趣味を知っても、今と同じように結婚したいと言ってくれるのだろうか?)


 リアムとの心地よい関係性が、悪い方へと変わってしまうかもしれないと考えるだけ、手が震える。しかし、誰かと結婚する未来があるのであれば、己の趣味を理解し、認めてもらわねばならない。


(一歩、前へ進むために……)


 覚悟を決めたアイシャは、目の前に座るリアムを見つめ切り出した。


『どうか、私の想いが伝わりますように』と、心の中で願いながら。


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