汽笛の音に重ねる想い
「うっわぁ~、すごい!!」
目の前に鎮座する巨大な客船を前に、アイシャは感嘆の声をあげる。
(この世界にも豪華客船が存在するのねぇ……)
数日前にリンベル伯爵家へと届けられた、リアムからの手紙には、船旅への誘いの文言が書かれていた。
この世に生を受けてから十八年、剣を習うことに夢中で家族ともバカンスに出かける事はなかった。
知識として、エイデン王国が海に面し、小さな島々が点在している国だということは知っていた。しかし、こんなにも港町が栄えているとは思わなかった。
港へと続く道は広く、行き交う人も馬車もぶつかることなく進む。そして、道の両端には、様々な店が立ち並び活気にあふれていた。港町だけあって、色々な店が軒を連ねている。異国情緒あふれる雑貨屋もあれば、大きな樽をテーブル代わりに、真昼間から男達が酒を飲み交わす大衆食堂もある。
宿屋に、食堂、女性が好みそうな雑貨屋や菓子屋もあれば、美味しそうな匂いを漂わせ、行列を作る屋台まである。
馬車の中から、街並みを見ているだけで、アイシャの心は弾む。そして、桟橋へと到着したアイシャを出迎えた大きな豪華客船の存在に、気分も最高潮に達した。
「リンベル伯爵家のアイシャ様でいらっしゃいますね」
桟橋に到着した馬車から降りたアイシャに、豪華客船のクルーチーフを名乗る男性が頭を下げる。
「ウェスト侯爵家のリアム様より客船内の案内を仰せつかっております。お部屋まで、ご案内致しますね」
クルーチーフの彼に促され、客船へと続くタラップをのぼり乗船すると、目の前には豪華な装飾が施されたロビーが目に入った。乗船前の慌ただしい雰囲気のロビーを横目に、どんどんと通路を奥へ奥へと進んでいく。
「こちらのフロアの奥にはメインデッキがございます。出航時はメインデッキにてセレモニーが行われます」
「まぁ! 出航セレモニーがあるのね。それは楽しみだわ」
「はい。出航時には、汽笛の音と共に、紙吹雪が舞い、とても幻想的です。船旅の始まりは、大切な人との別れでもあります。出航の汽笛は、大切な人との再会を願い鳴らされると言われています」
この世界の船旅がどの程度安全なものかは分からないが、いつの世も、旅に別れはつきもの。今、目の前にいる大切な人と、また再会出来るとは限らないのだ。だからこそ、出航を告げる汽笛の音に、大切な人の無事を願う。
(素敵ね……)
桟橋で別れを惜しむ、たくさんの人達の姿が脳裏をよぎり、アイシャの心になんとも言えぬ哀愁が去来する。
(きっと、あの人混みの中には、船乗りの彼との別れに涙する美男子の姿もあったのよね。もっと、しっかり目を凝らして、探せばよかったわ)
『どうか、無事に帰って来て』と泣く美青年を強く抱きしめ、船乗りの彼は別れを告げる。
『俺のことは忘れて、幸せになれ』と。
背を向け走り出した船乗りを追いかける美青年の足がもつれ転ぶ。追いすがる手は、船乗りの彼に届くことはない。遠ざかる船と、出航を告げる汽笛の音が鳴る中、美青年は誓う。
『いつまででも、あなたを待っている』と。
(あぁぁぁぁ、良い! 良いわ!! こういう別れもいいのよね)
「アイシャ様、どうなされました?」
「へっ? あぁ、ごめんなさい。なんでもないわ」
夕陽をバックに涙する美青年の美麗なスチルを、ひとり脳内再生していたアイシャは、知らず知らずのうちに足を止めていた。慌てて、チーフクルーの後に続き、歩みを進める。
「お泊まりになるロイヤルスウィートは、バルコニーがメインデッキにせり出しておりますゆえ、お部屋からでも出航セレモニーはご覧頂けますよ」
クルーチーフからの船内説明を聞きながら廊下を進むと、急に目の前が開け、螺旋階段が現れた。
「この階段の上のフロアは、ロイヤルスウィート専用となっております」
彼に続き、階段を昇ると、先ほどの通路とは明らかに違う豪華な造りの廊下が見える。踏み入れた廊下の床にはビロードの絨毯が敷かれ、両サイドには凝った装飾のランプが等間隔に備え付けられている。
「ロイヤルスウィート専用のフロアとのことですが、扉がいくつもあるように見えますの。ロイヤルスウィートは何室かあるのですか?」
「いいえ。ロイヤルスウィートは一番奥の一室のみです。他の部屋は全てお連れになる使用人の方々が待機なさる部屋と荷物などを置く衣装部屋となります。ロイヤルスウィートは王族や公爵家、侯爵家の皆様が宿泊なさる事を想定して造られておりますので、お連れになる大勢の使用人の皆様のお部屋も必要になりますから」
「確かに、そうね」
エイデン王国では、侯爵家と伯爵家以下の貴族家との間には大きな格差が存在する。一番の違いは公爵家及び侯爵家は自領を持っていることだ。そのため、自領に住む人々からの莫大な税収は大きな収入源になっている他、独自の産業を発展させている領地もあり、伯爵家以下とは比べものにならない程の資産を有している。
伯爵家以下の貴族家の中にも商会を経営するなど、資産を増やしている家もあるが、自領を持つ公爵家、侯爵家の足元にも及ばない。リンベル伯爵家も父の王城執務官としての給金で慎ましやかに暮しているのが現状だった。
(本当、不思議よね……)
ノア王太子にキースにリアム。彼らは、王族に、侯爵家子息達である。はっきり言って住む世界が違うのだ。伯爵家とは格が違い過ぎる。
その中でも家長が、軍部のトップであるナイトレイ侯爵家と宰相のウェスト侯爵家は、数ある侯爵家の中でもさらに別格だ。同じ貴族でも、本来であれば三人共、雲の上の存在。幼い頃からの知り合いでなければ、声すらかけてもらう事はなかっただろう。その三人から求婚されている事実が今でも信じられない。
(そりゃあ、リンゼン侯爵家のアナベル様が激怒なさるのもわかるわぁ)
ポッと出の伯爵令嬢に、王族と侯爵子息が一度に求婚するなんて前代未聞だ。
キースは、リンベル伯爵家との姻戚関係を望む政略結婚ではなく、アイシャ自身を愛していると言っていたが、彼が言うほどの魅力が、ただの伯爵令嬢の自分に有るとは思えない。
(私自身に何か秘密があるの!? まさか、前世の記憶があるってバレているとか? それで前世の記憶と知識を手に入れようと考えて――――って、そんな訳ないか)
前世の記憶持ちである事は誰にも教えていない。バレる要素が無いのだ。
(では、なぜ私に求婚するのか? 意味がわからない……)
そんな事をツラツラと考えながら歩いていれば、あっという間にロイヤルスウィートへ着いてしまった。
「リアム様、失礼致します。リンベル伯爵家のアイシャ様をお連れ致しました」
「あぁ。入ってくれ」
扉の向こうから聞こえたリアムの声に、鼓動がひとつ跳ねる。それに気づかないフリをして、クルーチーフに促されるまま、ドアノブに手をかけひねった。




