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「アイシャは馬に乗ったことはあるだろうか?」


「えっ? 馬ですか? いいえ。乗ったことも触ったこともありません」


 ナイトレイ侯爵領へ来てから数日、毎朝の日課になりつつあるキースとの朝食の席で、おもむろに切り出された問いに、口に放り込んだ瑞々しいオレンジを咀嚼しながら、アイシャは答える。


「そうか。せっかくナイトレイ侯爵領へ来ているし、一緒に遠駆けでもしようかと思ってね。乗ってみたいって思わない?」


「馬ですか? 興味はありますが、初心者が簡単に乗りこなせるものではありませんよね?」


「まぁ、早駆けするのは、初心者には難しいと思うが、ゆっくり駆ける分にはさほど技術はいらないと思う」


「怖くないですか?」


「俺もサポートするし、危険はない。乗ってみるか?」


 何事も挑戦という。それに、ちょっと、馬にも興味がある。


「危険じゃないというなら、ちょっと乗ってみたいです」


「そうか。じゃあ、この後行こうか」


 そんな約束を朝食の席でしたキースとアイシャは、着替えを済ませ、邸宅から少し離れた場所にある(うまや)へと向かった。





「すごく広い練習場なんですね」


 一貴族家が所有するには広過ぎる練習場を見て、アイシャが感嘆の声をもらす。


 広大な練習場には、所々に馬術練習用の障害物が置かれ、その施設とは別に、初心者が練習出来るだけの広さを持つ広場が整備されていた。


「ナイトレイ侯爵領地では、有事にすぐ対応出来るように、実戦を想定した訓練を行なっているからな。本格的な練習場が必要になる。騎士団の遠征練習もナイトレイ侯爵領地の森の中で行う事も多いよ」


「なるほど。だから、森の中まで整備されていたのですね」


「アイシャは、馬車から森の中まで見ていたのか?」


「えぇ、まぁ。森の中を進んでいるのに、ほとんど馬車が揺れなかったので不思議に思いましたの。馬車が揺れないのは、車道がきちんと整備されているという事でしょう。でも、周りは鬱蒼と茂る森の中。不思議に思わない方が変です」


「貴方という人は。やはり、何としてでも手に入れたい」


「――――はい?」


 瞳を輝かせ満面の笑みを浮かべるキースに両手を握られ引き寄せられる。


「普通の貴族令嬢であれば森の中の道が整備されている不自然さになんて、気づかないものだよ。貴方の持つ洞察力は本当に素晴らしい」


「はぁ、そんなものでしょうか」


「謙遜するな、アイシャ。幼い時に剣を目指しただけのことはある。そんな貴方を俺はずっと色眼鏡で見ていたのか。自分の馬鹿さ加減が嫌になるな。こんな愚かな俺だからこそ、貴方のような聡明な女性が必要なんだ」


 掴まれた手に口づけが落とされ、熱のこもった瞳で見つめられると落ち着かない。


「――――っキ、キース様!! 馬、馬、馬に乗せて頂けるのでしょ!」


「はは! そうだった」


 慌てるアイシャを見て、目の前のキースが笑い出す。


(私、からかわれたのかしら?)


 なんだか胸のあたりがモヤっとするが、気づかないフリをして、練習場へと向かう。その間、ずっと彼に手を握られていたが、その事実を頭から無理やり追い出す。


 そうこうしているうちに、栗毛色の馬が連れて来られ、手綱を預かったキースが、握っていたアイシャの手を馬の背へと持って行った。


「そんなに緊張しなくても大丈夫だ。この馬は性格も大人しいし、滅多に暴れたりしない。優しく鼻先や首筋を撫でてあげれば馬もアイシャに興味を持ってくれる。怯えていると馬も警戒してしまうからね。リラックス、リラックス……」


(馬ってこんなに大きい生き物なの! 大丈夫大丈夫、馬は優しい生き物……)


 ゆっくりと、馬の背を撫でれば、気持ちよさそうにフルフルと首を振ってくれる。手綱を馬丁に渡したキースに手をひかれ馬の前へと連れて行かれたアイシャは、そのつぶらな瞳と目を合わせた。


(可愛いぃぃぃぃぃ……)


 長い睫毛に縁取られたつぶらな瞳がなんとも可愛いらしい。徐々に距離をつめ優しく鼻先を撫でれば、馬もまた嬉しそうにアイシャの手に鼻先を擦りつけてくれる。


「コイツもアイシャが気に入ったようだな。ほら、耳がピンと立っているだろう。嬉しいってさ」


 その後は、馬に餌をあげたり、ブラッシングをしたりと交流を深め、いよいよ初乗りの時が来た。(あぶみ)に足をかけたキースが、始めに馬に乗り、アイシャへと手を差し出す。そして、鎧に足をかけ、キースの手に手を重ねた時、強い力で引き上げられ、なんとかキースの前に跨る事が出来た。


「た、高いぃぃぃぃぃ」


 あまりの高さにアワアワし出したアイシャを落ち着かせる様に腰を抱く腕の力が強まり、キースの腕の中へと引き寄せられる。


「これなら怖くないだろう?」


 すっぽりと抱き込まれた状態に、少しずつ落ち着きを取り戻したアイシャの様子を見て、キースがゆっくりと馬を走らせる。ただ練習場の柵の中をクルクル回っているだけなのに、高い位置から見る景色は新鮮で、時々吹く爽やかな風が心地よい。


 ゆっくりと伝わる振動に身体が慣れ、馬の高さや揺れに順応し出せば、周りを見る余裕も出てくる。それと同時に感じる気恥ずかしさは、キースの胸板に背中を預けているからだろうか。


(近いよぉぉぉぉ……)


 背中から伝わる熱に、アイシャの頬も熱くなる。


「離れようとすると危ない。慣れて来たようだしスピードを上げよう」


「――――っ!!」


 そっと前へ逃げようとしたアイシャの行動に気づいたのか、腰を抱く腕に力がこもり、急に走るスピードが上がる。馬の速さに驚き、とっさに腰を抱くキースの腕をつかんだ。


「怖い? 大丈夫、すぐ慣れるから」


 キースの言葉通り、数周もすれば速さにも慣れ、馬で駆け抜ける爽快感に、アイシャの心も高揚する。


「キース様! 馬って楽しいですね。もっともっと、遠くへ駆けてみたいわ!」


「では、明日一緒に遠駆けへ行こう! ナイトレイ侯爵領の森には綺麗な場所が沢山ある」


「えぇ! 楽しみだわ!!」


 馬で駆ける楽しさに魅せられていたアイシャは気づかなかった。アイシャとの近しい距離感にキースが満足気に笑みを浮かべていたなんて。



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